open your eyes-3 俺に緑の輝石、ケルディムが与えられたのと同様に、刹那にも青と白の輝石、ダブルオーが渡された。 輝石は酷使するとヒビが入り、やがて砕けてしまうという。休ませれば元のように宝石と同じ輝きを取 り戻すのだが、一度に負荷をかけ過ぎたり、連続して使用を続けると、保持者の体に変調を及ぼすだけ でなく、輝石自体も壊れてしまう。 だから輝石を上手く使うこともソレスタルビーイングの戦闘員である吸血鬼たちには要求され、それ故 に彼らはマイスターと呼ばれるらしい。 今となっては俺もそのマイスターの一員なんだけどな…。 そして、俺がソレスタルビーイングに加入してから一週間と少し経ったある日。残るもう一人のマイス ター、アレルヤの行方がわかったらしい。 彼はアロウズの研究所の一つに監禁され、吸血鬼の血を吸う吸血鬼として実験を繰り返されている。 「で、明日の午前0時にミッション開始だそうだ」 俺はクラウスとの約束通り、ソレスタルビーイングの動きについて毎晩電話を入れていた。特に今回は 俺の初ミッションにもなる。 自覚はなかったが、クラウスの『大丈夫なのか?』という言葉に、すぐに返答できなかったことが俺の 不安をはっきりと見せつけた。 「大丈夫だよ。クラウスらしくないなぁ。俺のこと、信じてくれるんだろ?」 クラウスは俺が吸血鬼になっても、変わらず親友でいてくれると約束してくれた。俺がクラウスを襲っ たりしないっていうことを、信じると言ってくれた。 『ライル、無理はしてはいけないぞ。助けが必要な時は遠慮せずに言うんだ。たとえ、人間じゃどうし ようもないと思うことでも』 「あぁ、ありがとうクラウス。ありがとう…」 それじゃ、また連絡するから。そう言って俺は電話を切った。 入れ替わりにオペレーターのミレイナから通信が入る。最終のブリーフィングが行われるそうだ。 俺は休憩室の一つから出て、ブリーフィングルームへ移動した。 ◇◆◇ カシャン…。ジャ…ジャ…。 鎖の擦れる音。冷たさ、重さ、なにもかも、もう慣れた。 牢屋のような場所に固いベッド。そこへ仰向けに投げ出されながら、僕は何度目かわからない名前を呼 ぶ。 「マリー…」 僕が呼べる名前は、四年前にたくさん消えてしまった。 あの爆発を見た時に、僕は恋人の名前を失った。 首に抗体を打ち込まれた時に、僕はもう一人の自分の名前を失った。 ここで拷問を受けた時に、僕は仲間の名前を失った。 今、呼べるのは、ここにいると思われる、僕の唯一の血族。 四年、か…。 果たして本当に、自分がアロウズに捕らわれてから過ぎた月日が四年なのか定かではないが、研究者た ちのぼやく声を耳にする限りでは合っていると思う。 初めのうちこそ、データ採取や血液サンプルを採りに頻繁に人が出入りしたり、組織のことを聞き出そ うと拷問部屋に連れて行かれたりしたけれど、今では僕の強情さとアロウズ自らが打ち込んだ抗体の作 用に打つ手もなくなって、一日に一度、誰かが来ればいいほうだった。 そうすると、僕は必然的に夢を見ることが多くなる。 四年前、あの人と笑い合っていた日々を。 背中を預けて戦っていた日々を。 この腕に抱きしめていられた日々を。 五年前、まだ人間として付き合っていたあの日々を…。 ◇◆◇ その日はとても風の強い日だった。開けっ放しの踊り場の窓から桜の花びらがたくさん舞い込んでくる。 僕は階段の下からその窓を見上げ、少し細めたほうがいいかな、と考えていた。 すると、その時ちょうど上の階から誰かが下りてくる。その人は僕の見知った人物であった。僕の表情 には自然と笑みが浮かぶ。 「ニール!」 先日、昼食にと寄った喫茶店で偶然相席になり、同じ大学だということで親しくなった、4年先輩のニ ール・ディランディ。彼は腕いっぱいに抱えた資料ファイルの向こうから僕を見つけて、「よぉ!」と 声を返してくれる。 見た目より軽々しくファイルを運ぶその様子に、どうやら彼の持っているファイルの上半分は空なのだ と推測できた。しかしそれにしても危なっかしいな、と思っていた矢先、アクシデントは起きた。 桜吹雪と共に強風が吹き込んできて、ニールの髪をなびかせる。それがまるで春の精霊のように見え て、僕は少しの間見とれていた。しかし風は同時に空のファイルを吹き飛ばし、その一つがニールの足 下に落ちる。 「うわっ!!」 バランスを崩し、ファイルに埋もれながら、ニールは階段から足を踏み外す。 「っ、ニール!!」 僕はほんの少しだけ吸血鬼の力を解放して、高めた跳躍力で階段を飛び越すと、倒れかけたニールを腕 に抱き留めた。 頭を守り、一緒に階段を転げ落ちる。一番下まで落ちて、少し遅れてその上にバラバラとファイルが落 ちてきた。 「いったたた…。ニール、大丈夫?どこか痛いところはない?」 僕は腕を離し、起きあがると、隣に倒れたニールを窺う。 「ん、んん…だいじょう‥‥、いって…」 呻きながら起きあがった彼の左手は、小指の下からがぱっくりと裂け、真っ赤な血が流れていた。 ドクン…、と吸血鬼の血が騒ぐ。駄目だ。抑えなきゃ…。 「あー、切っちまったか。でも、こんぐらいなら舐めて絆創膏貼っときゃ大丈夫だろ」 ニールの舌がれろ、と流れた血の筋を辿り、舐める。体内の血がざわつくのを感じ、必死に目を逸らそ うとしたが出来なかった。 「俺よりアレルヤ、お前は大丈夫かよ。俺を庇って、どっか怪我してんじゃねぇのか?…アレルヤ?」 その時、ようやく僕は我に返り、ハッとして目の前のニールを見る。 「だ、大丈夫です。僕、頑丈なのだけが取り柄なんで…!」 「そうか…?我慢すんじゃねぇぞ。庇ってくれてありがとな」 フワリと微笑む彼にまだ心臓がドキドキして、僕は逃げるように立ち上がる。 「あ、ファイル拾うの、手伝います。取り敢えず窓を閉めてきますね」 「あぁ、悪いな。サンキュ、アレルヤ」 あの頃の僕は、まだ人間としてニールと接していて、吸血鬼のことなんて一言も彼に告げてはいなかっ た。 その上、彼に向けて抱いていた感情は友情よりも強く、同性に向けるには異様な感情であった。 けれど僕は日に日に彼へ惹かれていき、彼―――ニールもまた、同じ感情を僕に向けてくれるようにな った。 季節は変わり、盛夏の頃、僕らは初めて二人きりで遊びに出かけた。 都市郊外の花火大会。河川敷で行われた夜空を彩るお祭りは、人がたくさんいたけれど、逆に男二人と いう異色のカップルに目をとめる人はいなかった。 手を繋いで最後まで花火を見て、人がまばらになった頃にようやく駅へ向かって歩き出した。 駅に着いたらこのデートはすぐに終わってしまう。それを名残惜しく感じたのは僕だけではなかったよ うで、一駅分、僕らは歩くことにした。 「綺麗だったな、花火」 「ちょうどいい息抜きになった?」 「あぁ、誘ってくれてありがとう、アレルヤ」 「どういたしまして。僕も楽しかったよ」 線路沿いの道をゆっくりと歩く。人目もないので手は繋いだままだ。 「そういえばお前、いつもこのブレスレットしてるよな。何か、思い出があるのか…?」 ふいにニールは、僕の左手首を目で指し、輝石の付いたバングルについて尋ねてきた。 僕の橙の輝石、キュリオスは瞬発力を高め、電撃を扱えるようになるもので、マイスターとしてはとて も大切な物だったけれど、まさかそれをニールに話すわけにもいかない。 「えっと‥‥」 お気に入りなんです、と一言で言ってしまって、彼は納得してくれるだろうか…。僕がアクセサリーの 類を進んで買うような人間じゃないと、もう知られてしまっているのに。 僕が答えあぐねいていると、その間を取り持つように電車が一本、通り過ぎる。 取り敢えず、嘘だと見抜かれるかもしれないけれど、そう答えてみよう。しかしふいに、電車が過ぎ去 る間に決意を固めた僕の視界に、ちらちらと動く影が映りだした。 周囲に視線を巡らせると、姿は見えないがたくさんの気配を感じる。人間ではない、僕と同じ別の血を 引く者の。 「アレルヤ?どうした…?」 ガタンゴトン、と電車の音が遠くなり、ニールの声が薄暗い夜道に響いた。僕は彼の手を強く握りし め、けれど迷いを含みながら彼の様子を窺う。碧色の瞳は心配そうに僕を見つめていた。 巻き込みたくない。けれど、いま彼を一人にさせるのも危ない。 僕は右手を繋いだまま、ニールの体を引き寄せ、抱きしめた。 「ア、アレルヤっ!?」 抱きしめた耳元でニールの慌てた声が聞こえる。 「ごめんね、ニール。愛しています」 「っ!!」 腕を離すと、ニールは顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせている。僕はそんな彼に微笑みかけて、頬に キスを落とした。 「ア、アレルヤ…。お前、こんなところでそんなこと…。第一“ごめん”ってどういうこと…―――」 ニールの言葉は僕が彼の唇に押し当てた人差し指で封じ込め、すがめた視線で道の前方を見遣る。 分散した影、蝙蝠の群れがそこに人の形を作り、やがて一人の男が姿を現した。 「ソレスタルビーイングのマイスターの一人とお見受け致す」 ニールの表情が驚愕と戸惑いに染まる。僕は背後に彼を庇いながら、男に向き直った。 「ええ。なんのご用でしょうか」 その答えに周囲の空気が完全に変わり、電灯の明かりを曇らせるように闇が一層濃くなった。それはお そらく、目の前の男の仲間が隠れていた物陰から姿を現したからだろう。 「先日、貴殿らが介入なさった戦闘を覚えておられるか」 「三日前の介入行動のことを仰っているんでしょうか?」 「いかにも。貴殿らが無用な手出しをしたせいで、我らはあの獣どもに屈辱を受けたまま退散せねばな らなくなった!」 「あれは彼らとあなた方との文化の捉え方が異なっていただけだ。彼らに悪意はない」 「しかし我々が耐え難い屈辱を受けたことに変わりはない!」 「だが、それを武力で報復しようというのは間違っている!」 周囲で僕と男の話し合いを傍観していた者たちは、そんなことはない、と怒りと殺気を強くした。 背後のニールが平静を装いながら、握った手に、まるですがるように強く力を込めてくる。大丈夫、と 握り返して、僕は目の前の男を睨みつけた。 「ソレスタルビーイングに属する、輝石、キュリオスのマイスターとしてあなた達に言っておきます。 今後もまた、別の種族に対して争いを生み出すというのなら、僕たちは何度でもその争いに介入しま す」 「交渉、決裂か…!」 男が吐き捨てるようにそう言うと、それが合図だったかのように周囲の吸血鬼たちが一斉に牙を剥い た。 僕の瞳が血の色の輝き出すのと同時に、バングルの輝石が呼応して光り、僕は左手を、線路とは逆の公 園へ続く道に向けて叫んだ。 「blitz!!」 電撃が帯状に一直線に道を貫き、そちらに展開していた吸血鬼たちは感電して倒れた。 「こっちへ!」 僕はニールの手を引いて公園へと逃げ込む。先回りをされたら、一度ニールの手を離し、更に敵の背後 を取って首の後ろに手刀を打ち込んだ。 「その瞳…。貴殿も我らと同じ吸血鬼ならば、なぜその力を我らへと向けるのだ!」 再びニールの手を取り、走り続ける背中に、あの男の声がぶつけられる。振り返った時のニールの視線 は、深紅に変わった僕の瞳を見ていた。 「アレルヤ…?お前…」 ニールの声が僕の心を締め付ける。唇を引き結び、今は追っ手をどうにかするほうが先決だと、自分に 言い聞かせた。 僕らは森林公園の小道を抜け、一旦広い場所へ出る。自動販売機が並ぶ小屋の方へニールを走らせ、僕 は追ってくる男たちへと跳躍した。夜空を背に両手を突き出し、頭上を振り仰いだ吸血鬼たちへ僕は雷 撃を放つ。 「lightning!」 神の雷を模した電撃は地面へと突き刺さり、先ほどと合わせてさらに数人の吸血鬼を地に伏した。地面 へ着地した僕は雷撃をかわした者に蹴りを見舞い、拳をたたき込む。 「せあっ!!」 月に反射する輝きを視界の隅に捉えて飛び退いた僕の眼前を、白刃が振り下ろされる。距離を取ろうと 飛びすさった僕を追って、剣を携えた男も再度その獲物を振り上げた。 その瞬間、僕は後ろへと移動していた力を反転させて前へ飛び出し、男の間合いの内側に入り込む。不 意を衝かれた男の鳩尾へ、僕は肘を打ち込んだ。 男の体が地面へ崩れる時、その向こうから別の吸血鬼たちが襲いかかる。腕を交差させて頭を守ったけ れど、肩や頬を爪で切り裂かれ、いくつもの裂傷が奔った。痛みに顔をしかめる。しかしすぐさま振り 向いて、走り抜けた吸血鬼の一人を追い、頭を掴んで地面へ叩きつけた。 息切れがする。この程度の傷なら、少し休めば自然治癒できる。命に別状はなかったが、この人数…、 さすがに応える。 残りは最初にコンタクトをとってきた男も含め、伏兵がいなければ五、六人といったところだろうか。 キュリオスの輝きは、まだ曇る様子もない。一気に片づけてしまおう…。 僕は足を止め、呼吸を整えながら機会を窺った。男たちが前後に集結したことを確認すると、キュリオ スの高速移動の力を使って彼らの更に前へと躍り出た。 「blitz!!」 雷撃は手のひらを向けた先にいた全員へ襲いかかり、僕以外に立っている人物はいなくなった。 僕はゆっくりとニールの元へ歩き出す。彼はすべて悟っただろう。僕が人外の生き物であると。 「ニール」 座り込んだ彼の前で立ち止まり、彼の名前を呼んだ。切り裂かれた傷で血だらけの僕を見上げ、ニール は辛そうに表情を歪ませた。 「怪我…、大丈夫か?俺の血を、吸うのか…?」 「このくらい、休めばすぐに治ります。誰かの血をもらうまでもありません。それに、僕は絶対に貴方 の血は飲まない。飲みたくない」 「どうして…。アレルヤは、吸血鬼…なんだろう?」 月の光がニールの瞳を鮮やかなブルーグリーンに映し出す。吸血鬼化した僕の深紅の瞳とは大違いだ。 とても美しい。 「ええ、そうです…。僕は種族間の争いをなくし、人間や多種族との共存を実現させようと運動を続け る組織、ソレスタルビーイングの一員。輝石、キュリオスのマイスターで、人の血を糧に生きる吸血 鬼です」 「ソレスタルビーイング…」 「はい…。僕が迂闊だった。夜にあんな人気のない場所を歩いたりしたから、その隙を衝かれて…。よ りにもよって、貴方を巻き込んでしまった。怖い思いをさせてしまって…すみません」 「でも、アレルヤはちゃんと俺を守ってくれただろ?大丈夫。怪我もないし、俺は平気だ」 そう言って、ニールは笑ってくれた。気持ちが悪い、って怒ったりしない。彼は優しい。 「駅まで行きましょう。そうすれば、もう彼らは手を出せないはずだ。駅まで送ったら、僕はもう、貴 方の前に姿を現さないようにします」 「っ、なんで…!!」 「僕が貴方の恋人だと知られたら、今度は貴方が狙われるかもしれない。貴方にこれ以上の迷惑はかけ られない」 「そんなこと…っ」 ニールの言葉を遮って、僕は手を差し出す。早くここを去らなければならない。これだけ騒ぎを起こし ても誰も駆けつけてくる気配はないし、おそらくは相手側の結界が働いていると考えると、まだ結界を 張った人物が増援や、または直接攻撃を仕掛けてくることもありうる。 話は歩きながらでもできる。それにまだ、ニールは混乱している筈だ。そんな状態ではきっと、人間の ふりをしていた僕への愛情と、吸血鬼の僕への恐怖が入り交じって、間違った答えを彼に選ばせてしま う。 さぁ、と手を開くと、ニールは僕の手にその透き通るような指先を重ねた。 「アレルヤ…―――、っ!アレルヤ、後ろだ!!」 ニールの声にハッとして振り向く。それは銀色の閃きが振り下ろされる瞬間だった。 「っ、く…!!」 右腕を盾にして刃を受け止める。腕に刃が食い込み、骨に当たって止まった。 アジトに行けば血液パックがある。右手を捨て、刃が刺さったまま強引に振り払おうとした。すると意 外なほどあっさりと、攻撃を仕掛けてきた男は柄から手を離し、凶器は傍らに音を立てて落ちる。 不審に思う間もなかった。焼け付くような痛みが右の脇腹から左の肩口にかけて襲う。 「ぅぁ…っ!!」 返す手で逆さに斬りつけられた。その上、普通の剣とは痛みの程が比べものにならない。きっと純銀の 刃だ。月光に閃く短刀は男の手元に引き戻され、おそらく次に繰り出されるのは“突き”。 左手を伸ばし、そちらへ短刀をかわしながら男の腕を掴む。親指の付け根と手首をかすめ、そして左の 脇腹へと刃先が到達しようとした瞬間、 「spark…!」 僕の手を介し、男の体内へ電流が迸った。短刀は刃先の五センチ程度を僕の腹部に突き刺してから、甲 高い音を立てて地面に落ちた。襲いかかってきた男も、今度こそ起きあがれないだろう。 「っく、うっ…!!」 銀でつけられた傷は治りが遅く、しかも運の悪いことに重傷を負ってしまった。 「アレルヤ…っ!!」 ニールに支えられ、なんとか倒れることはなかったが、気を失わせた筈の何人かが意識を取り戻す様子 が遠くに見えた。電撃の威力を抑えすぎたらしい。僕の悪い癖だ。ショック死してしまうんじゃないか と、無意識のうちに必要以上に威力を抑えてしまう。今回はそれが仇となった。 「アレルヤ!しっかりしろ!」 僕は歯を食いしばり、足に力を込める。こうなったら逃げるしかない。 「森の、中へ…」 「走れるか!?」 僕が頷くのを確認すると、ニールは僕の腕を肩にまわして支えになりながら、背後の森の中へと走り出 した。 半ば僕の体を支えながら走るニールは、後ろの追っ手を意識しながら、傷を負った僕が走りやすいよう に平坦で障害の少ない道を選んで逃げてくれた。それでも意識の薄れてきた僕には、小さな石にも足を 取られやすく、百メートルほど走ったところで木の根に躓き、倒れてしまった。 「アレルヤっ!」 僕を立たせようとニールは頑張るけれど、意識が朦朧として、一度抜けてしまった力はもう戻らない。 「ニール、逃げて…。あなただけは、どうか…」 「っ、馬鹿なこと言ってんじゃねぇ!!」 藪の影に僕の体を運んで、なんとかそこで追っ手をまこうというのだろうか。きっとたいした時間稼ぎ にはならないと、彼にもわかっている筈だ。 「ニール…」 「黙ってろ!―――…なにか、俺にもできること…。そうだ、血を吸えば傷も早く治るんだろう!?だっ たら俺の血を吸え!」 ニールは髪を持ち上げ、首筋を晒す。僕はのろりと首を振った。 「だめ…、駄目だよ…。それはできない…」 「なんでだよ!?吸血鬼にされたってかまわない!このままじゃ…、このままじゃお前、あいつらにやら れる前に死んじまうぞ…!」 確かに、傷の治りが遅いせいでいつもより体力の消費は激しいし、その上走ったので出血もなかなか止 まらない。 だけど、だとしても…。 「吸血鬼に…血を、吸われても…吸血鬼になることは…ない。だけど…」 僕の血をニールの口に入れないように、僕は彼の頬に触れた。僕の愛しい人…―――。 「…だけど、僕は…貴方の血を、飲みたくない…」 「なんで…っ。俺が、男だからか…?吸血鬼は若い女の血しか吸わないのか…!?」 僕はもう一度首を振る。違う、と掠れた声で答えた。 「違う…。僕が、貴方の血を…吸いたくない、のは…、貴方が僕の…、大事な人…だから…。貴方の肌 に牙を立てるなんて…できない」 「っ…!!」 「好きです、ニール…。愛してる…。だから、逃げて…」 瞼が重くなってきた。呼吸も苦しい。ニールに触れていた左手も、力無く下ろした。 輝石を託さなければ…。けれど、もう一言も発せそうにない。ティエリアに怒られるなぁ…、なんて思 っていた時だった。 ふいに唇へ柔らかいものが押し当てられた。薄く開いた唇の間から、血の味がじんわりと口の中に広が る。 「ん‥‥‥」 啄むように口づけをされている。血を絡ませた舌先によって僕の口内は濡れた。ほんの僅かな血でも、 瀕死の僕には意識を冴えさせる程の力があった。 僕にキスをしているのは間違いなくニールで、そこに含められていた血は間違いなく彼の血だ。 僕が目を開くと、唇を噛み切ったニールがすぐ傍で微笑んでいた。「アレルヤ…」と優しい声で僕を呼 ぶ。 「アレルヤ、俺はお前が吸血鬼でも、そんなの気にしないんだからな。お前が言ってくれた言葉、して くれたこと、何一つ変わりゃしないんだから」 「ニー、ル…」 「男同士のカップルって時点で、もう他とは違うんだ。俺の恋人は、アレルヤ以外にいない」 ニールの細い腕が僕の体を抱き起こし、僕の目の前に白い首筋を曝け出す。 「吸ってくれ、アレルヤ。お前の中で、一つにさせて」 吸血衝動はもう抑えられない。ごめんなさい、ごめんなさい…。僕の頭の中は大事な人の肌を傷つける ことへの謝罪ばかり。 舐めて肌を慣らすこともなおざりに、僕はニールの肌に牙を立てた。 「っ、ぁ、アレルヤ…っ!」 突き刺した牙と傷痕の隙間からじわりと血が溢れ出す。熱い。熱くて、すごく…、こういう表現をする のは嫌だけど…、 「アレルヤ…ぁっ」 ―――…すごく、美味しい…。 恍惚としたニールの声。牙を抜くとふるりと彼の体が震える。溢れる量の増した血は益々濃厚で、体中 に力が満ちてくる。 「は、ぁっ、んっ…!ぁ、ぁ…アレルヤぁっ!」 飲み過ぎちゃ駄目だと思っているのに、唇を離せない。いつの間にか千切れかけていた右手も再生が速 まり、動かすことができるくらいまで治癒していた。ニールに抱き起こされていたのを、今度は僕が弛 緩した彼の体を抱きしめている。 「アレルヤ、ッ…、愛して、る…っ。好きだ、アレルヤ…っ!!」 ニールの指が僕の服をくしゃりと掴む。僕はようやく彼の滑らかな肌から欲望の牙を完全に抜き、吸血 行為後独特の二つの傷痕を舐めた。 「ふ、ぅん…っ」 「ニール…、ごめん、大丈夫?」 腕の中のニールはヒクヒクと瞼を震わせ、何かの快感に飲まれているようだ。貧血は起こしていないだ ろうけれど、どうしたのだろう。 あの時の僕は共鳴現象というものを知らず、もちろん、ニールが性的快感に打ち震えていたことなどわ かりもしなかった。 とにかく僕はニールを近くの木の幹に寄りかからせ、ぼんやりと開いた瞼に優しく口づけを送って、立 ち上がる。 「ありがとう。少しだけ待っていて。今度はちゃんと片をつけてきますから」 傷は完全に癒えていないが、さっきと比べたら十分戦える。僕はキュリオスを呼応させて、力を出し惜 しみすることなく雷撃を奔らせた。 共鳴現象によってニールが同じ感覚を味わっているとは思ってもみなかったので、いつになく加速を多 用してしまい、少し車酔いに似た気分を味わせてしまったかもしれない。 全てが片づいた頃、刹那とティエリアが駆けつけてくれた。 ニールの首筋に残した傷を見て、ティエリアは眉をしかめたけれど、それよりも移動が先だと、ソレス タルビーイングの用意した車に乗って、僕らはその場を後にする。 ニールの体を抱きしめて、医務室に連れて行かれるまでずっと離さなかった。 僕を愛していると言ってくれたから。離したくなかった。 そして僕は、スメラギさんにニールをソレスタルビーイングのスタッフとして雇ってもらえないかと頼 むことにしたのだった。 --------------------------------------------------------------------------------------------- 戦闘シーンが入ったので気合い入れて書いちゃいました(汗) しかも待ち望んでました?アレニルの吸血シーン。 回想シーンなんでたまにそれっぽいこと言わないと忘れられます。 長いな回想シーン。まだまだ続きます。まだまだアレルヤは回想します(笑) ニールが吸血鬼化したら、二人の技についての解説も入れますんで、待っててくださいね。 2009/04/05 |