恋の助走 1



桜井に呼び出され、葵と葛はとある屋敷にいた。
「早速で悪いんだが、ジャンケンをしてくれたまえ」
「「は?」」
会うなり早々、意味不明な指示を出されて怪訝な表情をする二人。しかし桜井は「さぁ」と促すばかり
で理由を説明しようとしない。
二人は渋々、向かい合って拳を握った。葵が音頭を取る。
「さいしょはグー、ジャンケン……ポンッ」
勝ったのは葛。葵は自分の出した手をまじまじと見つめた。
「そんな馬鹿な……。石頭の葛ならぜってーグーだと思って、自信満々に繰り出したパーだったの
に……!」
対する葛は、葵を見下すように息をつく。
「その程度の戦略などお見通しだ。浅知恵だったな」
恨めしげな目で葛を睨む。
「そこまでして勝ちたいか?」
「その台詞、そのまま返させてもらう」
そのやり取りを桜井はニヤニヤと意図の読めない笑みで見つめていた。
「で?ジャンケンしたぜ。今度の任務はなんなんだ」
葵が目を向けると、桜井はようやく今回の招集の目的を答えた。
任務自体は、とあるパーティーに出席することらしい。
桜井の知り合いの息子が陸軍将校として参加する。その付き添いと護衛が依頼だった。
「護衛はともかく、そういうパーティーの付き添いってのは女性がするもんじゃないのか?」
「そうだ。しかし、彼には困った性癖があってな」
「性癖?」
「女性嫌悪症というやつだ」
「「…………」」
絶句以外に反応のしようがあるものか。葵と葛は表情は様々だったが、嫌な予感に頬を引き釣らせた。
「しかし、パーティーに一人で参加する訳にもいかぬ。護衛も兼ねているので、軍の人間が好ましいの
だが、いかつい軍人が女装というのも見ているこちらが苦しいのでな。――まぁ、そういうことで今
回、君たちのうちどちらかに女装してもらうことになったわけだ」
「ま、待ってくれ。まさか今のジャンケンは……」
「付き添いと護衛の役割分担だ」
悪びれもせず言う桜井。葵と葛の表情から顔色が失せた。
「そういうのは普通、議論をもってから決めることじゃ……」
「そう、今日で世界が終わるかのような顔をするんじゃない。女装は葛にしてもらう」
「っ!?」
「よっしゃぁ!!」
ジャンケンの勝ち負けで決めるなら、当然、負けた葵が女装をするものと二人は思っていたのだが、桜
井の思惑は違っていた。
「10分後に護衛対象の芝村氏と会う。その後、葛には雪菜の手伝いで着物に着替えてもらう」
女装を免れた葵は葛の隣で無神経に大喜びをしており、葛は苦い表情から腹をくくり、絞り出すような
声で「わかりました」と言った。
「さすが、潔いな」
「それが任務とあれば、仕方ありません」
桜井は満足げに笑って、「では行こうか」と扉の外に控えていた壱師を伴って、別室へ移動を開始し
た。

  ◇

新たに案内された部屋には、軍服に身を包んだ桜井と同い年くらいの男と、その面影を持った青年とが
いた。
桜井が男と挨拶を交わしている様子からして、彼が芝村氏だろう。
桜井が葵と葛を示して紹介をする。
「今回、護衛を担当する三好葵と伊波葛だ。葵、葛。こちらが芝村篤殿。彼の護衛を頼むよ」
二人は会釈をして挨拶とするが、芝村は品定めをするように不躾な視線を向けただけだった。
その瞬間、葵の中で芝村篤という男の印象は過去最悪の記録を叩き出す。ただそれが表情に出なかった
のは、ひとえに葵の持つ対人スキルの賜だろう。
同様に気分を害していた葛だったが、しかし彼は別の事実に頭を働かせていた。
「(芝村篤――。どこかで聞いた名前だが……)」
会ったことがあるのは確かなのだが、いつの出来事なのか思い出せない。
桜井が引き合わせたのだから、桜井機関に入る以前にいた軍学校の人間ではないのだろうが、迂濶な発
言をしないよう、気には留めておくことにした。そうでなくとも、任務には葵も同行する。自分の経歴
を易々と晒す気もなかった。
詳しい打ち合わせの後、それぞれ着替えの必要があったため、葵と葛は部屋を後にした。
去り際、芝村篤は父親には届かぬ声量で言った。
「頼むよ君たち。くれぐれも、私に恥をかかせないよう、相応の衣服に身を整えて来たまえ」
それは高慢そのものといった口調で、いかな葵でも、笑顔が引きつる。
そして部屋を出るなり、葵の不満は爆発した。
「なんなんだよ、あの態度!ああいう、親の七光りで偉ぶってる奴が一番頭にくるぜ!!」
「耐えろ、葵。俺たちが失態を見せれば、奴の思う壺だ」
「わかってる!――くっそー。うっかり力で吹き飛ばしたりしたら駄目か?」
「駄目に決まっている」
苛立ちが治まらない様子で、頭を掻きむしる葵。それを横目に、もしも葵がこうして怒りを顕わにして
いなければ、自分はこうも冷静ではいられなかっただろうと、葛は思った。
「ここだ。雪菜が待機している筈だ」
これから自分が女の格好をするなど、夢に思いたかった。しかし扉を開いた先でたくさんの衣装に囲ま
れた雪菜と棗を見ると、葛は大きなため息と共に肩を落としたのだった。

  ◇

「葛が女装することになったのね」
部屋に入るなり、雪菜が言った。思考を読むまでもなく、表情でわかっただろう。
「今更だが、本当に葛で大丈夫か?言っとくけど、コイツ意外とガタイいいぜ?」
なぜ知っている、と視線で問うと、簡潔に“見たから”と唇の動きで返された。そして順に右手の甲と
額、口の端を指さす。
そういえば西尾の一件で手当てをしてくれたのは葵だったと、ようやく合点がいった。
俺と葵の間に立って、咳払いをした雪菜。どうやらやり取りは筒抜けだったらしい。
「大丈夫。着物なら体型を誤魔化しやすいわ。葵は棗が手伝います。葛、まずは着物の色を合わせま
しょう」
雪菜に連れられ、色とりどりの布の前に立った。黒、白、赤、青……。様々な色の布をあてながら、
雪菜は言う。
「でも、こう言ってはなんだけれど、女役が葛でよかった。葵の髪や眉の色は元々少し明るいでしょ
う?誤魔化すには骨が折れると思っていたの」
素直にそれはよかったと言えず視線を逸らすと、テーブルの上に黒髪のカツラが用意されているのが目
に入った。
「雪菜、この衣装や小物は君が用意したのか?」
「いいえ、桜井さんが。私の物ではこれほど数はないし、そもそも二人の丈に合う物もないわ」
どうしたの?と言う雪菜に、葛は軽く目眩を覚えた。
「桜井さんは、始めから俺に女役をさせるつもりだったのかもしれない……」
「え?」
「――いや、いい。続きを頼む」
葵の言うように、桜井はとんだ狸だと思いながら、雪菜の示した着物に渋々頷いた。

  ◇◆◇

棗には意外がられたが、自分は礼服を着馴れていたため、葛が着替え終わるだいぶ前に、準備を整え終
えた。
パーティー会場の見取り図も、進行の予定表も頭に入っている。葛が着替え終えるまで何もすることが
なくて、暇つぶしに棗とチェスをしていた。
「ごめんなさい、時間がかかってしまって……」
雪菜に声を掛けられて、チェスに熱中していたことに気づく。
「いや、大丈夫。棗がチェスの相手をしてくれてたからな」
と、言いつつ、最後の最後までチェスの手を止めない。勝負がつかないのはどうにもすっきりしないか
らだ。しかし、棗が名前を呼んで咎めたので両手を上げて了解の意を示した。
「わぁかったよ。勝負はお預けだ」
棗は小さく頷いてチェス盤を片づけ始める。それを眺めながら椅子を立った。
「で、葛はどんだけ化けられ……た……――」
雪菜の方に目を遣り、絶句した。
「どうかしら。葛が何も言わないから、出来栄えに自信がなくて……」
雪菜の声などまったく耳に入らない。はっきり言って、その時の俺は葛――と思われる和服美人――に
見惚れていた。
長い黒髪の上半分は一度高い位置で纏め上げられ、そこに簪やら小ぶりの花飾りが揺れている。
元から物静かな顔つきをしていたが、瑠璃色の着物が更に気品を持たせている。元が男など想像もつか
ない。
目元に化粧を施しているせいか、普段のようなキツい印象がない。頬の朱は愛らしく、唇の紅は美し
い。思考が停止するほどの化け様だった。
「え、……っと。うん、上出来だと思うぜ……」
「よかった!」
雪菜が手を合わせて喜ぶ横で、葛は微妙な表情をしていた。その様子を見て、棗が言う。
「しかし、いつもの調子では男とバレるぞ」
「わかっている。会場に着いたらちゃんとやる」
不機嫌そのものといった口ぶりで葛は言った。
今回、葛は“伊波柚姫”として芝村篤の付き添いをする。女性にしては高い身長は、長身の家系だと
言って誤魔化し、喋ると声でバレるので、生まれつき声が出ないことにする予定だった。けれど表情ま
では仮面を被る訳にもいかないので、葛の演技に頼る外ない。
「予行練習をしてみたらどうかしら?」
雪菜の一言に葛のひと睨みが突き刺さる。反射的に雪菜は「ごめんなさい」と謝った。
「まぁまぁ。一回くらいいいじゃないか。それに、そんだけ綺麗に作ってもらったんだから、雪菜に礼
のつもりでさ」
「私、そんなつもりじゃ……!」
「いいからいいから」
焦る雪菜。けれど俺が上機嫌でいるせいで、葛はますます不機嫌になっていく。
「それじゃ、パーティー会場に着いたとして。その着物じゃ、きっと段差のある場所じゃ男がエスコー
トするだろうから、その想定で――」
俺は軽く咳払いをすると、葛へ向けて手を差し出した。
「お手をどうぞ、お嬢さん」
「っ……」
すると葛は息を呑んで固まってしまう。
「おいおい、何が“ちゃんとやる”だ。いいか、こういう時は」
「大丈夫だ。少し、驚いただけだ……。もう一度頼む」
何を驚いたというのだろう。訳はわからなかったが、俺はもう一度微笑みと共に手を差し出す。
「お嬢さん、お手をどうぞ」
小さな深呼吸の後、葛の指先が俺の手の平に乗せられた。その手を軽く握ってエスコートする真似をし
ながら、表情へ視線を移す。
『ありがとうございます』
唇の動きだけで告げられた感謝の言葉と、それに添えられた笑み。
はっきり言おう。そこにいたのは伊波葛じゃない。奴は芝村篤の付き添い役の“伊波柚姫”になりきっ
ていた。
あまりの変貌ぶりに、心の中で声にならない叫びを上げる。ギリギリ口に出すことはせず、
「――合格……」
と呻くように言った。
しかし同時に、激しい胸の動悸に耐えきれずに、倒れるようにテーブルにすがりついた。
「葵、大丈夫か」
棗が咄嗟に傾いたテーブルを支え、真っ赤になった俺の顔を覗き込む。
「棗、役目変わってくれない?」
「無理だ」
すっぱりと断られ、俺は男に見惚れた自分を心の底から罵った。

 ◇

「(…………ねぇ、葛)」
「(なんだ?)」
伊波柚姫の演技をやめて、葛が腕を組んでいると、雪菜がそっと呼びかけてくる。
「(葵にはいつもの葛のまま接してあげて。貴方の女装に見惚れて、冷静でいられないみたいだから)」
男にしてみれば、女装を見惚れられても、あまり嬉しくはないが、
「(わかった。人の目のない所ではいつも通りでいよう)」
テーブルに額を押し付けて、無言の叫びを上げる葵の後ろ姿を眺めながら答えた。



パーティー開始まで、あと1時間――






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どうしても葛さんに女装を、そして葵さんに正装をしてもらいたかったんです……!!
そして二人に互いに見とれ合ってほしかったwww

葛さんの偽名も、芝村氏の名前もテキトーです。
しいていうなら、桜井機関の人はみんな植物の名前が入っているので、そこにこだわってつけた偽名だ
ということと、芝村篤という名前は某GPMの主人公とヒロインの名前をくっつけたものです。
あ、別にこの主人公とヒロインが嫌いという訳じゃないですよ!軍人っていうイメージに合いそうだと
思っただけです。

2010/07/04

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