すべてが終わったら 新型爆弾についての一件がなんとか落ち着き、新京で休養を取っていたある日の昼下がり。 いつもよりぼんやりした様子の葵を気に掛けていると、ふいに彼は窓辺に腰掛け、朗らかに微笑みかけて こう言った。 「なぁ葛。俺と一緒に死んでくれよ」 「…………な、に……?」 あまりの内容に、辛うじて言えたのはそれだけだった。 “一生添い遂げよう”そういう風にも取れる発言だが、彼が手の中で持て余していたのは、綺麗に磨きあ げられたサバイバルナイフだ。決してプロポーズの言葉ではないことはよくわかる。 「聞こえなかったか?一緒に死のう、って言ったんだ」 彼が冗談で言っているようには見えなかった。いつもと同じ笑みが小さな恐怖を抱かせる。 「どう、したんだ……急に」 葛は動揺を隠しきれない。 葵は手の平をぺちぺちとナイフの腹で叩きながら、どこか遠くを見つめて言う。 「静音は記憶を失った。高千穂は死に、新型爆弾の一件は落ち着いた。桜井機関の仕事もない。あとは日 本に戻って、いずれやってくる第二次世界大戦とやらを待つだけ……」 はぁ、とため息をつく葵。そして虚無的に微笑む。 「俺、生きてる意味がわからなくなった。いずれ戦争で苦しむなら……葛、今のこの幸せな状態のまま、 二人で一緒に死のう」 葛は愕然とした。あれほど前向きで、自分を引っ張ってくれていた葵に、いったい何があったというのか。 ガタン、とぶつかった椅子がテーブルからはみ出た。それを直す余裕もないまま、葛は葵に歩み寄る。 「なぁ、葛。このまま一緒に……」 葵が葛に向かって手を伸ばす。葛はその手を取った。 「葵……。本気か……?」 深緑色の瞳が葵を見つめる。 「本気だぜ……?」 琥珀色の瞳が微かに笑った。 「わかった……」 葛は葵の持ったナイフに手を添える。そしてそのナイフを葵にそっと押し返した。 「まだ、駄目だ。俺たちにはやることがある。雪菜は棗や兄を失った悲しみから立ち直れていない。今こ こで俺たちが死んだら、彼女に深い悲しみを与えてしまう。せめて、彼女が自然に笑えるようになるま で見守るべきだ」 「そうだな。雪菜は妹みたいなものだから。彼女を悲しませることは極力避けよう」 葛は、そうだと言うように静かに頷く。それからこう続けた。 「棗の葬儀を行ってやらなければ。それから、記憶を失った預言者――遊佐静音も日本に送ってやらねば なるまい」 「確かに」 葵の納得した様子に、葛はホッとする。やるべきことを終えるまでに、なんとか死ぬことを思いとどまら せなければ。 そう考えていたのを遮るように、葵の手によって顔を引き寄せられる。 葵の座っていた椅子のひじ掛けに手をついて、葵の口づけに応じた。 甘くとろけてしまいそうになるキスに意識をとらわれていると、ぐいと腰を抱き寄せられ、あっという間 に葵の膝の上へ乗せられていた。 「葛……しよう」 そう言って、ナイフを傍らに置いたまま微笑む葵。葛は何も言わずに、ただ口づけだけを送った。 ニコリと嬉しそうに葵は笑う。鼻歌でも歌い出しそうなほどご機嫌に、葛の服をはだけていった。 笑顔と裏腹に全身に纏った死の気配。葛は快感に息を漏らしながら思った。 ――あぁ。葵が狂ってしまった。 ……と。 ----------------------------------------------------------------------------------------------- 序章、みたいなものです。本編でも、葵さんってたまにこういう心ここにあらずって感じでまともなこと 言ったりしましたよね……。 2011/02/14 |