テイルズ オブ ナイトレイド 2




午後の巡察は、市街地の中でも酒場の多い地区を見回って締めくくるのが恒例になっていた。
その日も葛は数人の兵士を率いて酒場の並びを巡回する。

「隊長さん!一杯いかがです?」
「結構。勤務中なので気持ちだけいただいておく」

気のいい酒場の主人達は時折こうして酒を勧めてくるが、仕事中なので当然断る。
この国では十八歳から飲酒が可能なので、奇しくも件の王位継承候補者と同じく今年で二十歳になる葛も
飲酒は可能だったが、元来真面目な性格の彼は祝いの席などで進められた時にしか酒を口にしなかった。
そのため下戸なのだと噂されたが、葛自身は意に介していなかった。唯一、彼が下戸ではないと知ってい
るのはプライベートで酒を飲み交わしたことのある彼の古い友人と、上司にあたる高千穂勲だけだろう。
日が暮れ、視界も悪くなってきた。そろそろ切り上げ、城に戻ろうかと兵士に声を掛けようとしたその時、
一つ向こうの通りが騒がしくなる。

「行くぞ」
「「「はっ!!」」」

先陣をきって駆け出した葛の後を部下の兵士が追う。人の波をすり抜けて現場に駆けつけると、そこは既
に落ち着きを取り戻し始めていた。
倒れたテーブルや椅子は客の手によって元の位置に戻されようとしていたし、割れたガラスの破片も一所
に集められている。

「王国騎士団、八番隊隊長の伊波だ。何があった?」
「たいしたことはない。ただの内輪もめさ。騎士団がわざわざ出てくることはないよ」

葛の問いに答えたのは明るい茶色の長髪をぞんざいに結い、肩からポーチをぶら下げた同い年くらいの男
だった。

「ちょっと双方に誤解があってね。でも、もう丸く治まったからお帰りになって大丈夫ですよ」
「しかし、怪我人もいる様子。詳しく事情を聞く必要がある」

王国の法律では、争い事による負傷者は保護対象者である。そしてその怪我を負わせた人物に対し、罰則
を与えなければならない。
葛は隊務を全うするため、男の横をすり抜けて行こうとしたが、男は尚も葛の前に立ちはだかった。

「怪我人とも店の主人とも話はついてる。騎士団の出る幕はない」
「それはこちらが決めることだ。当事者を出せ」
「必要ないって言ってるだろ」

葛の鋭い視線を受けても、目の前の男はたじろぎもしない。鳶色の瞳で、葛の視線を真っ向から受け止め
ていた。

「葵さん……」

男の後ろから、事件の当事者らしい別の男が不安げに顔を覗かせた。葵、と呼ばれた男は片手でその男を
制し、にやりと笑ってみせる。

「大丈夫だ。俺がなんとかしてみせる。アンタが国の罰則を受ける必要なんてない。話はもうついたんだ
 からな」
「うぅ……、頼むよ葵さん……」

周りの客からも「私からもお願いだよ……」と、すがる視線を受け、葵という男は力強く頷いた。
葛は僅かに眉を歪めながら周囲を見渡し、再度、葵に視線を向けた。

「規則は規則だ。騎士団が争いの場に居合わせた以上、話だけでも聞かねばならない」
「アンタも頑固だな。騎士団の出番はない。第一、アンタらが到着したのは争いが済んだ後だろうが」
「被害の状況を見た。怪我人もいる。これだけ揃えば介入することに不足はない」

一歩も譲り合わない二人に、先にため息をついたのは葵のほうだった。

「わかった……。この手だけは使いたくなかったが、仕方ない」
「どうした。大人しく現場を明け渡す気になったか」
「違うよ」

葵は何かを諦めたように肩を落として首を振り、それから葛に向かって腕を伸ばす。
ぐい、と引き寄せられ、葵の手を振り払おうとしたが、「ちょっと相談があるんだ」と耳元で囁かれた言
葉に葛は動きを止めた。
囲うように葛の肩を抱き寄せた葵は、手袋をした左手の甲を葛の方に向けたまま、そっと囁いた。

「悪いんだけど、これに免じてこの場は引いてくれないか?」

一瞬だけ手袋がずらされ、その下に隠されていた王家の紋章は葛の目にはっきりと映った。

「お前は……!?」

ハッとする葛の視線を受けながら、葵は周囲を窺うように目線を逸らして答える。

「第十二皇太子。明日、十二番目の王位継承候補者になる男だ」
「……っ!?」

――この男が……!!
葛は息を呑み、間近で笑みを浮かべる男をまじまじと見つめた。

「権力に物言わせて我が儘通すの、嫌いなんだけどさ、アンタは権力に物言ってもらわないと話が通じな
 さそうだったから」
「決してそんなつもりは……」

自分が正しいと思ったことは目上の者に対しても貫き通す。だが今回は不明な点も多かったため、判断が
できなかった。

「なんにせよ。これで引いてくれるな……?」
「…………」

葵の言葉に、葛は静かに頷いた。ニカッと太陽のように笑った葵は抱き込んでいた葛を解放する。

「よかったな、おっさん。お咎めなしだってさ」
「本当か!?ありがとう葵さん!!」
「いいってことよ」

事の成り行きを見守っていた店の客達は一斉に安堵のため息をついた。ついてきていた騎士団の兵士は葛
を取り囲む。

「よかったのですか隊長!?」

葛は皇太子の命令だと言いかけて、ふと葵のしている手袋に視線を向けた。
王家の紋章を隠していたあの手袋。屋敷から出歩き、街に入り浸っているあの男が住民達に身分を隠して
いることは明らかだ。
ならば、大勢の市民がいるここでそのことを明かすのは躊躇われた。葛は葵の背に視線を向けたまま答え
た。

「場の空気を読め。俺がこの場を見逃すと言ったときの彼らの表情。安堵はしていたが、それは純粋に当
 事者の身の安否を気遣っていただけで、悪事を隠そうというわけではなさそうだ。被害者も一緒になっ
 て喜んでいる様子を見ると、本当に他愛もない喧嘩だったのだろう」
「はぁ……」
「目と感性を鍛えろ。高千穂団長なら俺ほど時間もかけずに判断を下されるぞ」
「は、はっ!!」

高千穂の名前を出され、兵士たちは畏まる。葛は兵士たちに先に城へ戻るように指示をして、葵が市民の
輪から抜け出してくるのを待った。太陽が完全に西の大地へ沈んでしまったので、城まで護衛しようと思っ
たのだ。
しばらくして、葛が離れた場所で待っているのに気づいた葵は、その意図も察し、後ろ髪引かれながら皆
に別れの挨拶を始める。

「そういえば葵さん。あの隊長さんになんて言って見逃してもらったんだい?」
「そうだ。どんな手を使ったんだ、教えてくれよ」
「え?あー、そうだな……」

葵は数秒、葛の方を向いて思案すると、ウィンク一つして答えた。

「俺の色気で虜にしちまった、ってとこかな★」
「誤解を招くような嘘をつくな!!」

つかつかと怒りを露わに詰め寄った葛に思い切り後ろ頭をどつかれ、葵は盛大にすっ転ぶ。

「なにすんだよ!!」
「あ……すまな……いや、今のは貴殿の発言に問題があるように思える」
「単なるジョークじゃないか!いちいち過剰に反応するなよ!」

葵の言葉に周囲の客たちは「え、冗談だったの?」という顔をする。その瞬間、葛の切れ長の目がスッと
細められた。

「う……。すまん」

先程は葛と対等に渡り合っていた男も、今回は威圧感に負けて体を小さくする。
葛は馬鹿馬鹿しいとばかりに首を振り、踵を返した。

「あっ、ちょ、ちょっと待てよ!」

振り向きもしない葛を葵は慌てて追いかける。隣に並びながら、唇を尖らせて言った。

「なんだよ。待っててくれたんじゃなかったのかよ」
「よく考えれば、貴方の王位継承権が生まれるのは明日。今日までは護衛の必要もなかったと気づいたの
 で」
「護衛は必要なくてもさ、どうせ帰るのは同じ城なんだから一緒に帰ればいいじゃないか」
「貴方は身分を隠しているのではないのですか?私とこのように歩いていては、住民にバレますよ」
「別に。ひた隠しにしているつもりはないさ。住民の何人かには王子だって言ってあるし。ま、信じてる
 奴は一人もいないけどな」

葵の言葉に葛は納得する。確かにこんなおちゃらけた男が王族とは誰も信じないだろう。
髪はぼさぼさ、衣服は整っているがところどころ油のような汚れがついている。左手の紋章がなければ、
葛自身、葵を王族とは信じなかったと思う。
対する葵は葛の身なりをまじまじと見つめ、どこか楽しげに笑った。

「さっき、八番隊の隊長って言ってたよな?もしかして、今の最年少幹部ってアンタのことか?“瞬光の
 サムライ”って呼ばれてる」
「そう、ですが……?」
「やっぱりな!あ、敬語なんていいって。どうせ同い年くらいだろ、俺たち」

くらい、ではなく同い年なのだが、葛はあえてそれを口にはしなかった。
葛が沈黙を守り続けているにも関わらず、葵は話を続ける。

「アンタのこと、噂には聞いてる。剣の腕なら騎士団の中でも一、二を争うって。遠目に模擬戦を見たこ
 とはあるが、“瞬光”って呼ばれる理由がわかったぜ」
「どうも」
「見た目もいいし、隊長としての指示力も高そうだ。街に出たら、さぞかしモテるんじゃないのか?」
「そういう目的で騎士団に入ったわけではない」
「あらら、お堅いんだな。けど、そういうところが好きな女の子もいるし、悪くはないかもな」
「だから、そういうことに興味はないと言っている」
「お国を守ることが第一、ってか?」

ふいに一段階下げられた声音に、葛は思わず葵を見た。眇めた目をした葵は、さっきとはまるで別人に見
える。

「騎士団の人間としちゃ、お手本みたいな奴だな、アンタ。だけど、それじゃ敵を作るだけだ」

そう言われて、葛の脳内には昼間の高千穂の顔が思い出される。高千穂と同じく、最年少で隊長に就任し
た自分に足りないもの。
家の名前、地位、期待。それらを裏切らないように意識を張りつめてきた。しかしそれ故に自分以外の者
に対しての意識が低すぎる。
自分でもわかっていることだった。
葛は葵から目を逸らし、無意識のうちにすがるような気持ちで刀の柄を握りしめた。その時、

「そう堅くなるなって!肩の力を抜けばいいんだよ!!」

ばしばしと葵に肩を叩かれてつんのめる。

「いきなり何を……!?」

振り返ると、葵はさっきまでと同じ笑みで葛を見ていた。

「簡単なことだ。もっと素直になりゃぁいい。身分なんかに縛られないでさ」

葵が言うと妙に説得力がある。まさに有言実行しているのが彼自身だからだろう。

「わかった……が、お前は縛られなさすぎじゃないか?明日からは自分の立場をもう少しわきまえるべき
 だと俺は思うのだが」
「あっはっは!余計なお世話。俺には俺の考え方ってのがあるんだ」

堂々と胸を張って答える葵。葛は眉間に皺を寄せてあからさまに「手に負えない」という表情を作った。

「ま、これからよろしく頼むぜ、えっと……伊波?」
「伊波葛だ」
「葛か!よろしくな葛!」
「ほどほどに……」
「おいおい連れないなぁ」

ははは、と笑う葵に、葛は小さく首を振るだけだった。



 ◇◆◇



翌日の葵の王位継承候補の式典には騎士団幹部の葛も出席した。
葵のぼさぼさ髪は整えられ、衣服も式典用の礼服を身につけていた。
葵は出席者の中に葛を見つけると、それまで無表情でいたのを一瞬だけ笑みに変える。
それを受けた葛は「阿呆」と声に出さずに呟いた。何を言われたのか気づいた葵は小さく唇を尖らせ、し
かしまたすぐに笑った。
葛にはなぜ葵が笑ったのかわからなかったが、その様子を離れた場所で見ていた高千穂にはなんとなく理
由がわかった。

「(いつの間に仲良くなったのかな、あの二人)」

まるで友人同士がする悪ふざけのようなやりとりに、思わず頬が緩む。
高千穂は昨晩、自分の元に届いた依頼書を懐から取り出し、広げた。
そこには葵によるサインと、自身の護衛についての依頼文が書かれていた。



王国騎士団 騎士団長 高千穂勲殿

明日からの護衛の件について。
先日お断りしておいて恐縮ですが、是非とも下記の者にお願いしたい。
騎士団八番隊隊長、伊波葛殿。
よき計らいを期待しております。 
                  三好葵



高千穂は手紙を再び懐にしまうと、くすくすと声を殺して笑った。

「(世の中、わからないものだね……)」

――君には、わかっていたかな……。
彼は誰もが忘れてしまった女性の名を呟いて、顔を上げる。



三好葵の成人式典は滞りなく、無事に終了した。




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ようやく葵王子のご登場www別にもったいぶってたわけじゃないんだけど、思いの外「1」が長くなっ
ちゃって、「あっ、これもう葵さんは次回でv」とうことでまさかの主人公未登場回となりました(笑)
たぶん、この騎士団パロは葵さんの扱いがかなりひどいことになると思います。まさに私の「受けに守ら
れる攻め」という姿勢が前面に出される結果になるんじゃなかろうかと……。
それから、お兄様もかなりフリーダムに動くことになると思います。それに振り回される久世さんは、既
に私の友人からはお母さんポジションに認定されてます(笑)

2010/10/16

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