君の泣く声が聞こえたから 3



昼には戻る、と言った三好さんは別の取引先との商談で遅れ、結局、日が暮れてから岸田さんのマンショ
ンにやって来た。
三好さんは岸田さんよりもほんの少し背の高い、薄い色素の髪色をした男性だった。銀製のフレームの眼
鏡をかけ、そのグラスの向こうの瞳の色も薄い水色で、少し冷たい印象を覚える。けれど、彼の表情はに
こやかに微笑んでいて、手には土産の袋なんかも携えていた。

「ただいま帰りました。岸田さん、ちゃんと俺のいない間、他の男に色目使ったりしませんでしたか?」

リビングのドアを開けて入って来るなり、俺がいるのも構わず三好さんは言った。俺が席を外そうか迷う
間もなく岸田さんが椅子から立ち上がり、三好さんの口を手で塞ぎに行く。

「君はっ、それしか頭にないのか!?ここには彼もいるんだぞ!?」

しかし三好さんは軽々と岸田さんの手を拘束すると、唇が触れそうなほど近くで囁くように言った。

「だって、俺が出張中に嫌な予感がして電話したら、勝手に知らない男を連れ込んでるじゃないですか。
 後手になりましたが、このくらいやって牽制しておかないと、アンタ、簡単に食われますよ?」

あんな風にしたら、葛だったら簡単に俺のこと投げ飛ばすんだろうなぁ……、などと考えていたら、岸田
さんの肩越しに三好さんの視線が俺に向けられていた。あからさまな敵意を向けられていると気づき、対
処に困って苦笑いを浮かべる。

「電話では三好くんに代わってやっただろう!?いいから手を離せ!!」

なんとか拘束から逃れようともがく岸田さんをあざ笑うように腰を抱き寄せて、自分の腕の中に抱え込む
三好さん。そのままの状態で三好さんは俺に笑顔を向けて言った。

「実際に顔を合わせるのは初めてですね。はじめまして、三好克哉です。岸田の上司でこういう関係の者
 です」
「三好っ!!彼に敵対心を持つ必要はない!!彼には彼の思い人がいるんだ!!」

思いも寄らぬ助け船が出た。怒りか恥じらいか、顔を真っ赤にした岸田さんが悲鳴のような声で叫ぶ。

「へぇ……」
「留守中に失礼しました。三好葵ですー……」

三好さんは片眉を上げて俺を見た。そのとき力が緩んだのか、岸田さんが三好さんの腕から逃げ出す。

「まったく……!!いいから君は荷物を置いてきたまえ。話はそれからでも十分だろう」
「そうですね――」

岸田さんがいなくなって手持ち無沙汰にしていた手が傍らに置きっぱなしになっていたキャリーケースを
掴み、三好さんは踵を返した。

「ついでに自分のコーヒーも煎れてきます。土産のカステラでも食べながら、“彼”の話を聞きましょう」

パタン、とリビングの扉が閉じると、岸田さんは大きなため息をつく。どっと疲れが押し寄せたような表
情をしていたが、口許や目の端には笑みが残っている。あれほど嫌がり、怒っているように見えたのに、
やはりあれは照れ隠しでもあったらしい。俺は葛を思い出して、こっそりと笑った。

「……なにを笑っている?」

岸田さんはこういうことには目ざとい。俺は手を振って「思い出し笑いです」と答えた。

「きっと俺が今の三好さんみたいにしたら、葛には投げ飛ばされるだろうな、と思って」
「まったく……。仕事のパートナーとしてはあっちの三好のほうが数倍できそうだが、日常生活を共にす
 るとなったらこちらの三好のほうが平和でよさそうだ」

耳まで真っ赤になった岸田さんがそう呟くと、荷物を置きに行った筈の三好さんがコーヒーを手に、ヒョ
イと戻ってくる。

「聞こえていますよ、岸田さん」

煎れたてのコーヒーをテーブルに置いて、岸田さんの背後に回り込むと、いとも簡単に岸田さんの手を拘
束して、顎を上向かせた。

「それでも結局、貴方は俺を選んだ筈だ。なにしろアンタはひどく扱われて感じるドMだからな」
「み、三好っ!!」

なんとか拘束を逃れようともがく岸田さんだったが、岸田さんもそこそこ体格はいいほうなのに三好さん
の腕はびくともしない。なにかコツでもあるのだろうか……。
俺はその様子を眺めながら、コーヒーをすすった。

「俺たちの関係がバレているなら、変に取り繕う必要はないだろう」
「あ、俺のことはお気になさらず。邪魔になりそうなら一時間くらいぶらついてきますよ」
「三好くんも変な気を回さなくていい!」

岸田さんが泣きそうな声で叫ぶと、三好さんはあっさりと岸田さんの拘束を解く。俺はコーヒーカップを
置いてにっこりと笑った。

「「冗談ですよ」」

俺と三好さんの声がハモる。岸田さんは拳を握りしめて項垂れた。

「〜〜〜っ!君たちはっ、実は血縁者で、私を陥れようとしているんじゃないのか!?」
「あっ、それはないですよ。今は事情があって“三好”を名乗ってますが、俺の本名、“小野”って言う
 んです」
「妄言を吐くのもいい加減にしてくださいよ、岸田さん。いくら激しいのが好きだからって、他人を入れ
 て3Pなんてお断りです」
「誰が、いつ、そんな事を言った!?いいから貴様は真面目に解決策を考えろ!!」

これ以上怒らせてはマズイ、と直感で思うと、三好さんも経験上わかっているのか「それじゃ、真面目に
話しましょうか」とテーブルから椅子を引いて座った。

「まずは、こんなことになった経緯を詳しく聞かせてもらおうか」

クイ、と三好さんが眼鏡を上げる。俺は昨日、岸田さんに話した内容に自分の仮説も盛り込んで話をした。

「特殊能力を持った諜報員、ね……。それで、その特殊能力が何らかの変異を起こして君をこの時代に飛
 ばした、と?」
「そうは考えられませんか?」

俺の話に三好さんも岸田さんも難色を示す。そもそも、特殊能力というところから信じるには怪しい話な
ので仕方ない。
俺は部屋を見渡して、電話機の横に置いてあったボールペンを持って戻ってくる。

「俺の能力はサイコキネシス。物体を動かす能力です」

そう言って、手に持ったボールペンに意識を集中する。やがてそれはふわりと宙に浮き、それを見た二人
が息を呑む気配がした。俺はボールペンが自分のコントロール下にあることを確認して、宙に浮かせた状
態のまま元のあった場所へ戻した。

「――最初は俺の力が変異して、タイムスリップを起こしたのかと思いましたが、きっと違います。そも
 そもの性質がタイムスリップとサイコキネシスでは違いすぎる」
「そうだな……。タイムスリップは本を正せば空間や時間を操る力だ。サイコキネシスのように物体に働
 きかけるものとは少し性質が異なる」

三好さんの言葉に俺は頷いた。俺の能力が変異したなら、時空間の転移ではなく、例えば墜落した飛行機
が消失したり、炎を鎮火させたりといった効果が見られたほうが可能性としてはあり得るのだ。

「三好くん、その、直前まで君と一緒にいた伊波くんも、君と共にこちらの時代に来ているという可能性
 はないのか?」
「俺が飛行機から脱出する直前、あいつが無事に森の中に移動できていたことは確認してますから、それ
 はないと……」

そこまで言って、俺はハッとする。空間移動の能力者なら、あの時、すぐそばにいた。

「葛……。アイツの能力は空間移動、テレポートだ。それがなんらかの作用で時空までも越えてしまうテ
 レポート能力に変異して、俺を飛ばしたのだとしたら……」
「あり得ないことではないな。だがそれなら尚更、なぜ彼は君をタイムスリップさせたんだ?そもそもテ
 レポート能力があるなら、君を安全な場所に移動させれば済む話ではないか」
「それは、そうですが……」

三好さんの言葉に、俺も頭を悩ませる。
そう、葛の能力が変異して、仮に能力の制限も無視されるものになっていたとしても、わざわざ時間を超
え、しかも満州から遠く離れた日本に俺を飛ばした説明がつかない。
それぞれ考えに耽って保たれたままだった沈黙が、ふいに岸田さんの椅子を立ち上がる音で終わりを迎え
る。

「岸田さん……?」
「ちょっと、気になることを思い出した。待っていてくれ」

そう言い残すと、岸田さんは部屋を出て行き、数分後、使い古した手帳を持って戻ってきた。

「三好くん、君は何年生まれだ?」
「え?えっと、大正十年ですけど……」
「とすると、仮に生きていたとして九十歳を越えているわけか……。現代の医療技術なら生きていてくれ
 る可能性もあるが……」
「岸田さん?まさか現代の三好くんにコンタクトを取るつもりでは……」

手帳を睨みつけたまま、思考を巡らす岸田さんに、三好さんが訝しげな声を上げる。
岸田さんは手帳のページをめくりながら言った。

「それは次の手だ。三好くん、確か伊波くんとは同い年だと言ったね?」
「え、ええ。はい。……でも、俺はアイツの本名も知らないし、実家の場所だって関東にあることくらい
 しか。それに第一、アイツは桜井機関がなくなればきっと軍隊に戻る。そうしたら日本が……日本が負
 けた第二次世界大戦にも出ていた可能性がある。生きている可能性は俺よりも……」
「いや、きっと生きていたよ」

「なにを根拠に……」と三好さんが言う。
岸田さんは手帳をめくる手を止め、とあるページを開いてみせた。

「これはうちの親族の結婚や不幸についてのメモだ。私の家は分家であまり交流はないのだが、武家の流
 れを汲むだけあって親戚づきあいには口うるさいんだ。そのためこうして手帳に記してあるわけだが……。
 見たまえ」
「“岸田琢磨”……?もう随分前に亡くなってるじゃないですか。この方がなにか……?」

写真はない。文字だけが数行連なった場所に目を走らせ、俺と三好さんは岸田さんを見る。岸田さんはメ
モ帳とボールペンを持ってくると簡単な計算式を記し始めた。

「亡くなったのがこの歳で、そこから生まれた年を割り出すと、この方も大正十年の生まれだ」
「まさか、この人が“伊波葛”だと……!?」
「そうは言っていない。だが、私の記憶が確かならば、この人は戦前に諜報機関にいたという話を聞いた
 ことがある。本人でなくとも、本家に問い合わせたらなにか手がかりが残っているかもしれない」

それに、と岸田さんは言う。

「私の容姿は葛くんにそっくりなのだろう?」

笑みを消し、こちらを見据えてくる岸田さんに、俺は葛の姿を重ねて見る。

「は、い……」

葵、とアイツの声で呼ばれた気がして目を瞠る。けれどそれはもちろん幻聴で、目の前の岸田さんはただ
口の端を上げて笑っただけだった。

「親戚とはいえ、余所者に近い人間がいきなり電話するには今日はもう遅いので、連絡を取るのは明日に
 なってからにしよう」
「時間はいくらでもある。ただ最悪、死ぬまでこちらの時代で過ごすことは覚悟しておいてもらう必要は
 あるな」

三好さんが言った。俺は苦笑して「そうですね」と応えたが、心の中は穏やかではなかった。
その時、ちょうど三好さんの携帯電話が鳴って、どうやら取引先からの電話で岸田さんも話に加わった仕
事の内容になりそうだったので、俺は客室へ戻ることにする。
窓辺に寄って、夜のオフィス街を見下ろした。昨日よりも早い時間であるせいか、スーツを着た人が帰宅
のため、せわしなく歩いている。遠くに目を遣れば、会社員ではない女性や男性の姿も見えた。
けれど、どこにも見知った姿を見つけることはできない。

「葛……。静音、雪菜……」

知らず、ため息と共に漏れた名前。
最悪、俺は元の時代に戻れなくても、覚悟はできよう。だが、何も知らずに残してきた仲間は……?
コツ、と窓に額を当てた。同じ地球にいるのに、時間の壁が再会を拒む。今、部屋の内と外を分ける、こ
の薄いガラスのように。
俺は仏と神を恨む気持ちで空を見上げた。曇っているため、星はあまりよく見えない。そんななか、夜空
に光を落とすものが一つだけあった。

「月、か……」

下弦の月から段々細くなっていく月は、明日には完全な新月になるだろう。
俺は、月の満ち欠けに力を左右される仲間の姿を思い出した。最期まで未熟な俺たちを見守ってくれた男。
決して皆の先頭に立つような奴ではなかったけれど、誰よりも状況を理解して、俺たちを支えてくれた。

「なぁ、棗……。お前ならこういう時、どうするんだ?俺はなんだか、くじけそうだよ……」

自分では柔軟な思考が強みだと思っていたけれど、そんなの上っ面だけだ。一人になると思い知らされる。
俺は、守りたい人がいて、それで見栄を張っていただけなんだと。実際は、“誰かのために”なんて言っ
ていないと、何もできない弱っちい人間なんだと。

「元の世界に……、みんなの所に帰りたい。なぁ、棗……」

――俺はどうしたらいい……?

きっと彼がここにいたとしても、その方法はわからないだろうに、俺は問いかけずにはいられなかった。
無意識に愛する人の面影を岸田さんに重ねていた。三好さんに揶揄われる姿を見て、それを自覚してしまった。
三好さんと岸田さん、二人が一緒にいる姿を見ているのが辛い。
岸田さんが三好さんに向ける笑顔が、最後に見た葛の笑顔と重なる。

「葛……。俺は今すぐ、お前に会いたいよ……」

この手で触れて、抱きしめて、キスしたい。



月にでも願うように、俺は限りなく細くなった夜空の唯一の光をただずっと眺めていた。



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三好さんが最強すぐるwww
ここまで俺様だと、清々しくなりますね(笑)この回は三好さんに全部持っていかれるんじゃないかとヒヤ
ヒヤしましたが、最終的に葵さんの切ない感じで続きに繋げることができました。

能力の分類とか、納得出来そうで、なんとなく騙された感の残る解釈で申し訳ない……。

次には葵さんを元の時代に返してあげたいよ!
長い目で更新を待っていただけるとありがたいですっ!!

2010/10/03

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