君の泣く声が聞こえたから 2 翌朝。俺はフライパンで炒め物をするジュージューといういい音と、匂いに目を覚まし、ダイニングに向 かうと、既に身支度を整えた岸田さんがキッチンでフライパンを振るっていた。 「岸田さん、おはようございます」 俺が声を掛けると、岸田さんはフライパンから目玉焼きを移しながら「あぁ、おはよう」と返してきた。 「顔を洗うなら、タオルは昨日教えた場所にある。着替えは少し待ちたまえ。今出してこよう」 「あ、ども、すんません……」 岸田さんはフライパンを平らな台の上に置くと、その上に新しく卵を割った。さっきと同じようにジュー ジューと音を立てて卵の白身が白くなっていくのを見て、俺は開いた口が塞がらなくなった。 「……?どうした三好くん。何かわからないことでも……」 「それ!なんの魔法ですか!?」 俺は岸田さんのそばまで寄っていくと、フライパンの上から横から、どんな仕掛けがあるのかと調理の邪 魔にならないように探り始める。 「魔法?……あぁ、これはIHクッキングヒーターといって、電気で熱して調理するためのものだ。ガス コンロのように火を使わないから、火事になる心配もないし、環境にもいい」 「電気で!?この平らな所、全部がそうなんですか!?」 「この円が描かれているところは全部そうだ」 「全部で3つも!?」 昨日とは違った衝撃が俺を襲う。岸田さんの目が何か言いたそうだが、俺は今、それどころじゃない。 「あっ!こっちのはなんですか!?そっちの黒いのは!?……ん!?なんか今、ピピピッて音がしましたよ!? こっちはなんですか!?」 昨晩は沈黙していた機械たちが朝になって稼働を始め、俺の好奇心は留まるところを知らない。 キッチンとダイニングの端から端まで駆け回って、岸田さんのため息にようやく足を止めて振り返った。 「岸田さん?」 「君は……、まるで新しいおもちゃを与えられた犬だな」 「?」 岸田さんは俺に見えない耳と尻尾でもあるかのように、シッシッとキッチンから俺を追い出す。 「顔を洗って着替えてきたまえ。朝食を食べながら、君の好奇心には応えることにしよう」 「?……はーい」 俺は大人しく指示に従って洗面所に向かう。用意された服に袖を通し、ダイニングに戻ると、テーブルに はトーストとサラダと目玉焼き、そして湯気の立つコーヒーが用意されていた。 食卓に並んだドレッシングやジャムの容器にさえも俺が質問を投げかけるので、岸田さんは「食べた気が しない」と言って食後のコーヒーを飲んだ。 「君は本当に好奇心旺盛だな。こういった機械類は好きなのか?」 「ええ。留学先で欧米の文化を直に見てからずっぽりと……。カメラの扱いや車の運転もその頃から」 けど……、と俺は窓の外を見る。 「昨日の夜、見たところだと、21世紀の車は静かですね。俺のいた頃とは全然違う。この様子じゃ、カ メラなんてもっとすごい進化をしているんじゃないんですか?」 岸田さんは口許に笑みを漏らし、「そうだな」と言う。 「近頃ではデジタルカメラが主流で、撮ったその場で画像を確認できるものが多い。昨日、君に見せた携 帯電話にも写真撮影の機能はついているし、動画も撮影できる」 「動画!?動画って……トーキー?」 「いやいや、ビデオカメラで……、と、そうか、君のいた時代ではビデオカメラもないのか」 なんのこっちゃ、と首を傾げながら、岸田さんの言う物の名前や技術から想像を膨らませていく。さぞや 今の俺は目を輝かせて岸田さんの話に食いついていることだろう。 「三好が帰ってくるまで、君の好奇心に付き合うことにしよう。今日は休日だし、仕事も一通り済んでい る。元の時代に戻るにしろ、このままこの時代で生活するにしろ、知っておいて損ではないし、思い出 にもなるだろう」 「ありがとうございますっ!」 俺はもともと機械いじりは好きだが、何かを発明できるだけの頭はない。この時代の機械について知った ところで、元の時代に戻って自力で発明品を生み出すことは到底不可能だろう。 あとは未来の出来事を知って、過去を変えてしまう可能性だが、その心配も少なかった。なぜなら俺は、 未来を知って謀反を起こした男を知っている。未来を知る力を得たことで運命を狂わされた女性を知って いる。そして、未来を裁くのは結局、時の流れなのだということも。 ならば、俺がこの時代で知ったことを、元の時代でどう生かそうと、世界がそれを受け入れるか、拒絶す るかを選択するのだ。よほどのことがない限り、俺一人の影響力はたかが知れてる。 ◇◆◇ 俺は岸田さんの言葉に甘えて、掃除をするという岸田さんの後をついてまわり、さっそく家中の機械につ いて聞きまくる。 もっとも興味を惹かれたのは、超薄型の大型テレビ。色がついていて、まるで実際の風景を見ているみた いに画質がいい。そしてそのテレビに映される物は、さらに多くの驚きを俺に与える。 「海外での撮影なんてざらにあるんですね。この時代には、外国の文化を取り入れることに寛容になった のか」 「一部の人間の間にはまだ確執はあるし、国交も完全回復とはいかないが、昔のように海外旅行が珍しい という時代でもなくなったな」 「そうなんだ……」 掃除を終えた岸田さんとソファーに座り、ワイドショーというものを眺めながら、俺と岸田さんは会話を 交わす。 やがて昼の12時になり、ニュースに切り替わる。 その時、俺は恐ろしい未来を知ってしまった。 「げん……ばく……?」 ニュースキャスターは、今日が長崎県長崎市に核爆弾が投下された「長崎・原爆の日」であることと、同 時に追悼式の様子を伝える。ハッとした岸田さんがチャンネルを変えようとリモコンに手を伸ばすのを、 俺が阻止する。 「三好くん、これは……」 「見させてください。お願いします」 俺は食い入るように、追悼式の様子や、遺族の方のインタビューを聞いた。 ニュースが別の話題に移り、終わりを告げた後も、衝撃が大きすぎて、うまく言葉が出てこない。 「三好くん」 呆然とテレビを眺めていた俺の前に、グラスが差し出される。いつの間にか席を離れていた岸田さんが 作ってきてくれたらしい。 「三好くん、大丈夫かね?」 俺はそのグラスを受け取ると、なんとか頷いた。 「はい……。ありがとうございます」 「すまない。あのニュースは事前に予測できたものなのに、君には衝撃が強かっただろう」 俺はただ黙って、唇を引き結んだ。頭の中を様々な記憶がフラッシュバックする。 力を込めるあまりにグラスの中身が波立つ。俺はグラスをテーブルに置いて、両手を組み、額に押し当て た。「くそっ!」と何度も毒づく。 高千穂勲の見ていた未来は正しかった。俺たちがしたことは無駄だった。あの新型爆弾は、日本に落とさ れたのだ……。 「――原爆、原子力爆弾は、世界で唯一、日本にだけ落とされた核爆弾だ。広島と長崎がその被害を受け た。第二次世界大戦は。これが決定的となって日本が負けた」 岸田さんの声がそのままナイフになったみたいに胸に突き刺さる。 「君が生きていた時代は、世界の緊張が高まっていた時代だろう。この事実を知ったことで心に傷を負わ せてしまったかもしれない。少し横になるかい?」 「いえ……」 俺はなんとか声を絞り出す。ゆっくり大きく息を吸って、同じだけ時間をかけて息を吐く。吐きながら、 俺は顔を上げて言った。 「さっき言ってた、一部の人間にある確執って、この戦争のことなんですね。俺たちのいた時代の中国で も、既に日本に対する印象はよくなかった」 「……そうだ。逆に、日本人も敵対していた国に対していい感情を持っていない人もいる」 「国民を巻き込んでの戦争、か……」 「その結果の敗戦、だ」 くっ、と唇を歪めた。軍人として、国に尽くすと覚悟を決めていた兵士たちは何も報われなかったという のか。戦地に赴く兵士を見送った家族に傷痕を残しただけだったのか。 俺は最後に握手を交わした相棒の姿を思い浮かべる。悲しいまでに一途だった彼は、例え桜井機関にスカ ウトされなかったとしても、その未来に報われるものが何もなかったというのか。 「……俺たちは、俺たちはっ!仲間を失って……、家族を、夢を、恋人を失って……、それなのにっ、な にも救えなかったってことですか!?」 「君がどういう人生を歩んできたのかはわからないが、核兵器というものがこの世に生まれてしまったか らには、世界は常に恐怖にさらされている。恐怖の上に成り立っているのが今の平和な世界だ」 高千穂勲が導き出した答え。それはある意味で正しかったのか。 圧倒的な力による痛みを知ることで、世界は平和になる。 ただし、彼の考えと違っていたのは、それが日本人だけが知る痛みとなってしまったこと。 雪菜を守り、逝った男。俺はもっと早く彼に賛同して、その手助けをするべきだったのか? ――そうすれば、日本だけがこんな痛みを背負わなくてもよかったのか……? ニュース番組が終わり、世界を巡る旅番組に変わったテレビからは楽しげな声が漏れてくる。 岸田さんがリモコンに手を伸ばし、今の重い雰囲気に合わないと思ったのだろう。テレビを消そうとした。 けれど、俺はそれをまたしても遮る。 「三好くん……?」 「――違う……」 俺は、ただテレビを眺めていた。金髪で青い目をした女性と、黒い肌で真っ白な歯を見せて笑う男性、そ して黒髪黒目の日本人女性、他にもいろんな外見の人が祭を楽しんでいる。 「違う、よな……。やっぱり、平和のために、誰かが傷つくなんておかしい。あの時、上海に新型爆弾を 落とすことは阻止してよかったんだ」 「上海に、爆弾……?」 岸田さんが首を傾げる横で、俺はテレビの中の旅人が外国の地で旅行を楽しむ様子に目元を緩ませた。 「……ったく、日本人はすげぇな。戦争のことなんて忘れて、こんなに白人と和気藹々とできるなんて」 それは、テレビに映されている彼女たちが実際に戦争を体験していない世代だからかもしれない。そうか もしれないが……。 俺がそう言うと、岸田さんもテレビを見て言った。 「そうだな。確かに戦後直後は日本は傷だらけだった。だが、それでも彼らは本当の意味では負けなかっ た。だから現在のような技術や経済の発展がある」 聞くと、日本の自動車生産業は世界でも有数のものだそう。また、コンピューター開発事業や、宇宙開発 事業にも手腕を発揮しているそうだ。 俺はテレビから、窓の外に目を遣る。窓から見える景色には、軍人が我が物顔で闊歩していたり、空襲に 怯える人の姿などない。皆、ランチタイムを楽しみに、同僚などと笑って歩いていく。 「戦争や兵器が完全になくなったわけじゃないし、それ以外にももっとたくさん問題があるとは思う。け ど……」 「“けど”、なんだい?」 俺の頭の中には、上海に来て知り合った中国人の少女の姿が浮かんでいた。商売人根性が逞しく、いつも 笑顔が絶えない少女。上海を焼け出されても、そのはつらつとした笑顔は曇ることがなかった。思い出す と、自然と笑みが漏れた。 「俺は、戦争だなんだと殺伐した生活より、やっぱりみんなが笑って過ごせる生活のほうがいいと思いま す」 「――それは、誰しも願っていることだと思うよ」 「そうですよね」 テレビでは、日本人の旅人が美味しそうにスペイン料理をレポートしていた。 「そろそろ昼食にしようか」 岸田さんが言った。 「はいっ」 俺は今にも虫が鳴きそうな腹を押さえて応える。グラスに残っていたミルクティーを飲み干すと、甘みが 口の中に広がり、知らず強ばっていた肩の力も抜けた気がした。 ---------------------------------------------------------------------------------------------- やっぱりむずかしい(笑) 戦争の話とか国交の話ってかなりデリケートな話ですよね。こんな、趣味の領域の文章で語る問題じゃな いと思います。 ので、そこらへんの二人の会話や葵さんの考え方は、物語を進めるために―― 一応、私なりに真面目に 考えたのですが――取り敢えず書いたということで、あまり深く考えないでいただきたいと思います。 次回はようやく、三好さん(実物)の登場ですよ。 2010/09/26 |