君の泣く声が聞こえたから 1



右を見ても壁。左を見ても壁。上も下も壁で、正面には星空が広がっていた。
どういう訳か、俺は四方を壁に囲まれた場所に上を向いた状態ではまっているらしい。

「よっこらせ」

腕を抜いて壁の上に手をつくと、勢いをつけて体を壁の上に引き上げる。

「――……どこだ、ここ?」

壁はたいして高くなく、容易に登ることができた。周囲を見渡すと、見たことのない高い建物が所狭しと
建っている。
道は整備され、広い道は自動車が走っており、その両脇にある歩道をおしゃれな街灯が照らしていた。
欧州を旅していた時も、こんな風景は見たことがない。まるで空まで届きそうなほど高い建物に、見上げ
ていた首が痛くなった。

「バベルの塔……みたいだな、こりゃ」

一人呟いてみても、誰も応えてはこない。そもそも、どうして自分がここにいるのかが理解不能だった。
新型爆弾を空の彼方へ押し上げて、飛行機から脱出を図った。墜落する機体から飛び降りたものの、思う
ように能力が使えない。どうやら力に頼りすぎて、限界を見極められていなかったらしい。
俺は先に地面に墜落した飛行機の後を追うように、燃えさかる炎の中にまっさかさまに落ちていった。


死ぬのか、と思った。

だけど、

死にたくない、と思った。


次の瞬間、俺は視界を真っ白に覆う閃光に包まれ、気が付いた時にはこの状態だった。

「死後の世界……とかじゃないよな。どう考えても」

途方に暮れて頭を掻く。とにかく、周囲を散策してみようと壁から飛び降りた。幸いなことに、能力を
使った後の疲労感は解消されているらしい。

「……腹の虫はご機嫌斜めみたいだけどな」

ぐぅ、と鳴った腹を押さえてひとりごちる。
壁から下りて振り返ってみると、どうやらそこは地下道へつながるスロープが折り返す部分の隙間だった
らしい。我ながら器用な場所に挟まっていたものだと思う。
地下道では周囲の様子がわからないので、取り敢えず地上の道を歩いてみることにした。
今が何時なのかわからないが、余程遅い時間なのだろう。人通りがまったくと言っていいほどない。車通
りはあるし、建物の中には人影も見えるのだが、すれ違う人がいない。

「これじゃ、道を聞くこともできないな……」

建物の中に入って、とも考えたが、入り口がわからない。まさかガラスを破って侵入する訳にもいかない
ので、せめて地図でもないかと辺りを見渡すが、そう都合のいいようにはいかない。
不審者扱いされても困るので、控えめに周囲を窺いながら歩いていると、ぐるぐるまわって同じ場所に
戻ってきてしまった。
振り出しに戻った、と告げられているようで、しかもそんな時に腹の虫が鳴る。やる気が一気に損なわれ
た。

「駄目だ。腹が減って動けない……」

花壇の縁に腰掛け、項垂れる。深い深いため息が漏れた。
どうすればいいのだろう。なんの手がかりもなく、尋ねられる人もいない。
俺は最後に別れた相棒の顔を思い浮かべた。

「心配してっかなぁ、あいつ……」

初めてまともに見せた笑み。抱きしめたくなる衝動を抑え、ただ手を握るだけに留めた。
こんなことになるなら、やっぱりあの時、抱きしめておけばよかったと思う。
はぁ、とまたため息が漏れた時、コツコツと革靴の規則正しい足音が耳に届いた。
やっとに人に会えた。安堵と喜びで顔を上げた瞬間、目を瞠る。

「葛……?葛っ!!」

別れた時とは違う、仕立てのいいスーツを着ていたが、俺は飛ぶように立ち上がって歩いてきた人物に抱
きついた。

「なっ、なんだ!?貴様っ……、離れろッ!!」

力一杯抱きしめた腕の中で、その人物は暴れ出す。悲鳴のような声に「ん?」と首を傾げた。

「あれ……?」
「なんなんだ、一体!?警察を呼ぶぞ!!」

腕の力を緩めた隙に、ドンッと体を押し返されてよろめく。息を切らして俺を睨みつける人物の顔をまじ
まじと見て、俺は頭の中が真っ白になった。

「あ、れ……?」

几帳面に撫でつけた髪や、神経質そうな眉間のしわ、冷たい印象を持たせる目、透けるような白い肌。
それらはすべて、自分が愛した相棒とそっくりだったが、よく見ると別人だ。目の色や声が違う。

「す、すんませんっ!人違いでしたっ!!俺、腹減って、仲間とはぐれて、ここがどこだかわからなくて、
 腹減って……。と、とにかく、すいませんでしたっ!!」

地面に額をすりつけて平謝りすると、俺が葛と間違えた人物は息をつき、腰に手を当てて俺を見下ろした。

「顔を上げたまえ。そんな格好をされると目立ってかなわない。どうやら、何か事情があるようだから、
 私でよければ話を聞くが……?」

俺の非礼を許してくれるばかりか、事情を察して力になってくれる……!?
俺はガバッと顔を上げて、その人の手を取った。

「ありがとうございますっ!」
「き、君は……っ、感情表現が豊かすぎじゃないかね……っ」
「よく言われます!!」

ぎゅっと力を込めた手から逃れようと身を引きながら、その人は困惑したように眉根を寄せた。

「いいから、手を離したまえ……」
「あっと、失礼。あ、俺は葵って言います。三好葵」
「三好……?」

俺が名乗ると、その人は僅かに首を傾げる。どこかで面識でもあっただろうか……?

「あの……?」
「ああ、いや。なんでもない。――私は岸田。岸田孝典。そこのビルに入っている会社に勤めている者だ」
「岸田、孝典さんね」

俺が確認するように名前を言うと、岸田さんは小さく頷いた。それから俺の前に立って歩き出す。

「先程、君は腹が減ったと言っていたな。この辺りで、こんな夜更けに開いている店はもうないだろうか
 ら、どこかの店のテイクアウトで我慢してもらえるかな」
「えっ!?まさか、奢ってくれるんですか!?」
「君のその様子だと、どうやら財布も携帯電話も持っていないようだからね」

――なんていい人なんだ……!!
俺は仏様にでも会ったような心地で岸田さんを見つめた。彼は呆れたように苦笑いすると、「ついて来た
まえ」と言った。

「君は、見たところ会社員ではないようだが……?」

歩きながら、岸田さんが言った。

「あ、俺は一応、写真屋……でした。今はちょっと事情があって、休業中なんですけど」
「カメラマン、ということか?」
「ええ、まぁ……」
「道に迷っていたようだが、どこへ向かう途中だったんだ?」
「いやぁ、“どこへ”というか。気が付いたらここにいて……。強いて言うなら、“新京”かな?皇帝即
 位式典がどうなったか、興味があるんで……」

俺がそう答えると、岸田さんの足がぴたりと止まる。慌てて俺が振り返ると、彼は不機嫌そうな顔でさっ
きのように俺を睨みつけていた。

「君は、私をからかっているのか……?ここがどこで、今が西暦何年か、まったくわからないわけではな
 いだろう……?」

俺は何か、おかしなことを言っただろうか。いや、言ったのだろう。じゃないと、どうして彼が不機嫌に
なったのかわからない。

「いや、えっと。ここがどこだかまったくさっぱりなんですが、少なくとも今は、西暦1932年では……?」
「ふざけるのも大概にしたまえ!ここは日本の東京、新宿。今は西暦2010年だ!」
「なん、ですって……?」

俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。愕然として言葉を失う。

「だから、ここは21世紀の日本で、半世紀以上前になくなった満州国の首都にどうやって……!!」
「21世紀!?」
「そう、だが……。三好くん……?」

俺は立ちくらみがした気がして、岸田さんの腕を掴みながら必死に意識を保った。
額に手を遣り、何度も「落ち着け」と自分に言い聞かせる。

「そんな、馬鹿な……。まさか俺は、あの瞬間、未来にタイムスリップしちまったって訳か……!?」
「三好くん?君はいったい、何を言っているんだ?タイムスリップ?」
「岸田さん!俺……!!」

 ◇

俺は、岸田さんに自分の身に起こったと思われる出来事をすべて話した。初めは半信半疑だった岸田さん
も、俺があまりに21世紀のことについて知らなすぎるので、およそ信じる気になったらしい。
信じてもらえるとわかった瞬間、再び俺の腹の虫が鳴って、岸田さんは苦笑まじりで俺を自分のマンショ
ンに案内してくれた。

「でかっ!広っ!!アンタ、華族かどっかの生まれか!?」
「ただのサラリーマンだ。先祖は武家の流れを汲んでいるそうだが……。ん?ちょっと待ってくれ」

エントランスホールから騒ぎっぱなしの俺を、出会って数十分であしらい方を覚えたらしい岸田さんは、
ダイニングを指さして途中で買ってきた軽食を勝手に広げて食べていろと指示し、自分はジャケットから
取り出した小さな機械を持って奥の部屋に行ってしまった。
俺はお言葉に甘えて、紙袋からサンドイッチの入ったパックと、スープの入ったカップを取り出していた
だくことにする。

「見たことねぇ機械がいっぱいだ……」

失礼ではあったが、ダイニングと、部屋が続いているリビングをぐるりと見渡し、思わず呟いた。
ここに来る途中で寄った店でも、勝手に開くガラスのドアに驚き、一人で街を彷徨っている間に見たガラ
スのいくつが、実は入り口だったのかと衝撃を受けた。
岸田さんの住む部屋はマンションの上層階で、やはり自動で扉が開くエレベーターに、人の気配を感知し
て点くライト、極めつけは玄関のカードキー。俺は見知らぬ土地で一人きりだという不安を抱えながらも、
生まれつきの好奇心を抑えきれずにいた。

「そういえば、岸田さんがさっき持ってた機械。あれはなんなんだろうな……」

手の平に収まるくらいの大きさで、ボタンがたくさんついていた。何かの測定器か?あるいは通信機……?

「いや、いくらなんでも小さすぎだろ……」

自分の発想にヒラヒラと手を振っていると、奥の部屋からなにやら独り言を言いながら岸田さんが戻って
くる。

「だから、そんなつもりはないと言っているだろう。わかったから、余計なことは言うんじゃないぞ。い
 いな!?」

さっきの機械に向かってそんなことを言うと、俺に向かってその機械を差し出した。

「君に話があるそうだ。通話の相手は私の仕事のパートナーだが、どうやら、私が勝手に君を家に上げた
 のが気にくわないらしい。――まったく、どこまで支配欲が強いんだ」
「へ?俺?っていうか、え、これ?」

通話中、となっている画面の文字と、岸田さんの顔を目が行ったり来たりしていると、彼は「ああ……」
と気づいたように機械を視線で差した。

「これは携帯電話と言って、持ち運びが可能な電話だ。電波さえ届けば、世界中どことでも通話できる。
 この電話の彼も、今は九州のほうへ出張中なんだ」

早く出たまえ、と促され、俺はさっき岸田さんがしていたように機械を耳に当てる。

「もしもし……?」
『もしもし、突然で申し訳ありません。私、岸田の上司で三好克哉と申します。なんでも、お困りの所を
 岸田がお手伝いを申し出たとか……』

電話の相手は、若い男の声だった。岸田さんの口ぶりでは、自分の同僚か、部下のような印象だったので、
“上司”と言われてちょっと驚いた。
それから、三好克哉という名前を聞いて、さっき岸田さんが首を傾げたのはこれが理由なのかとも思った。

「あっ、いえ。こちらこそ、夜分遅くに岸田さんのお宅にお邪魔させてもらって、ご迷惑を……」
『いえいえ、変な気を起こさないでいただければ問題ありませんよ。明日の昼にはそちらに着きますので、
 その時には、私もなにかお力添えをしたいと考えております』
「そんなっ、ありがとうございます!」
『では、岸田に電話を替わっていただけますか……?』
「あっ、はい」

一瞬、電話の声に不穏な何かを感じたが、すぐに愛想のいい声に切り替わり、俺はそれがなんだったのか
わからないまま、携帯電話を岸田さんに差し出す。

「もしもし?これで満足か?」
『…………………』

電話から声が漏れてはいるが、何を言っているのかは聞き取れない。
俺は少し離れて岸田さんの表情を見ていると、急にサッと岸田さんの頬が紅潮して電話に向かって怒鳴り
返す。

「操って……な、なにを言っているんだね君は!!誰が誘うものか!!そんな変態的な思考を持っているのは
 君だけだ!!」

――なんの会話だ……。操とか変態とか。
ムキになって言い返す岸田さんに葛の姿が重なって自然と笑みが漏れた。揶揄うと、記憶の中の葛もああ
やって眉間にしわを寄せながら怒鳴ってくる。

「余計なことに気を回していないで、君はさっさと帰ってくればいいんだ!用件が済んだなら切るぞ!?」

岸田さんが手元のボタンを押して電話を切る。彼は息を切らし気味に俺の方を見て、怪訝な表情をした。

「なにをにやついているんだ?」

そう言われて、ようやく俺は、自分の顔がだらしなく緩んでいたことに気づく。

「あっ、いや……。岸田さんが、俺の知ってる奴とよく似てたんで、思い出して思わず……。気を悪くし
 たならすいません」
「いや、別に……」

俺が答えると、岸田さんは不服そうな顔をしてもう一度、手元の画面を見つめた。
その表情を見ていて、俺はふと思いついたことを口にした。

「もしかして岸田さんと今の三好さんって、付き合ってたりします?」
「なっ……!!な、なにを、馬鹿なことを……っ!?」

顔を真っ赤にしてこちらを見る岸田さん。否定するような口調だが、その反応は肯定しているも同然だ。

「あー、だとしたら、やっぱり恋人の留守に別の男が上がり込むのはまずかったですよねー。俺、出て
 行ったほうがいいですか?」
「だからっ、君はなんの話をしているんだっ!!私と三好は別に、そんな関係では……っ!!」
「隠さないでいいですって。俺も似たようなもんです」
「人の話を……今、なんと言った?」

俺は窓辺に寄りかかったまま、岸田さんを見る。こうして少し離れた所から見ると、本当に葛とそっくり
だ。岸田さんのほうが俺より10歳年上なので、その分アイツよりも大人びて見えるが、雰囲気がよく似て
いる。

「俺も、いま好きな奴は同性なんです。だから、偏見とかそういうのないから、安心してください」

すると岸田さんは何かを考えるように、視線を逸らし、それからまた俺を見た。

「それはもしかして、さっき私と間違えた“葛”という人物か?」
「――ええ、そうです」
「そう、か……」

複雑な表情で岸田さんは視線を俯ける。俺は困ったように笑いながら、両手を肩の位置に上げた。

「あっ、寂しさ紛れに襲うとかそういうの、絶対しないって誓いますから、そういった面でも安心してく
 ださい。ホント、出て行けって言われたらいつでも出て行くし……」
「いや、そんなことはない……。なんらかの解決策が見つかるまでは、ここにいるといい。どうせ部屋は
 余っている」
「ありがとうございます」

俺が笑いかけると、岸田さんも微かに笑みを浮かべ、テーブルの上を指した。

「腹はふくれたか?」
「はい、ごちそうさまでした」
「片づけはしておくから、シャワーでも浴びてくるか?服も用意しておこう」
「いや、そこまでしてもらうわけには……」
「そのままでは服がしわになる。それに、汚れた服で寝てほしくない」
「……はい。お風呂、もらいます……」

風呂場の場所と使うタオルを教えてもらって、俺はシャワーを借りることにする。
ダイニングに戻る岸田さんの背を見送って、クスリと笑みを漏らした。几帳面で神経質なところも葛と似
ている。
もしかして、岸田さんは葛の子孫かもしれない。
今日はもう遅いし、岸田さんも疲れた様子だったから、明日、もしもチャンスがあったら聞いてみよう。

風呂から上がると、岸田さんに客間へ案内され、そこで寝るように言われる。
ふかふかのベッドに寝転がりながら、これからどうするべきか真剣に考えた。

どうしてタイムスリップなんてSF小説のようなことをしてしまったのか、見当もつかない。
飛行機が墜落する瞬間、俺が望んだのは“死にたくない”ということで、それがこの事態に繋がるとも考
えづらい。生命の危機に陥って、特殊な能力が発揮されたというのもわからなくないが、俺の基本的な能
力はサイコキネシスだ。物体を動かす力ではあるが、時空移動をさせる系統の能力ではない。
では、あの時、あの場所で、何か特別な事象が起きたと考えるべきなのだろうか。だとしたら、益々解決
の糸口が見つからなくなる。

「葛……――」

ごろりと横に寝返りを打つ。まるで飛行機の上から見ているような窓の外の夜景。けれど、その景色が飛
行機の上から覗くように動くことはない。
葛に会いたい。きっと心配している。信用しろと言ったのに、俺は消えてしまったから。きっと怒ってい
る。

「葛……」

あの時、握りしめた葛の手の感触はもうわからなくなってしまった。
寂しいのか、悔しいのか、もどかしいのか。何もわからないまま、俺は窓の方へ手を伸ばしてぼんやりす
る。

そうしているうちに、俺はいつの間にか眠っていた。




----------------------------------------------------------------------------------------------

むずかしい……。なにが難しいって、

・葵さん視点だから、葵さんのわからない物はわからない風に書かなきゃいけない
・高級マンションってどんな所ですか?
・そもそもどんな仕組みで葵さんはタイムスリップしたんですか?(おまwww

タイムスリップの原因辺りはなんとかするとして、電化製品について詳しくないので、本当にそこらへん
と、あとオフィス街にあるお店で深夜までやっていてテイクアウトできるお店っていうのも見当つかなく
て困った……。

それでも書く。そこに妄想がある限り……(笑)

あと、岸田さんと三好さんのモデルは某鬼畜な眼鏡シリーズの人たちです。ていうか、名字が違うだけな
気もするがwww
とはいえゲーム未プレイなため、それなりに違う人になっていてくれと願うwww

こんなつたない文字書きに快くネタの使用許可をくださった萩さまに心から感謝ですv

2010/09/26

NEXT BACK