絆 前編





青幇のアジトの一つを突き止めた俺たちは桜井さんの指示のもと、山岳地帯にあるアジトに忍び込んだ。

今回の任務はまず俺と葛がアジトに潜入し、盗まれた仏像に隠してあった政府の機密文書を回収、その後、
棗と雪菜の合図で警官隊が突入する手筈だった。
しかし、予想外の事態が起きた。
刑務所に拘束されていた筈の崔 青琳が脱獄し、このアジトに潜伏していたのだ。
青幇の一味に扮して潜入していた俺と葛だったが、映画会社と共謀して行っていた人身売買の一件で彼女
には俺たちの顔が割れていた。その結果、俺と葛は急遽、予定を変更して計画とは違う脱出方法を取るこ
とになった。
銃弾の嵐を俺のサイコキネシスで防ぎ、葛の手に導かれ、瞬間移動で塀の上、そして山奥へなんとか逃れ
る。
目印のない場所への跳躍はかなり不安定で、俺たちは茂みの中へ放り出される形で着地した。

「なんとか逃げきれたかぁ?」
「あぁ。文書は?」
「ここにちゃぁんと。しっかし、ここはどの辺りだ?雪菜たちは?」
「……雪菜の声が聞こえない。ということは、計画とはまるで逆方向に飛んでしまったようだな」
「すまん、俺が急かしたからだな」
「確認を怠った俺の責任でもある」

ぱたぱたと服についた土を払う葛。俺も追って立ち上がり、周囲を窺う。

「微かだが、向こうから水の音がする。確か、最悪の場合は下流の町で合流だったよな」

アジトの灯りが見えていたので、葛の残り一回の能力で正しい合流地点まで飛び直すこともできたが、当
初の目的である文書は奪取してあったため、敢えて危険を冒す必要もない。

「音はあっちからだな。行こうぜ」
「ああ」

月は出ていたが、生い茂る木々に阻まれ、月の光は足元まで届いてこない。そのため、自然と歩く速度は
遅くなってしまうが、灯りのないこの状況では仕方ない。
しばらく会話もないまま歩いたのち、ふいに後ろを歩いていた葛の気配が止まる。

「どうした?つまずいたか?」
「静かにしろ」

ガサガサと茂みをかき分けて近づくと、葛は人差し指を立てて沈黙を要求してきた。それから視線を背後
に巡らせ、注意深く様子を探る。

「……追っ手が」
「もう追いついてきたのか!?」
「向こうには灯りがある。土地勘もな。俺たちよりも向こうのほうが優位なのは明らかだ」
「と、とにかく逃げよう!」
「ああ」

こちらの位置を悟らせないよう慎重に進むが、生い茂る草木がそれを許してくれない。どうしたって、ガ
サガサと茂みをかき分ける音が耳につく。
時折、木々の間から見える月に舌打ちする。
まだ夜が明けるには長い時間を要するようだ。一日に一度しか使えない時間制限付きの能力をこれほど恨
めしく思ったことはない。力が使えれば、たとえ何人が相手でも追っ手を振りきる自信があった。けれど、
素手での戦いとなると、いくらスパイ学校で教育を受けたからといってもそこまで自信はない。
葛の能力はあと一回。使うなら、せめて森を抜けて見晴らしのいい場所でなければ、逃げきるに必要な距
離を稼ぐことはできないだろう。
早く森を抜けなければ……。気が急いて、足元の確認を怠った次の瞬間、ガクン!と体勢が崩れて地面か
ら足を踏み外す。

「葵っ!!」
「っ!?」

咄嗟に伸ばされた葛の手に掴まって、渾身の力で引っ張ってもらった。その勢いで葛を押し倒す形になっ
てしまったが、それ以前に崖下に墜落しそうになって一瞬心臓が止まった。

「葵!ちゃんと確かめて歩け!」
「す、すまん……。ひぃ〜、死んだかと思ったぁ……」

茂みの向こうは切り立った崖になっていて、下は流れの速そうな川だった。もしも咄嗟に、葛の差し出し
た手に掴まっていなければ、今頃急流に呑まれてどうなっていたかわからない。

「血の気が引いたのはこちらも同じだ。大方、向こうの吊り橋に気を取られて足を踏み外したんだろう?
 愚か者」

橋……?
そう言われて、「さっさと退け」と腕で押し返す葛の上から退き、視線を巡らせると確かに、下流の方向
に橋が見えた。ロープと木板で作られた簡素な橋だ。
夜闇の中でも視認できたが、考え事をしていてまったく気づいていなかったとは口が裂けても言えない。

「――あの橋を落として、追えないようにしてしまうという手もあるな……」

葛がぽつりと呟いた。俺もなるほど、と思う。

「確かに使えるな。だが、向こうも似たことを考えているかもしれない」
「とにかく、ここで追いつかれるよりはマシだろう。まだあちらのほうが、身動きは取りやすそうだ」

見ると、橋のたもとは森が途切れて小さな空き地になっていた。
葛は最悪の場合、素手で相手をするつもりなのだろう。もちろん俺もそのつもりではいたが、情けないこ
とに肉弾戦になった場合、能力なしの俺じゃ足手まといになる確率のほうが高い。
適当に、武器になりそうな木の枝でも見繕って行こうかと、別の意味で足元に注意を払って歩き出すと、
前を歩いていた葛が俺の名前を呼んだ。

「なに?」

顔を上げると、奴は前を向いたまま言う。

「いざというときは、出来る限り遠い場所にお前を飛ばす。お前は機密文書を守り抜け」
「お前は?」
「俺は追っ手を足止めする。もしも捕まったとしても、拷問くらい耐えられる」

スッと、自分の心が冷めるのを感じた。対して、頭の中が熱くなる。

「お前を見捨てて俺だけ逃げるのか」
「違う。任務を優先させろと言っているんだ」
「同じじゃないか」
「全然違う。少なくとも、俺はそうするのが最も適当な作戦だと……」
「葛」
「っ……」

俺は前を歩く葛の手を取った。肩を掴んで振り向かせ、目線を合わせる。

「確かにお前の言う手段が最適だと俺も思う。だが、俺はお前を一人残して逃げるのは嫌だ。最後まで諦
 めずに、二人で逃げ切る方法を探そう」

葛は黙って俺を見た。しばらく何かを考えるように沈黙した後、ふいに視線を逸らして腕を引く。

「――……わかったから、離せ」

そう言った声はいつもより低い。何かを言い返そうとして。葛藤の末にやめた時の声だ。
それを察して食い下がろうとしたが、さっきよりも近い位置で茂みをかき分ける音がして、今はそれどこ
ろじゃないと判断する。葛も口論をしている場合じゃないと考えたんだろう。
俺は葛の腕を離し、「行こうぜ」と声をかける。葛は何も言わずに俺の後について歩き出した。

橋のたもとに着く頃には、茂みをかき分ける音はすぐそこまで迫っていた。後方を窺っていると、木々の
合間に追っ手の姿がちらちらと見え隠れする。

「橋が思いの外痛んでいる。走って渡るのはかなり危険だな」
「かと言って、ゆっくり慎重に渡っていたんじゃ追いつかれちまう。最悪、橋の途中でロープを切られて
 まっ逆さまって訳か」

俺は改めて崖下の急流を見遣る。
ガサ、と背後で茂みをかき分ける音が止んだ。振り返ると十人ほどの追っ手が森から姿を現したところ
だった。

「――仕方ない。ここで迎え討つしかないな」

俺の隣で葛がゆらりと構えを取る。それを見た俺が来る途中で拾った木の棒を肩に担いだのを合図にした
ように、追っ手の男が数人、ナイフやトンファーの類いを持って襲いかかってきた。

「っとぉっ……!!」

木の棒を盾に攻撃を防ぐ。相手の腹を蹴って一旦突き放すと、背後から襲いかかってきた相手を横に避け、
二人まとめて殴り倒した。
敵の攻撃をやり過ごしながら葛の方を窺うと、奴はなんとも涼しい顔をして既に5人の男を地に伏してい
た。
心強い、と思うと同時に、なんだか少し自分が情けなくなる。

「うわっ、うわっ……!!」

――なんて落ち込んでいるうちに、敵に囲まれた。まるで鬼ごっこで鬼から逃げるみたいにちょこまか逃
げ回る羽目になる。すばしっこさには自信はあったが、情けないことこの上ない。

「よそ見をしている余裕があったとは、意外だな」

葛が他の敵の相手をしていると見せかけて、敵の一人を背後から奇襲してくれたおかげで活路が生まれ、
なんとか俺も攻勢に転ずる。

「なに?俺のこと心配してくれた?」
「馬鹿を言え。足手まといは必要ない」

軽口を叩くとすげなく一蹴された。
素直じゃない。――と言いたいところだが、実際のところは俺が機密文書を持っているせいで助けざるを
得なかったんだろう。少し寂しい。

「――これで、最後ッ!!……だな?」

俺が最後の一人を気絶させると、周囲を窺っていた葛は頷いた。

「あぁ。あらかた片づいたようだ」

このまま気絶させた男たちが目を覚まさないうちに、橋を渡って、ロープを切ってしまったほうがいい。
スパイとしては避けるべき行為だが、この状況では容認されるだろう。

「よし、行こう」

危険な橋を叩いて渡るにはこれほど適した人間はいない。葛が前に立って橋の方に歩き出した時だ。

「くらえっ!!」
「葛っ!!」
「っ!?」

先端に重りのついた鎖が葛の死角から放たれた。どうやら、気絶したフリをして機を窺っていたらしい。
咄嗟に身構えた葛だったが、下半身にまでは注意が及ばず、鎖は葛の左足に絡みつき、体勢を崩した。
辛うじて葛は受け身は取ったものの、足に絡まった鎖は容易には外れない。

「くっ……!!」

苦悶の声をあげた葛は、鎖を放った敵に向かって、居場所を悟られないように使用を控えていた拳銃を取
り出す。
パァンッ!
銃弾は正確に相手の眉間を撃ち抜き、数秒と間を置かず、男は息絶えた。しかし、その対応はどうやら遅
すぎたらしい。
絶命した男の体は既に、崖に向かって駆け出していた状態で、葛の体は一直線に崖に向かって引きずられ
ていく。

「葛っ!!」

男の体は空中へ放り出され、その後を鎖に引きずられた葛が追う。
ガガガガッ!!と鎖が地面を削る音が途切れ、葛の体が落下を始める寸前、

「葛……っ!!」
「葵……っ!?」

ギリギリのところで葛の腕を捕まえられた。しかし、その重量は思っていたよりも大きい。眼下を見遣る
と、絶命した男もまた鎖に腕を絡みつけてぶら下がったままでいた。
俺は内心で毒づきながら、葛には笑みを向ける。

「いま、引き上げる、からなっ!!待ってろ!!」

地面に這いつくばって伸ばした腕が成人男性二人分の体重を受けて悲鳴をあげている。だが、今はそんな
ものに気を取られていられない。

「葵……っ」
「だぁいじょぶだって!俺を信用しろ……っ!?」

いざ葛の体を引き上げようとした時、背後に殺気を感じて、頭だけで振り返る。ガチリ、と撃鉄の上がる
音がした。

「よくもアジトをめちゃくちゃにしてくれたわね。いつかのお礼も兼ねて、死んでもらおうかしら……?」
「崔、青琳……っ!!」

振り返った先には、銃を構えた闇組織の女幹部がすぐ後ろに立っていた。俺が葛にかかりっきりになって
いる間に、追いついてきたのだろう。不幸中の幸いというか、他に追っ手の姿はなかったが、なんとも間
が悪い。
俺が唇を噛んで、なんとか状況を打破する方法を考えていると、葛の手首を掴んでいた俺の腕に、ふいに
葛の手が触れた。思わず腕の先に視線を戻すと、葛はまっすぐ俺を見上げていた。

「葵、俺はさっき“足手まといは必要ない”と言ったな?」
「葛……?」

俺は嫌な予感がした。
葛の指が、手の平が、今までになく強く俺の腕を掴む。
葛は川の音にかき消されないようにはっきりとした声で言った。

「任務を優先させろ」

刹那、俺の視界がぶれる。
次の瞬間、視界に映ったのは崔 青琳の後ろ姿だった。

「どこにっ!?」

青琳が視線を巡らせ、背後に現れた俺を発見した時、俺は既に拳を握り締め、彼女の鳩尾に叩き込んだ後
だった。
気を失い、地面に崩れ落ちる青琳を横目に、俺は崖に駆け寄って川面を注視する。
下流へ向かって流されていく相棒の姿が、白波の立つ間から見えた気がした。

「あいつ……!!」

葛は俺の腕に触れ、俺の体を青琳の背後に瞬間移動させたのだ。支えを失い、崖下に落下するとわかって
いながら。
俺だけを移動させたのは、葛も一緒に飛んだ分、崔青琳との距離が開き、反撃が間に合わない可能性が
あったから。しかし、だからといって――!!

『――……お、い……?葵っ!?聞こえる!?』

唐突に頭の中に響く声。雪菜のテレパシーだ。

『雪菜か!?』
『よかった!やっと通じた!!今どこ?こちらも予定の経路が封じられて森の中を迂回しているところなの』
『近くにいるのか?』

俺の問いに少し間を置いて、雪菜は答える。

『わからないけど……。何か目印は?』
『橋の傍にいる。吊り橋だ』
『あ、棗が見つけました。あら?葛は……?』

悪意のない雪菜の声に、自分が不甲斐なくて拳を握りしめた。そして、懐から今回の任務の目的である機
密文書を取り出すと立ち上がる。

『俺を庇って崖から落ちた』
『えっ……!?』
『俺はこれから葛を助けに行く』

文書を吊り橋の横にあった少し大きめの石の下に隠し、崖下を見遣る。

『依頼された文書は橋の横の石の下だ。青幇の奴らには見つからないだろうし、ここにいる奴らもすぐに
 目を覚ますこともないだろうが、なるべく早く回収しに来てくれ』
『ま、待って!葵!?』

俺が何をしようとしているのか、雪菜は見当がついたのだろう。上擦った声で制止する。
俺も無謀で無茶で馬鹿なことをしようとしている自覚はある。

「――けど、今から岸を追っても追いつけないと思うからさ」

手遅れだとは思いたくない。必ず助けられると信じるしかない。

『それじゃ、雪菜、棗、頼んだぜ』
『葵!?』

俺は崖の際を駆け、勢いをつけて崖下に飛び込んだ。

 ◇

数分後、雪菜と棗が橋のたもとに到着する。
小さな石碑ほどの石の下を探って文書を回収し、棗が指差した下流へ向かって、二人はすぐにその場を後
にした。







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「絆」ってなんだろう、ってめちゃくちゃ悩んでた筈なんですけど、なんでだろ……夜寝て朝起きたら
思いついていた、みたいな(笑)
一応、自分的には某栄養ドリンクの「ファイトー!」「いっぱぁーつ!」みたいのが「絆」の象徴なのか
とwwwもちろん、他にも色々あると思いますが、今回のコンセプトはそこです。

前後編にしちゃってすみません。お題で前後編っていいのかな(汗)
騎士団パロ以外は基本的にケータイで打ってるので、ケータイメールの文字量を超すと前後編に分けたり、
全何話とかにしなきゃいけないんですよ……。

ま、葛さんが無事なのか、葵さんも無事なのか、ハラハラしながら後編を待っていてくだされば嬉しいで
すv


2010/09/07

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