38才の本気 side-A 今日こそ言うんだ…! 鼻歌が厨房に響く。息子の引っ越しで随分ごたごたしていたから店はここ最近休みにしていた。けれど 明日から再び開店だ。 今はその為の下準備。ハンバーグをこねたり、キャベツの千切りや、にんじんを花の形にしたり。 まだ夕方の、日が暮れ始めた頃。準備には早すぎるって?そんなことはない。 だって今日はナナシが泊まりに来るんだ。今のうちに明日の準備は済ませておかなければいけない。 部屋の掃除は完璧。新しいタオルも用意した。 今日こそ、少し強引にでも押し倒して…! 色々シミュレーションしてみた。 俺ん家で?アイツん家で? 昼に?夜に? 真顔で?笑顔で? 飯食ってる時に、っていうのはムードがないかなって思った。 じゃあ帰り際に言ってみようか。でもそれじゃ照れたアイツが逃げちまいそうだしな。 面と向かって言ってもアイツの困る顔しか浮かばない。 アイツが素直になれる時に。本当の答えをくれる時に。 それってやっぱ、あの時しかないよなぁ… 気を失わせない程度に気持ちよくしてやって。それから優しく訊いてみよう。 「ナナシ…俺、お前と一緒に暮らしたい…」 きっと頷いてくれる。大丈夫だって! タンタンタン…と、厨房からは軽快なリズムで野菜を刻む音が響いていた。 ◇◆◇ ピンポーン!とチャイムの音がして、俺はそわそわと行ったり来たりを繰り返していた居間から玄関ま での廊下をダッシュする。 「よっすー!ナナシ、よく来たな!!ま、入れ入れ!」 「あぁ、邪魔をする」 あれ?なんか元気ない? 気のせいか。ナナシはいつもよりテンションが低い。でもきっと夕暮れで表情が暗く見えただけだよな。 俺は腕をふるって夕食の準備。ナナシはデザート兼酒のつまみのホットケーキ作り。 ナナシがいるとテンションが上がってしまうのはいつものことで。おまけに今日は重大告白を胸に抱い ているせいか、いつも以上にナナシを意識してしまって頬が緩むのが抑えられない。 だって、ナナシの喜ぶ顔を想像したら…。おっと、またにやけちまった。 取りあえず、別のことを考えるようにパトリックや刹那のことを話題にする。 そうこうしているうちに日付もかわって…。 シャワーを先に譲り、ちょっとした悪戯心でついて行こうとした殴られそうになったので逃げた。 食い終わった食器やグラスを片づけて、部屋から着替えを持ってきて居間で待つ。数分もしないうちに 脱衣所から「もう出るぞ」と声がかかったので「おー」と答えながら、これからこんなやりとりが毎日 続くのかとわくわくした。 さて、だけどこっからは本番だ。少し本気を出さなきゃな。 廊下を歩きながら表情を引き締めていくと、ちょうど脱衣所からナナシが出てくる。 俺はすれ違いざまにナナシの耳元に唇を寄せ、囁いた。 「俺の部屋で待ってな。すぐに行くから」 ビク、とナナシの躯が震える。ん、脈あり。やっぱ期待してくれてたんだな。 風呂場に入ると、シャンプーの匂いがした。同じシャンプーの匂いなのにパトリックが入った後とは全 然違うように感じてしまう。 早くナナシんとこ行こう。 素早く丁寧に身体と髪の毛を洗い、軽く髪を乾かして部屋に向かう。すると、俺の部屋から微かに歌声 が聞こえた。 なんの歌だっただろう…。そう思いながら耳をすましていると、やがてその旋律は先ほど酒を飲んでい た時にテレビで流れていた曲だったと思い出す。確か、悲しい恋の歌。 俺は静かに部屋の扉を開けた。 「いま、なんか歌ってたか?」 ナナシは俺のベッドの端に座り、ゆっくりと俺の方を向く。 「悪いか」 「いや‥‥」 悪くは、ない…。そんな機会、滅多にないのだが俺はナナシの歌う声が好きだ。 ただ、その歌がいつも寂しげな曲ばかりで。それだけが嫌だった。 俺は無意識に床に視線を落とし、沸き起こる憤りのようなものから目を逸らそうとした。 けれど、止められない。 「アリ…っ、ん…!」 俺はナナシの肩と手を掴んで一気にベッドに押し倒す。抗議の声を上げる間も与えず、噛みつくように 唇に吸い付いた。夢中でナナシの舌を追う。 「ん、んぅ‥‥ん…――」 酸素を求める唇の隙間からナナシの甘くてとろけそうな声が漏れた。 そう、それでいいんだ。これでいいんだ。 「ナナシ…」 キスをやめてナナシの表情を間近で覗き込む。 「ナナシ、さっきの曲、あんな寂しい声で歌うな。俺がいる間は歌うな」 「なんでお前にそんなこと…」 怒るなよ。殴るなよ。 俺はナナシの動きを封じるようにキスしながら服に手をかけた。途中でナナシのか細い手が重なってき たが無視する。 「お前が好きだから。好きなのに、お前が離れていっちまうような、悲しい歌だから」 ナナシにあんな歌を歌わせたくない。俺は、ナナシに辛い思いをさせる俺に苛立っていた。 そうさせないために、俺は今日、決心したんじゃないのか。 「今日は優しくする。全部俺に預けて…」 ナナシの服をすべて脱がせる。それから自分のシャツも脱いで、首筋へ顔を埋めるようにナナシの華奢 な躯を優しく抱きしめた。 下肢へ手を伸ばすと、恥ずかしいのか、ナナシはぎゅっと目を瞑る。 目を瞑ったまま、俺が施す愛撫に熱い吐息を漏らすナナシ。視界を閉ざせば余計に感覚が鋭くなると気 づいていないのだろうか。 いくつかキスマークを残しながら、俺は確実にナナシを快楽の頂点へ導いてやる。一度、先にイかせて から、今度はその奥へと指を伸ばす。 イイところを掠めた時はナナシの喉がのけぞり、愛しい声で鳴く。その声に頬を緩ませ、もっとよがっ てもらえるように指を動かした。 もうそろそろ頃合いかな、と思った時にはそこは別のものを求めるようにヒクヒクしていた。 正直、俺自身も限界だ。 いつもより優しく、丁寧にほぐしていたら、いつもより興奮してしまった。 案の定、先端を挿入れただけでもナナシは悲鳴のような声を上げて、強い圧迫感に喘ぐように口を開く。 なんとか全部入り込んで、囁くように問うた。 「大丈夫か…?」 「ん、…だい、じょ…っぅあっ、待っ‥‥まだ、動か…っ」 「でも、ちょっ…ナナシ、力抜いて…」 抜く努力はしているのだろう。掠れた声で喘ぎながら必死に息を吐こうとしている。 ふとした瞬間にきゅっ、きゅっと締め付ける感覚がもどかしくて動いてしまいたくなるがなんとか堪え る。 ナナシのしっとりと湿った髪に指を絡ませ、柔らかく頭を抱いた。躯の緊張が解け、理性を繋ぐ糸がそ こにあるかのように枕の端をしっかり握りしめるナナシの耳を食む。 「いいか…?動くぞ」 初めは動きにならす慣らすようにゆっくり動いた。 もっと奥、もっと熱い場所へ…。求めて求めてナナシの深い場所まで勢いよく突いていく。 枕の端を握っていたナナシの手は俺の方へと伸び、乱れた色っぽい声に俺の理性も吹き飛びそうになっ た。 頬を赤らめ、うっすらと開いた瞳は潤んでいる。 中での律動は止めずに、ナナシの腕に誘われるまま躯を倒した。すぐに細い腕が俺の背中にしがみつい てくる。 「アリ、ィっ…!あぁっ、アッ、ぁん、やっ…!1」 「ぃって…、ナナシ、苦しいのか…?」 チリッとした痛みが背中に疾った。窺うような声で言うと、熱い息を吐きながら大丈夫、だいじょうぶ だと熱に浮かされた声で答える。 背中に回された腕に力がこもる。こんなに強く抱きついてくれるのはこんな時ぐらいだ。 「一瞬だけ我慢な…?」 俺も頭の端で絶頂を待つ快楽の波に呑まれそうにそうになりながら、精一杯の優しい声で告げた。 「ア、リィ…?っっ、ひ、ぃぁぁあっ、っ、っ、…!!」 ナナシの腰をしっかりと掴むとズンと強く数回突く。最奥に達した時に俺自身はその場所にとどまった まま果て、ナナシ自身も腹の間で擦れて絶頂を迎えた。 ナナシの腕がベッドの上に力無く落ち、俺は少しだけ息を詰めてナナシの中からずるりと自身を引き抜 く。ナナシは小さく震えて声を上げた。 そのままナナシが重く感じないように気をつけながら暫くナナシの呼吸だけを聞いていたが、やがて息 も整った頃に静かに呼びかける。 「――…ナナシ‥‥」 躯を起こし、まだ焦点を合わせるのも難しそうなナナシの瞳を見下ろした。 ナナシは何か言おうとして小さく咳き込む。 「無理すんな」 思わず苦笑して、額に張り付いた髪を払ってやった。それからシーツの上に広がっている髪にも指を絡 め、その質感を楽しむように頭を撫でる。 大好きだよ、ナナシ…―― 「俺、ずっとお前と一緒にいたい」 綺麗な青黒色の瞳が大きく見開かれた。 「ずっと抱きしめていたい。いつもお前の顔が見ていたい」 その瞳も黒髪も、唇も首筋も指も何もかも。ずっと見ていたい。離したくない。 「遅くなって悪かった。ずっと決心できなくて悪かった」 学生だった時から同じ事思ってた筈なのに、どうしてそれが恋愛感情だと気づかなかったのだろう。 ただの、固く結ばれた熱い友情なのだと、どうして思いこんでいたんだろう。 愛していると気づいたのに、何故それが告げられなかったのだろう。 ごめん。遅くなって…。 「ナナシ。俺と一緒に暮らそう」 「アリー‥‥」 やっと言えた。今なら本音を聞かせてくれるだろ?照れながら「…仕方ないな」とかなんとか…。 って、そんなのが俺のシミュレーションの結末だった。 「ナ、ナナシ!?ご、ごめん!悪ぃ!!どっか痛くしたのか!?」 けれどナナシは、俺を見上げたままぼろぼろと泣き出してしまった。 当然、俺はパニックだ。慌ててナナシの目尻を落ちていく涙を指で掬う。 その涙に触れた途端、胸の内に言い表せない不安が押し寄せた。 「それとも…駄目、なのか…?」 お前も俺のことが好きなんだと思っていたのは、やっぱり俺の勘違いで…、本当はずっと親友のままが よかったのか…!? もしかしてその前から、俺のこと友人としても嫌いになっていたとか…。 もう頭の中はネガティブ思考に覆い尽くされて立ち直れない。 そんな時、ナナシは俺の方に手を伸ばし、俺の手に重ね合わせてきた。 「――いいのか、俺で。俺は、お前の人生を散々狂わせてきたんだぞ…?」 ――そんなこと…っ! 「なんで!!いつも思ってたんだがな、むしろ人生を狂わせたのは俺のほうだ!!俺が中途半端な状態のま まお前に会いに行ったりしてたから…っ」 結婚したっていうのにお前の家に毎晩遊びに行って、パトリックとお前が気まずい思いしてるのに気づ いていながら、それでもお前に会いに行くのをやめられなくて…。 「俺…馬鹿だよ…。ただ好きだ好きだって言って、お前を幸せにしてやれること何もしてなかった…。 いつもお前のこと苦しませてたこと、気づいてなかった…!」 そんな俺の気持ちに気づいてくれていながら、でも当の俺は気づいてなくて、お前はいつも俺の家のこ とばかり気にしてくれて…。 どうして俺、こんなに馬鹿なんだろう…! 今までナナシにさせてたことを思い出す。苦しくて、悔しくて、泣きたくなった。 「馬鹿…。本当にお前は馬鹿だな…」 ナナシの綺麗な手が俺の頬を包み込む。髪に触れ、そして背中のほうへ伸ばされる。 情事の最中でもないのに、こんなのは初めてだ…。 俺はナナシに誘われるまま、再び躯を倒して抱きしめられる。 「ずっと苦しかった。俺はお前と一緒に暮らせないと思っていたから。でも、ずっと幸せだったんだぞ」 苦しかったのに幸せだった…?意味がわからない。どうして苦しかったのに幸せだったんだ? 馬鹿な俺には正直に尋ねることしかできない。 「なんで…」 「お前が毎日会いに来てくれたから。お前がずっと、俺を好きでいてくれたから…」 あ‥‥。ナナシが笑ってる…。 目にはまだ涙が浮かんでるけど、すごく辛そうだけど。 「アリー…、俺でいいのか…?これから先、お前と一緒に暮らす相手は、本当に俺でいいのか…?」 まったく…。なんでそうやって自分を傷つけるような言い方をするんだよ…っ。 「当たり前だろ!もうどこにも行かせない!!」 ぎゅっと強く抱きしめて宣言した。 絶対だ。絶対にもう寂しい思いも苦しい思いもさせねぇ! ナナシは泣きながら、嬉しそうに笑いながら、俺の背中に強く強く抱きついた。 -------------------------------------------------------------------------------------------- 何年越しのプロポーズですか(笑 いきなりこんな話もあれなんですが、実はアリー、話すタイミング悪かったんじゃないか疑惑が私の中 に生まれてきてます。 どこかで耳にしたんですが、セックスした後って涙もろくなってるらしいですよ。 そりゃナナシさん泣くわ。うん。 2008/09/26 |