夢でも望みたい現実 ――俺は 汚く死ぬ 薄暗い部屋。 雲に隠れた月。 壁に散った血飛沫。 俺はそんな場所で死ぬと思っていた。 誰も来ない樹海。 冷たく降り注ぐ雨。 千切れた四肢。 俺はそんな場所で死ぬと思っていた。 「よぉナナシ、見えるか?俺とお前が出会った海だ。ここはあの場所じゃないが、でも似てるだろ?」 いま俺は晴れた海にいる。 いま俺は明るく降り注ぐ太陽の光と愛する男の腕に抱かれている。 傷はただ一つ、左胸に咲いた真っ赤な血の薔薇。 俺はもっと汚く死ぬと思っていた。 「俺、お前と出会えてよかったわ。だってよ、俺お前と会ってからの人生が一番楽しかったもんよ」 初めはメス。害を為そうと近づく者の首の皮を切り裂いた。 それからナイフ。いたぶるように四肢を壁に繋ぎ留め、紅い軌跡で描いた絵を楽しんだ。 今は守護する刃。大切な者をこれ以上汚さない為に、愛したい者を戦わせない為に。 人を殺める行為は輪廻した。けれど幼い頃から見ていた世界が、いつからか変わり出していた。 「クローンは短命だ、って言われて、でもお前とずっと一緒にいたいから“生きたい”って願ってた」 誰に殺されても同じだと思っていた命が、狙撃手に育てた少年に奪ってほしいと願うようになった。 穢れをすべて抱きしめて逝こうと思っていた命が、憎しみに満ちた男と同じ顔をした青年の傍に残りた いと願うようになった。 「なのにお前…死ぬのかよ‥‥。俺を生かせようとしてた、お前が…!!」 老化を知らなくなった身体で、可能な限りの永遠を生きていたかった。 離れたくないと望んだ男の傍で、可能な限りの永遠を。 「俺も、連れてけよ…。ほら、お前のナイフ借りて、俺も紅くなってきたから‥‥」 望んだ男の胸には自分と同じ鮮紅の華。 「――…か、…な‥‥」 「ナナシ!?」 「――…ば、か…だな‥‥。わざわざ、俺と一緒に、死ぬ、なんて‥‥」 そう、わざわざこんなところで死なずとも、お前ならもっと生きていくことができただろう。 ――お前にはまだ生きていてほしい ――…ゲイリー。 「へ、へへっ…!俺が馬鹿なのは今知ったわけじゃねぇだろ!」 俺の気も知らないで男は笑う。 「ふ…たしかに‥‥」 怒ってやろうと思ったのに、漏れたのは笑みだった。 「――…ゲイリー…」 ――愛しい名前 「うん?」 ――愛しい温もり 「ゲイ、リー…。お前…と、出会えて…よかっ、た‥‥」 「あぁ、俺もだよ、ナナシ」 ――柔らかい声 お前のすべてが俺を変えていく。 知らない感覚を呼び起こしていく。 あたたかい…。 胸の中があたたかい…。 これが人の言う―――シアワセ…? 「俺、は‥‥しあわせ、だ…」 「俺も。今まで生きてきた中で一番幸せだった」 覚えた筈の“幸せ”よりもっともっと暖かくて、切なくて、 この気持ちを伝えるにはどうすればいいんだろう。 教えてくれ モレノ 教えてくれ ニール坊や 教えてくれ ライル坊や 教えてくれ もう一人の俺 聞いてほしい ゲイリー 「ん?」 お前だけに見せてやろう。 きっとこれが人間らしい俺なんだ。 お前にはこれが笑顔に見えるだろうか。 心にあった窮屈な堰を外したらできた表情なんだ。 伝えられた言葉なんだ。 「あ、い…して、る‥‥」 「ナナシ‥‥!」 今の俺に歪みはない。 歪みがない。 「ゲイリー…、愛して…る‥‥」 愛してる あいしてる 愛してる 「ナナシ…!ありがとう、俺もナナシのこと愛してるぜ…!!」 俺の歪みはどうしてもっと早く消えなかったんだろう。 愛してる 愛してる 愛してる もっとたくさん伝えたい。 もっとたくさん答えたい。 こんなに気持ちのいい言葉。 ――もっとたくさん伝えたいのに… 「うれ、しい…。あい、して‥‥、…ゲイリ‥‥‥――」 俺は死んだ。 血塗れの魂で黄泉の道を歩く為に独りになった。 「大丈夫…、大丈夫だからな。ちゃんと、あの世でも一緒にいるからな」 ゲイリーの心が俺を掴んで離さない。 俺の魂は堕ちる魂。お前は来てはいけないというのに…。 ――もう一つだけ、願っていいだろうか‥‥ もっと一緒にいたい ――…ゲイリー… ゲイリー…、ゲイリー…――!! もっと一緒にいたい…――!! 「ナナシ‥‥、お前を一人にはしない…」 この世界から消えていく俺の体を温もりが抱きしめた。 ――あぁっ、ゲイリー…―― 「『愛してる』」 俺はもっと汚く死ぬと思っていた。 それがこんなに綺麗な場所で 暖かい場所で 愛しい相手と一緒に死ねるなんて これは…――夢? 2008/06/16 |