クスクスクスリ(前編) 正直なところ、不法医療や麻薬取引においてはかなりの自信を持っている。 俺自身が楽しめるのは殺し合いなのだが、幹部になってしまうとなかなか直接手をくだす機会がなく、 つまらない。現在の唯一の楽しみといえばニール坊やの調教くらいか…。 今日は先日取引した麻薬の追加入荷を受け、郊外の取引相手の屋敷に赴いた。背後についている人物 については知らないが、今日会う予定の男は、 ――アリー・アル・サーシェス 燃えるような赤毛の長髪が印象に残る、例えるなら野獣のような男‥‥。 ただの屋敷と称するよりも豪邸と表現するにふさわしい外観の場所に、俺は眉をひそめ、敷地の中に 足を踏み入れた。 そもそも今回の取引は罠の香りのするものだ。向こうも一人で取引に応じる代わりに、こちらにも同 じ条件を強いてきた。だが場所は向こうの指定なのでこちらには不利だ。 「リスクに見合うだけの値段をつけさせてもらう」 『かまわねぇぜ。ただしお前が取引に来ればの話だ』 電話のアリーの声には嫌な色があった。何かがあるな、とは思った。けれど久々に緊迫感のある人殺 しができるかもしれないという期待も生まれてしまった。 屋敷の手前で部下を帰す。殺気立っていた俺のひと睨みで、ごねる素振りも見せずに、車をUターン させて帰っていった。 玄関に近づくにつれてある匂いが鼻についた。鉄の匂い。―――血の匂いだ。 扉を開けば案の定、メイドや下働きの男の死体がそこかしこに転がっていた。 「よォ。ちょうど仕事が片づいたところだ」 「楽しそうな仕事だ」 「残しておいてやりゃよかったか?そいつぁ悪かった」 思ってもいないことを易々と口にする男だ。入って正面にある階段の踊り場で、アリーが死体からナ イフを引き抜くところだった。 「ここの主を殺って、使用人も皆殺しにしてくれって依頼でよ。取引の金は奥の部屋に置いてある」 「死人の金を使うつもりか?」 「ンなセコい真似しねぇよ。ちゃんとテメェで用意した金だ」 来いよ、と手招くアリーの方へ足を進める。周囲の気配を窺ってみたがアリー以外の人間の気配は感 じられなかった。長い廊下を歩いている間にもそれは変わらず、本当に一対一の取引なのかと思い始 める。 「アリー。どこまで行く」 「血の匂いがしなくなる所までだよ。西側のこっちでは殺ってねぇかんな。一番奥までいきゃあ血の 匂いも届かねぇだろ」 「金もそこにあるのか?」 「せっかちだなァおい」 「すまないが、俺はお前を信用していない」 「安心しろ。俺もだ」 肩越しに振り返った男は目を細めて笑った。 「この屋敷には生きてる人間は俺とお前だけだ。他は全員殺しちまったからな!」 返り血のついた手の平を壁になすりつけ、そしてその場に立ち止まると廊下の奥、正面にある扉を指 してアリーは言う。 「あの部屋で待ってな。血を落としてくる」 「早くしろよ。俺も暇じゃない」 血塗れのアリーを一瞥し、俺は部屋の扉を開けた。 部屋の中はたいそう豪華なものだった。スプリングのきいたソファーにペルシャ絨毯、アンティーク 家具の装飾はそれはきめ細かく、キングサイズのベッドは天蓋付きだ。 俺はカーテンの引かれた窓に近づき、外を眺めながらアリーを待った。 十分後、さっぱりとした感じのアリーがアタッシュケースを持ってやって来た。 「風邪でもひけ」 温暖な土地でもないのに上半身裸で現れた男にひと言くれてやる。アリーはただニヤニヤと笑うだけ で俺の言葉には何も返してこない。 「金だ。確認しろ」 アタッシュケースを部屋の小さなテーブルに置き、カチンと留め具を外して蓋を開いた。その中に納 まっていた紙幣を概観して俺はアリーを見る。アタッシュケースの中身の金は明らかに指定した代金 の倍はある。 「俺の用意した薬とこの取引のリスクにこの額は合わない。どういうつもりだ?」 「どうもこうも、これでいいんだよ」 そう言うアリーの目に獲物を狙うような光が灯った。俺は咄嗟に袖の下からナイフを取り出そうとす るも両手首を押さえられ、壁に押しつけられた。 「ナナシ」 「アリーっ!?どういうつも‥‥っ!?」 再び問おうとした口はアリーの乱暴な口づけに塞がれ、驚愕に見開いた目を間近でアリーの瞳が楽し むように見ていた。 「んっ!んふっ、んんー…!!」 アリーの片足が俺の足の間に割り込んでくる。膝蹴りでも見舞ってやろうとしたが、奴の足に挟まれ た方の足を踏まれ、それは叶わなかった。 角度を変えて繰り返される口づけに、どちらのものともわからない唾液が顎を伝って落ちる。そちら に気がそれることもなく、舌を絡め取られ、何も抵抗できない己に怒りがつのった。 「テメェの躯の代金を上乗せしてあんだよ。流石だな、ナナシ。やられる側としてもお前は最高だ」 「っ!?」 瞬間、脳髄に電撃が疾ったような錯覚に陥る。 誰も知らない筈の己の過去を奴は知っている…――少なくとも今のアリーの言葉にはそんな素振りが 見えた。 俺が動揺している間に、アリーは俺のナイフを奪い、それで袖口と肩を壁に縫い留める。 「くっ…!!」 「キスされてる時の顔のほうが色っぽかったぜ?」 「っ、黙れ!!」 クククッ、と喉奥で笑ったアリーは俺の持ってきた鞄から薬を取り出し、それを注射器に溶かして入 れた。 「こっちのが効くだろ?」 空気を抜いて右手に持つとゆっくりこちらに歩いて来る。嫌な汗が背中を流れた。 「アリー!?」 俺の左腕を押さえ、袖口を留めていたナイフを抜き、袖を捲り上げる。あまり日に晒さない肌がアリ ーの褐色の肌と比べて、更に白く映った。 「美味いぜ?お前ンとこのクスリはよぉ」 「っ、止せ!!アリー!!」 ぷつり。針が肌を突き刺し、流れ込む異物に躯の熱が脈打つ鼓動に合わせて上がっていく。 「ぁっ、はっ、はぁっ…んん!!」 薬を入れられただけで息が乱れた。その呼吸を止めるように再びアリーが唇を塞ぐ。視界と意識が朦 朧とした。 壁に縫い留められていたのを解放され、アリーの拘束が無くなると、俺の躯は壁にもたれるように崩 れ落ちる。顔を上げる力もなく、腕を引いて立たされても、視界の端にアリーの鍛えられた肉体が映 るだけだった。 服にアリーの手がかかる。俺は力の入らない手でそれを拒んだ。 「大人しくしてろよ。もう我慢の限界だろ?」 「や、めろ‥‥っ」 理性はまだ繋がっている。ひどく脆くはなっているが。 「ナナシ、抱かせろ」 耳にアリーの息がかかる。俺は横目でアリーを睨みつけた。 「いい目だ…。そそるぜ」 ざらりとした感触が首筋をなぞる。呼吸を止めて漏れそうになる喘ぎを喉の奥に押し込んだ。 始まる 「ナナシ…楽しい時間の――」 屈辱の時間の 「――始まりだ」 始まりだ。 ------------------------------------------------------------------------------------------- えっと、たしか、友人Dがすごく言いづらそうに「ナナシさんって…受けに見えるんだけど…」と告 白してくれたので数分悩んだ末にできたのがこのネタでした。 ごめんなさいナナシさん。こんなの書いたせいでトラウマ作ってしまって…。 2008/04/22 |