誰にも言えない秘密の泣き言-4 リボンズに教えられた通りの部屋を訪ねると、確かに部屋の前にはシンプルな花束がバケツに無造作に 生けてあった。扉の前に立ち、ポケットに突っ込んでいた手を引き抜いて数回ノックをする。 『はぁい?』と中から聞こえたのは確かにアイルの声だ。 「私だ、アイル」 クラウス、と名を告げる前に扉が開いた。カラージーンズとワイシャツを羽織っただけの青年が裸足の まま玄関に立っている。 「アンタ…」 アイルはそれだけ言って、あとは無言のまま私を睨むように見つめた。 無意識に覗いた部屋の中は、片づいているといえるほど綺麗ではなかったが、散らかっているというほ ど汚くもなかった。ダイニングと、その向こうの部屋しか見えなかったが、私物はあまり多くなさそう だ。それでも今日中に出て行けと言われたのだから、そうさせた原因の主として荷造りくらいは手伝っ てやるべきだろう。 「何か手伝えることはないか?荷物をまとめるんだろう?」 そう言ってみたものの、アイルからはまったく反応がない。ただ唇を強く噛んだだけだ。 傷がつくぞ、とその口を冷えた指先でほぐしてやりながら私は勝手に玄関の中へと足を踏み入れる。 「失礼」 「ちょっと…!!」 「まずはちゃんと服を着ろ。部屋の中とはいえ、その恰好では風邪をひく」 私はざっと部屋の中を見渡しながら構造を把握する。トイレ・風呂付きの2DKか。アイルの収入なら もっといいマンションだって探せそうなものを…。 ダイニングの奥の部屋へ行くと、そこには乱れたままのベッドと湯気の立つコーヒーが置いてあった。 玄関に来客を示すような靴はなかったし、部屋の中にも他に気配はない。おそらく寝入っていたところ をリボンズに起こされ、まずは混乱を落ち着かせるために自分でコーヒーを煎れたのだろう。一番奥の 部屋は物置と貸しているようだ。たくさんの洋服や貢ぎ物らしき靴や鞄の箱が積み重なっている。 「もしも朝食がまだなら私が買ってこようか。それとも…」 先に部屋の片づけを?と尋ねる前に、アイルがスッと身を寄せてきてあっという間にベッドへ押し倒さ れてしまった。ベッドに腰掛けるように体を起こしたが、体のすぐ脇にアイルが手をついて顔を寄せて くる。艶めかしい手つきで私の顔に触れた。 「それとも、俺とする…?」 なにを馬鹿な。私が言う前にアイルは私の膝の上に体を乗せ、更に甘い声で私を誘った。 「アンタが俺を買ったんだって?だったら好きにすればいいよ。俺、アンタが思ってる以上のこと、で きるぜ?手でも口でも、騎乗位でも座位でも。まだ欲情しないっていうなら、最初に俺が自分でやる けど…?」 どう?と試すような眼差しで問うアイルを、私は肩を押して立たせながらワイシャツのボタンを留めて やる。そうしながら努めて低い声で告げた。 「私は君との性行為を目的に、君を買ったわけではない。君を救うためだ」 「俺を…救う、だと?」 ボタンを全部留めて、私は取り敢えず貢ぎ物の鞄の中に荷物を詰められる大きさの物はないかと探しな がら、アイルの声に応えてやる。 「そうだ。いつまでもこんな仕事を君に続けさせるわけにはいかない。だから私は君を買った。今日を 機にこの仕事はやめるんだ、アイル」 「そんな……」 部屋の隅にキャスター付きの旅行鞄を見つけた。まずは一つだな。あとはボストンバッグも二つ見つけ た。しかしこれで足りるだろうか。整理はされているが、客商売をしているだけあって彼の持つ服の量 はかなりのものになりそうだ。 さらに物色を続けていると、後ろでドサッという音がしたので振り返った。 アイルが呆然とした表情で床に座り込んでいる。よく見ると震えているようだ。 「アイル……」 私は手近にあった上着を持って彼に近寄る。肩に掛けてやると、白く華奢な手でギュッと掴んだ。 「無理だ……。俺には、この仕事しかないんだ……。色目使って、媚びて、足開いて……。俺には、そ れしか……」 「決めつけるな。君はまだやっていないことが多いだけだ。風俗なんてしなくても、君にできる仕事は 必ず他にある」 アイルの目が私を見た。本当に?と問うように、まるで子どものような目だ。私はうなずき、立ち上 がった。 「だから、まずは新しい家を探すんだ。それから新しい仕事を。幸いこの辺りはラブホテルではない、 普通のビジネスホテルもいくつかある。当面の間はそこに宿泊して…」 「ちょっと…、ちょっと待てよ」 アイルの目に明らかに狼狽の様子が浮かぶ。彼は上着を掴んだまま、僅かに身を乗り出して問いただし た。 「アンタ、俺のこと連れてってくれるんじゃないのかよ。俺の新しい仕事、探してくれるんじゃ……」 私は静かに首を振る。ガバッとアイルは立ち上がった。 「私がするのはあくまできっかけ作りだ。さすがに今日中にここを出て行けと言われたのでは、手が足 らないだろうと思って手伝いに来た。この様子ならある程度、貯金もしてあるのだろう?それなら後 は寝る場所さえ確保できれば、いくらでも新しい仕事を探せる」 「う、そ……。嘘だろ!?ふざけんなよ!!俺から住む場所も生きる術も奪っておいて、ただ“手伝いに来 た”だぁ!?ふざけんじゃねぇ!!」 アイルの細い腕が伸びて、襟首に掴みかかってくる。その手を押さえながら私は諭すように言った。 「ふざけてなどいない。私は君を助けたかったんだ。あのままあの店で働いていたら君は警察に捕まっ ていた」 「それがなんだって言うんだよ!!俺はあの仕事で十分だったんだ。この身体が使えなくなるまで働い て、それで……」 アイルは続く言葉を失い、口ごもる。手に込められた力は徐々に抜けていった。 彼だってわかっているのだ。身体を売る仕事はやめるべきなのだと。本心ではやめたいのと思っている のだと。そんなこと、二度目に出会い、喧嘩をした時から私は感じていた。ただ、抜け出すきっかけを 見失っているだけなのだ。 「“それで”?それで君は何を得る?君には何が残るんだ」 彷徨う視線。やがて俯いた彼の肩に手を伸ばすと、ぴくりと彼の体が震えた。 「…うるさい…」 それでも私は彼の肩に触れる。 「新しくやり直すんだ、アイル」 元気づけるために撫でようとして、勢いよく振り払われた。 「うるさい!!」 端正な顔を怒りに歪ませ、彼は叫ぶように言う。 「アンタが正しいみたいな言い方すんな!中途半端な助け方しやがって!!」 ぐい、と腕を引かれ、よろめいたところを玄関の方へドンッと押された。 「出て行けよ…!どっか行けよ!!」 「アイル、私は……」 私の背を押しながら、アイルは叫び続ける。 「出てけ!アンタの顔なんてもう見たくない!!消えろよ!!」 玄関の扉を開き、ついに押し出される。靴を投げつけられ、扉が閉まる寸前に振り返った際、一瞬だけ 見えたアイルの表情は、泣き顔だった。 「アイル……」 鍵を掛けられた扉に手を置き、呟くと、中からもう一度『帰れよ!!』と涙交じりの声が響いた。 すまない、と告げることさえ、今の彼を傷つける気がして、私はゆっくりと扉から後ずさる。扉の向こ うから小さな声で『兄さん…』と声がしたが何も言わず、アパートから立ち去った。 自宅への道すがら、電話を取り出して勤務先の店長へ連絡を取る。急用ができたので今晩の仕事は誰か 別の人と交代させてくれるように頼み、電話を切った。 「まったく、私は…。本当に手際が悪いな」 がしがしと頭を掻き、家路を急いだ。 -------------------------------------------------------------------------------------------- 誘いモードのライルを書くの、実はけっこう好きです。そして流されないクラウスさんも好きです(笑 間取りを考えるのが苦手で、外装のイメージはあるんですけど、内装とかはさっぱりです。 外装は住居レベル的な感じで、ボロアパートなのか高級マンションなのか、新築なのか、みたいなイメ ージを持って書いてます。 これまでの登場人物でいうと、一番ちゃんとしたところに住んでるのはアレルヤ。広さもあって、建て られたばっかりみたいなイメージ。次がクラウスさんかライルだけど、ライルの住んでる場所はちょっ と寂しい感じです。ニールの住んでるアパートは外装は綺麗で新築っぽいんだけど、部屋は一番狭いで す。 内装は、取り敢えず今回のライルの部屋を例にしてみると、玄関入ってすぐのところにキッチンがあっ て、他に部屋が二つある、くらいしか考えてません。どういうつくりになっているのかはさっぱり。 2009/10/27 |