誰にも言えない秘密の泣き言-3



光の加減で青にも赤にも見える扉には『A-lows』という店の名前が掲げられ、『準備中』の札が下がっ
ていた。裏口へ回るべきかと思いながら、試しに軽くその扉を押してみるとキィ…、と音を立てて内側
へ開く。そのまま中の様子を窺いながら扉の隙間を広げていくと、紫色でウェーブのかかった髪の中性
的な面立ちの人物が腰掛けていたカウンターから背伸びしてこちらを見た。

「あれー?『準備中』の札、下げてなかったっけ?」

声も男性だか女性だかわからない声をしている。明らかに伊達だとわかる眼鏡をかけ、その人物はカウ
ンターから出てきた。
背はあまり高くない。未成年のように見えるが、こんな時間にカウンターにいたのだからここの従業員
だろう。あるいは低い確率で図々しい空き巣という線もあったが…。

「なんか言ったらどう?まだ開店準備中だって言ってるんだよ、お客さん」

「―――…君は、ここの従業員か?」

想像していた従業員像と異なりすぎていたのでショックが大きく、辛うじてこの質問を口にすることが
できた。
目の前まで来た―――仮に彼としておこう―――彼はヒョイと肩をすくめて言った。

「当たり前だろう?そうじゃなかったらなんだっていうの?」

心外だというふうな口調にまさか空き巣とは言えず、その答えは胸のうちにしまうことにする。私は気
を取り直し、店の奥を窺うように視線を巡らせながら彼に問いかけた。

「店長かオーナーに話がある。いらっしゃるかな」

「いるよー。おーいリボンズー、君にお客さんだよー」

縦に長い作りの店内。その一番手前の部屋の扉が開く。
中から現れたのは目の前の彼とあまりかわらないくらいの年齢に見える少年。珍しい黄緑色の髪をして
いた。

「こんな時間にかい?」

あまりに若い店長に目を張るが、同時にやはり迷惑だっただろうかと思った。出てきた少年の煩わしげ
な表情を見る限り、夜が明けて間もないこの時間では、やはりどのような仕事をしている人物にとって
も非常識だったかもしれない。売春などの違法風俗店はもちろん、ふつうのパブクラブにもあまり足を
踏み入れてこなかった自分には、こういう店の空いた時間というものに見当がつかなかったのだ。

「突然押しかけて申し訳ない。アポイントが必要なのだというなら改めて出直すが、至急考えてもらい
 たい話がある」

「“アポイント”だって。ねぇ、貴方サラリーマン?」

最初にカウンターにいた紫色の髪の少年がくすくす笑いながら尋ねる。私はそちらへ視線を移しながら
答えた。

「少し前までは、な。さぁ店長。迷惑なら出直すが…?」

話を向けられた彼は口元に笑みを刻み、首を振る。

「構いませんよ。こちらへどうぞ、話をお聞きします」

紫色の髪の少年に道を譲られ、私は事務室であるらしい部屋へ導かれた。部屋に入る直前で、店長の彼
は私を振り返ってニコリと付け加えた。

「あぁ、そうだ。一つだけ訂正を。僕はこの店の店長ではなく、オーナーです。店長は彼」

示されたのは先ほどの少年。驚愕が隠せず瞬きを繰り返す。

「まぁ、実質店長らしいことをしてくれているのはここにいる彼らですけどね。悪いけど、少しの間こ
 の部屋を使うよ」

開いた扉の奥。まず目に入ったのはガラスのテーブルを挟んだ二つのソファーに輪になって腰掛けた藤
色の髪の少年と、薄い黄緑色の髪の少女、オレンジ色の短い髪の青年。彼らはデータの記された資料を
選別してはシールを貼ったり、ファイリングしたりと作業をしていた。それから壁際の事務机に向かっ
てパソコン入力をしている二人の人物。藤色の長い髪をした女性と、同じく長髪だがオレンジ色の髪を
した男性。

「アニューとヒリングはリジェネの作業を見てやって。彼、さっき頼んだ会計をまだ済ませてないん
 だ。リヴァイブとブリング、デヴァインは客室で起きあがれなくなっちゃってる子たちをアパートま
 で送っていってくれないか」

「はーい!」

一番に返事をしたのは薄い黄緑色の髪の少女。それからソファーに座っていた他の二人も広げていた資
料をまとめ始め、パソコンに向かっていた女性も振り向いて穏やかに微笑んだ。彼女は隣に座っていた
青年がシステムの終了に手間取っていたようなので、それを手伝ってやってから、彼らはぞろぞろと私
の横を抜けて出て行く。
空いた部屋の、さっきまで作業が行われていたテーブルを挟み、勧められるままにオーナーを名乗る彼
とは反対側のソファーへ腰掛けた。

「改めて自己紹介をしましょうか。僕はリボンズ・アルマーク、ここのオーナーです」

ニコリと微笑を浮かべる彼は、なるほど店の経営などには向いていそうだ。

「私はクラウス・グラードという。この通りのバーでバーテンダーをしている」

「では、ミスター・グラード。僕に至急考えてもらいたいお話とはなんでしょうか?」

あぁしかし双眸に乗せた微笑みには感情がない。まったく裏の読めない笑みに、確かにこういう店の経
営には向いていると、内心で納得した。
私は緊張を悟らせないよう、なるべく堂々とした態度で手を組むと話を切り出す。

「単刀直入に申し上げる。貴方が雇っている娼夫の一人を売ってほしい」

リボンズは笑みを深くし、楽しそうな声で言った。

「“売ってほしい”ですか。バーテンダーというからにはもう少し上品な言い回しをするかと思いまし
 たが……」

「この業界ではこういう言い方をするんだろう?気に入らなかったなら言い方を改めるが」

「“売ってくれ”も“譲ってくれ”も同じですよ。それで、この店の誰を買い取ろうというのです?」

私は詰めていた息をゆっくり吐き出しながら、脳裏に望む青年の姿を思い浮かべる。
彼はこの仕事しかないと言っていた。この仕事をなくしたら、もう生きていく術はないのだと。
しかし同時に、この仕事をやめたいとも願っていた。それは生きることを放棄しての願いではなく、夜
の闇の中で生きることに耐えられなくなって、昼の光の中で羽根を伸ばしたいと望んでの願いだ。
彼はまだ若い。望まない職業だったとはいえ、やり直すだけの時間も金もある。ただそのきっかけを自
分で作れないだけで。

「―――アイルを。彼を譲ってほしい」

ならばそのきっかけを私が作ってやる。三日後……、夜が明けたので二日後になってしまったかもしれ
ないが、明後日を過ぎてはやり直そうとする君に大きな傷を残すことになる。そうなる前に、私が…。

「アイル、ですか…。彼はこの店の一番人気ですよ。それをわかっていて仰っているんですか?」

「あぁ、承知の上だ」

店での人気に比例して、提示される値段の額も高くなることは予測済みだ。
出会ってまだ三回しか顔を合わせていない相手になぜそこまでしてやれるのか、それはわからない。だ
が、覚悟はしてきたつもりだ。

「アイルにこの店をやめさせたい。そのためにアイルを買いたいんだ。いくらで売ってくれる?」

あの時折無邪気に笑う青年を思い浮かべ、彼を金で売り買いするなど、まるでモノ扱いしているようで
嫌でしかたなかったが、これがこの世界でのやり方なのだと自分に言い聞かせる。
リボンズは小さくため息を吐くと、「高いですよ?」と再度念押ししながら傍らに置きっぱなしにされ
ていたファイルを手に取った。

「アイルを失うことでこの店の売り上げは極端にといかないが、確実に低下するでしょう。彼の価値は
 それほどに高い。そのことを含め、アイルを貴方に売るには…」

ファイルに記されたデータを目で追いながらぽつりぽつりと口の中で計算をするリボンズ。パタンと
ファイルを閉じた彼は手の平を開いてこちらに見せた。その前に三本の指が付け足される。

「八百万」

思わず顔をしかめてしまう。百万や二百万の買い物では済まないとわかってはいたが、さすがに高い。

「どうします?やめますか?」

くすくすと笑いながら尋ねる彼に、私はキッと唇を引き結んだ。

「払おう、八百万」

「潔いですね、ミスター・グラード。では…」

そう言って席を立つリボンズを、交渉成立の資料でも作成するのかと目で追っていたら、彼は電卓を持
って再び戻ってきた。怪訝な表情でその様子を見ていたら、彼はこちらを気にする様子もなく、新たに
別のファイルを開いて計算を始める。

「なんの計算だ…?」

思わず口に出して聞くと、リボンズは計算の終わった電卓とファイルをこちらに差し出しながら答え
た。

「アイルに貸し与えていたアパートの部屋を退去する際の費用と、彼がいなくなった分の店の改装料。
 名前のプレートを変えたり、受付にある名簿も作り直さないといけないからね。あと、この店を贔屓
 にしてくれてた他のお店にも迷惑がかかるからね、その迷惑料」

電卓に表示された数字を見て眉をしかめたが、まぁ、追加料金として払えない額ではない、か…。

「あぁ、それ、ゼロが一つ足りてないからね。八百万に追加で二百万。合計一千万だよ」

「なっ…!」

ぼったくりだろうそれは!と叫びそうになりながら、なんとか堪える。アイルを引き取る料金に関して
は文句はない。人ひとりの命を売り買いしているのだ。本来ならば値段などつけられようがない。
だが、その追加料金とやらは明らかにふっかけではないか。ファイルのデータを見てみても、特に迷惑
料の辺りは詳細が不明瞭だ。
抗議しようと口を開き掛けたところをリボンズに先を取られる。

「裁判にかけようなんて、無駄ですからね。そんなことをすれば人を買おうとしていた貴方だってただ
 じゃすまないし、アイルだってそうだ。心配しなくてもこれ以上の金額の追加はありませんし、一千
 万を払っていただければアイルも、アイルのことを記した資料も全て貴方に譲ります。その後で貴方
 たちを探し出して新たに何かの請求をすることもしません。この二百万には貴方たちの安心料も入っ
 てるんですよ」

安いものでしょう?と、さもこの商談が私にとって有益であると思わせるような口調だが、内容は詐欺
同然だ。
こちらの思っていたことが伝わったのか、感情を読ませない瞳をこちらに向けて彼は言う。

「払えないというならばこの話はなかったことになりますが、よろしいですか…?」

「――…天使のような顔をして悪魔のようなことを言う…!」

リボンズは何も言わずに微笑を携えている。頬を冷たい汗が伝い落ちた。
私ははぁっ、と大きく息をつき、席を立った。

「金を用意してくる。三時間後には戻るので、それまでに資料の類を用意しておいてくれ。さきほどの
 言葉、信用させてもらうからな。妙な小細工はするなよ」

「もちろんですよ、ミスター・グラード」

部屋の扉に手を掛けた時、ソファーからリボンズが立ち上がる気配がする。

「それでは、三時間後の来店をお待ちしております」

肩越しに振り返った彼は深々と腰を折っていた。私は「あぁ」と片手を上げ、カウンターの横を抜け
る。アニュー・リターナー、とリボンズの呼ぶ声がしたが、今度は振り返ることをせず店の扉を開い
た。

「アイルの資料を全部まとめてくれ。ミスター・グラードが彼を引き取るそうだから」

「えっ…!?アイルを…―――」

背後でのやりとりに視線を肩の辺りまで移動させたが、閉まる扉の風圧がそれを遮った。
もちろん、その後の店員たちの声は聞き取れなかった。


 ◇◆◇


三時間後、私は約束の金を持って再び店を訪れた。金融会社から借金まではしなかったが、おそらくこ
の後することになるだろうな。今回は取り敢えず、古い友人を叩き起こして、なんとか工面してきた。
店に入るとアニューというらしい藤色の髪の女性が私を部屋に案内した。彼女はとても悲しそうな顔を
していたので、思わず「どうした」と尋ねたが、彼女は何も言わず退室してしまう。私が不思議に思っ
ていると、封筒を持ったリボンズが言った。

「アニューはアイルに同情という名の片想いをしていたんですよ。もっとも、彼はそのことにまったく
 気づいていませんでしたが…」

そのことに気づいていながら、彼女に資料の作成を指示したのか、この男は…。
つくづく気に入らないが、アイルを解放するまでの辛抱だ。
私は肩に提げてきた鞄を下ろし、中から現金一千万を取り出す。それをリボンズのほうへ押しやって、
差し出された封筒を受け取った。

「これでアイルに関する資料は全てか」

中身を確認しながら尋ねる。

「アニューの仕事は正確だよ。控えめな態度さえなかったら彼女を店長にしたいところだったんだけど
 ね…―――、うん、確かに一千万。それじゃ…」

言うなり、おもむろに取り出した携帯電話でリボンズは電話をかけ始めた。

「―――あぁ、アイルかい?今ね、ミスター・グラードとの商談がまとまって、君は今日から店に来な
 くてよくなったよ」

電話の向こうから、アイルの声で「はぁ!?」と叫ぶ声がする。それを無視してリボンズは話を続けた。

「部屋の荷物をまとめて、今日中にアパートから出て行ってね。明日には業者を呼ぶから。あぁ、持ち
 きれなかった荷物は安心して。こちらでちゃんと処分しておくから」

『ちょ、ちょっと待ってくれリボンズ!!ミスター・グラードって…!?アパートを出て行けって、いった
 いどういう…!?』

アイルが焦るのも当然だ。リボンズの話は唐突すぎる上に一方的だ。しかも今日中に今住んでいる場所
から出て行けというのは…。

「君はミスター・グラード、クラウス・グラード氏に買われたんだよ。だからもうこの店で商売はさせ
 ない。従業員ではなくなったんだからアパートにも住まわせない。わかったかい?」

『そ、んな…っ』

電話の向こうでアイルが絶句する。リボンズは「それじゃ」とこれで話は終わったというように電話を
切ろうとする。

『待っ…』

アイルの声は途中で切れ、リボンズは携帯電話をテーブルに置いた。

「はい、これですべての話はおしまい。お買いあげありがとうございました、ミスター・グラード」

「―――…アイルの住んでいるアパートはどこだか教えてくれないか」

また別料金を取られるかと身構えたが、彼はあっさりと教えてくれた。

「駅を挟んで反対側の、赤いマンションのすぐ傍です。二階建て二階の一番奥の部屋。毎晩貢がれて帰
 る花束が外の廊下に出されているからすぐにわかりますよ」

「そうか…、ありがとう」

「こちらこそ」

最後まで笑みを絶やさなかったな…。やはりあまり関わり合いになりたくない相手だ。
私は封筒を手に店を出て、人の数が増えてきた通りを駅に向かって歩き出す。



これでとにかく、アイルを警察の取り締まりから逃れさせることができた。

あとは、アイル次第だ。



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毎回申し上げますが、社会の仕組みのいっさいわからない若輩者が書いておりますので、偏見が多分に
含まれていることをご容赦ください。。。

それにしても、クラウスさんはお金持ちですね。たぶん借りたのは百万とかそのくらいですよ。
まぁ、なんでそんなお金があったのか、ていうところは追々……。

2009/10/27

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