誰にも言えない秘密の泣き言 2 路上でアイルと喧嘩をし、別れてから一週間。 「クラウス、空き瓶がいっぱいになったから裏に出してきてくれないか」 「あとついでにチーズをいくらか買ってきて。さすがに閉店二時間前に品切れはまずい」 同僚と店長にそう頼まれ、制服の上にコートを羽織ると店の外に出た。 空き瓶でいっぱいのケースから酒の種類別に裏口の脇へ分けて置き、間に合わせのチーズを買いに表通 りの店へ向かう。 駅前を通り、仕入れているチーズと同じものを扱っている店でいつもより少し割高のそれを買った。再 び同じ道を通って店へ戻る。 控えめに灯る店の看板が雑踏の合間から見えてきた。店との距離が近づくに従って、店の前で立ち止ま り、扉をぼんやり見つめている青年が目に入る。 私は彼の傍まで近寄って、驚かさないようにそっと声を掛けた。 「アイル、どうした?」 着ているコートよりも明るいブラウンの髪を揺らして私を振り返るアイル。声を掛けたのが私だとわか ると、彼はなんとなく気まずそうに視線を逸らした。 先日のこともあるからな。ここは年上として先に謝るべきだろう。 「このあいだは悪かったな。知り合ったばかりなのに偉そうな口をきいた」 アイルは拗ねた子どものように眉を寄せ、唇を尖らせながら、小さな声で「ずりぃんだよ…」と呟く。 なんとなくその顔が可愛いと感じてしまったから思わず笑みを漏らすと、アイルは不服そうに私を睨ん だ。 彼には気に食わないことだととわかっていながらアイルの頭をわしわしと撫で、「それで?」と話を変 える。 「今日もウチで待ち合わせか?」 予想通り私の手は払われてしまったが、その時の彼の表情を見る限り、まんざらでもないようだった。 アイルは頬を染めながら「ちげぇよ」と言った。 「たまたま通っただけ。客が店じゃなくて外のラブホ行こうって言うから線路脇の新しいとこ行ってき た帰り」 そう言って掻き上げた髪の下に隠されていた紅い痕にドキリとする。それに気づいていないのか、アイ ルは道行く人々をぼぅっと眺めながら独り言のように言う。 「最近多いんだよな、店でじゃなくて外行こうって客。ま、金は向こう持ちだし、チップもはずんでく れるから文句はないけど…」 その時、店から客が出てきて、私とアイルは端に寄って避けた。客に会釈をして見送ると、アイルも己 の店へ戻る素振りを見せる。 「それじゃ、俺もう行くから」 「あぁ。……そうだアイル。君の働いている店の名前を教えてくれないか」 「なんだよ、こないだは興味なさそうな顔してたのに。来たら俺のこと指名してくれんのか?」 営業用の口調に切り替えてふわりと妖艶に微笑んだアイルに、私は意に介さず普段通りの笑みを返した。 「考えておくよ」 アイルは呆れたようにため息を吐くと、あっさりとした表情で笑って言った。 「ったく、アンタは……。『A-lows』だよ、アロウズ。覚えた?」 A―――誰よりも、lows―――卑しい者たち。 なんと自虐的な……。しかしそれが逆にアイルの戒めとなり、彼にとっては心地いいのかもしれない。 「どうしたよ、変な顔してっぞ?じゃあ、俺は行くからな。今日はあと二人は相手しねぇと……」 トントンと軽く腰を叩き、アイルは背を向ける。私はその背中に向かって、言いたかった言葉とは別の 言葉をかけた。 「……あまり、無理をするなよ」 アイルは意外そうな顔をして私を振り向き、悪戯少年のように笑った。 「ご忠告どーもっ」 それきり彼は前を向いたまま、ネオン街の中へ去っていった。 私は店の裏口にまわる路地へ足を踏み出して、視界の端に見知った姿を見た気がして通りを振り返る。 「あ、‥‥‥」 そこには先日、ウチの店でアイルと待ち合わせをしていた会社員がいた。どうやらアイルが去っていっ た方向へ歩いていこうとして、知り合いに呼び止められたらしい、ざわめきの中から彼ともう一人の会 話が聞こえてくる。 「悪いことは言わねぇよ。今月中はヌける店に行くのはやめたほうがいい」 「なぜだ?今まで私に店を紹介してくれていたのはお前じゃないか。今日だって『A-lows』へ……」 「あぁ、特にそこはやめといたほうがいいな。一番危ないぜ」 『A-lows』が危険な場所?どういうことだろう。ついさっき店の名前を聞いたばかりの身としては無視 できない。路地に入りかけていた足を通りへ戻して更に聞き耳を立てる。 「危ない?いったいどういうことだ?」 「なんでも、最近サツが取り締まり強化してるみたいでな。近々その店を含め、この界隈の違法風俗店 を一斉検挙するらしい。その場に居合わせたら最後、一生がめちゃくちゃになるぜ」 「な……―――」 「その話は本当か!?」 話を聞いていた当人よりも早く、間に割り込んでもう一人の男の肩を揺すった。 「な、なんだよアンタは!?」 「ここのバーテンだ!そんなことはいいからその話は本当なのか!?」 その男は戸惑っていたが、こちらのあまりの必死さに気圧されて何回も首を縦に振って言った。 「本当だよ!そういう情報は早く仕入れて気をつけてねぇと一生が台無しだかんな。信用できる情報筋 から一番に買うんだ」 その答えに普段はしない舌打ちを思わず漏らすと、私は懐から紙幣を取り出して男の手に握らせる。 「ついでに聞かせてくれ。警察の一斉検挙はいつだ?それから、風俗店の店員を無理矢理やめさせる方 法は?」 渡された紙幣の額を見て、男は片眉を上げると口笛を吹いてから答えた。 「俺の聞いた話じゃ三日後だ。それ以上早まることはねぇが、三日後にはきっちり身を整えていねぇと 痛い目みるぜ」 「店員を引き取る方法は?」 男はへヘッと下品な笑いを見せて私の全身を値踏みするように眺める。 「随分ご執心だなァ……」 「いいから答えろ」 グッと男の襟首を掴むと、額に汗を浮かべた相手は観念したように両手を前に広げた。 「わかった、わかったよ…。目当ての女を手に入れたいなら必要なのは“金”だ。店のオーナーに直談 判して、そいつにありったけの金を叩きつけりゃいい。要は女をアンタが買っちまうってこった。簡 単だろ?」 私が男に掴みかかっていた手を離すと、二人は「もういいか」と言うなり、こちらが頷く間もなく走り 去ってしまった。 「金――、金か……」 私はただそれだけ呟くと、ぼんやりしながら店へ戻った。 それから仕事が終わるまで、考えに耽り、どのように接客をしていたのかよく覚えていない。途中から つまみの盛りつけやボトルの補充など、裏方の仕事を多くまわされた覚えがあるので、仕事に身が入っ ていないと店長も察していたのだろう。 店の閉店時間を過ぎ、掃除の途中で店長から先に上がれと言われた。謝罪と礼を述べ、私は店を出る。 向かうは違法風俗店『A-lows』。夜が明け始めた東の空に自嘲の笑みを浮かべながら、颯爽と人通りの ない道を進んでいった。 -------------------------------------------------------------------------------------------- 何がどう違法なのかよくわかりませんが、たぶん未成年者を雇ったりしてたんでしょう。ごめん適当。 それから勝手に「A-lows」の解釈を変えてます。信じないでください。 ところでバーテンダーの仕事ってなんだろう。なんちゃってバーでこれまたすみません(汗 2009/10/18 |