誰にも言えない秘密の過去 前編 僕は今、非常に困っていた。 人を夕食に誘ったのはいいけれど、不慣れな土地だった為に待ち合わせ場所へ辿り着けない。 おそらく、駅の出口を間違えて反対側へと出てしまったようだ。 立ち止まって現在地を再確認すると、やはり待ち合わせ場所とは正反対の場所にいる。回れ右をして駅 へ引き返しながら、自分を待ってくれているだろう相手にメールで遅れることを伝えて詫びる。 早足でネオン街を歩いて行くと、来る時ほどは人に声を掛けられなかった。 ただでさえ女の人の肌なんて恥ずかしくて直視できないのに、そんな露出の激しい服で言い寄られたら 走って逃げ出したくなる。 というか、いっそ走ってしまえばいいじゃないか。自分は急いでいるんだから構わないだろう。誰かに ぶつかるなんてヘマもしないし。 「よし……っ」 肩のバッグを掛け直し、駅への通りを見据えた時、ふと雑居ビルから現れた人物に目を奪われる。その 人物とは男の人で、けれど男の人だとわかっているのにどきりとするほどの色気を漂わせている。 その人は、ビルから一緒に出てきた別の男の人を見送って小さく手を振ると、そのまま髪を掻き上げ た。僅かに見えた項と、その横顔に視線を奪われていたら、その人は僕を見つけてフワリと微笑を浮 かべる。 「お兄さん、時間ある?」 甘い声を発しながらその人は僕に近づいてきた。オフホワイトのロングコートを翻し、首周りのファー へ頬を埋めて首を傾げている。 「心配すんなよ。こんなコート着てるけど、俺そんなに高くないから。それに‥‥」 そっと触れられた手にビクッと反応する。形のいい唇がなまめかしく言葉を紡ぎ、僕の視線は唇から首 筋、はだけられた胸元へと吸い寄せられた。 「正直、欲求不満なんだ。さっきのお客さん、していいって言ってんのにキスしかしてくんねーんだも んよ」 ここは往来だというのに、彼は僕と手を絡めて、キスしそうなほど顔を近づけてくる。 「安くするから。な?俺とヤらない?」 信じられない光景と状況に、僕はやっとのことで声を絞り出した。 「ニール‥‥、何、してるの…?」 その瞬間、恋人と瓜二つの顔立ちをしたその人は、ハッと目を見開いた。 「アンタ‥‥」 その声にようやく気持ちが落ち着いてきて、そうすると、今まで恋人とそっくりだと思っていた目の前 の男性は、少し雰囲気が異なると理解してきた。 「違う……ニールじゃないね。貴方、誰ですか…?」 僕にセックスを持ち掛けてきたその人は、ため息と共に笑い声を上げると、柔らかくウェーブした髪に 指を差し込んでクシャッと混ぜた。 「なんだ、兄さんの知り合いか。兄さんに悪いことしちゃったな…」 「“兄さん”?貴方、ニールの弟さんなの?」 彼は一度伏せた視線を再び僕に向けて、不適な笑みを見せる。 「そうだよ」 双子……。子どもの頃に家族を失ったという話は聞いていた。けれど、まさか双子だったなんて…。 僕の混乱を読み取ってか、目の前の人はクスリと笑って口を開いた。 「あのな 「アレルヤ!!」 しかし聞こえてきたのは正真正銘あの人の声。 僕が驚いて道の先を見遣ると、グレーのコートを着たニールが早足でこちらへ向かって来ていた。僕は 思わず、彼の弟を名乗る人より前へ出て、何故か姿を隠す壁になる。 「お前な、待ち合わせ場所指定しといて間違えんなよ!俺がどんだけ心配したか…っと、」 ニールの方へ歩き出した僕の背後で、小さな声で「あーぁ」と言うのが聞こえた。 「後ろの、誰だ?知り合いか?」 ニールは僕の後ろにいる人影に気づいて尋ねる。僕が答える前に、その人物は自ら名乗った。 「久しぶり、兄さん。ごめんね、兄さんのお友達、うっかりお店誘っちゃった」 「っ、ライル…!?お前…こんな所で何して‥‥!!」 二人の間に挟まれて、僕はどうしたらいいかわからない。 取り敢えずわかることと言えば、ニールにとっても、彼との再会は予想だにしていなかったということ だ。 「何年ぶりかな…。兄さんはちゃんとした生活、できてるみたいだな。見ての通り、俺は駄目だったけ ど」 「ライル…」 「待って、ここではまだ“アイル”なんだ。本名で呼ばないで」 「なっ‥‥」 名前を偽るという行為にどんな意味があるのか。可能性は多すぎて僕には判断しきれないが、ニールに はそれが意味する理由に心当たりがあるらしい。 困惑しているニールをよそに、苦笑した彼は視線を逸らした先で何かと目が合い、小さく会釈をした。 僕とニールもそちらへ視線をやると、珍しい黄緑色の髪をした少年がゆっくりとこちらへ向かって歩い てきていた。 「やぁアイル。なかなか店に戻って来ないから、散歩がてら探しに来たんだ」 「そりゃ悪かったな、リボンズ。兄さん、彼は今の俺の雇い主。俺は今、リボンズの店で働いてるん だ」 「はじめまして。リボンズ・アルマークです」 にこやかに挨拶をする少年は、しっかりした口調はしているが、店の主というのは俄には信じられない 若さだ。 リボンズはニールを見て、おずおずと尋ねた。 「アイルのお兄さんということは、もしかしてリィルさんですか?今はどちらのお店に勤めていらっ しゃるのでしょう?」 その時、ニールの肩が僅かに強ばり、息を詰める気配がした。 「駄目だよリボンズ。兄さんをスカウトしたって無駄だ」 「そうかな。できるだけ好条件を出すつもりなんだけど。何せ、僕たちの世界じゃ夢のような存在の、 あの大ヒットAVの俳優が自分の店で働いてくれるなんて…」 「やめてくれっ!!」 唐突にニールが叫んだ。 「俺はもうっ、そういう仕事はしないっ!!」 「もったいないな。それじゃ、君はどう?君もなかなかカッコイイし、リィルさんも一緒になら働いて くれる?」 僕が?ちょっと待って、あり得ない! そう言う前にニールが「ふざけるな!!」と叫んでいた。 「コイツにまで変な目を向けんなよ!」 「ごめん兄さん。リボンズは一応本気なんだ。そんなに怒らないで」 ライルが慌てて謝るが、ニールの感情が静まる様子はない。 そんな中、好奇の目が僕らに注がれているのに気がついた。それもそうだ。何せ見目麗しい少年と双子 の青年が揃っている。野次馬の一人が歩み寄ってきて、馴れなれしくニールの肩に触れた。 「こんばんはお兄さん。リィルさん…だよね?リボンズの所で働く気がないなら、アタシの店に来な い?お給料、弾んじゃうけど?」 「俺は…っ!!」 パシンッ。僕は声を掛けてきた女性の手を払って、ニールを彼女から遠ざける。 「失礼。リィルさんがどちら様か存じませんが、彼とは人違いです。迷惑していますのでお引き取りく ださい」 声を掛けてきた女性は「あら、そう」と平静を装いながら、人混みへ消えて行った。それ以外にも、僕 のすがめた視線を受けた野次馬たちが虫の子を散らすように去って行く。 「頼りになるね、兄さんのお友達」 ライルが羨むように言った。それからリボンズに目で合図をし、コートの裾を翻す。 「昔のこと、隠してたんでしょう?バラしちゃってごめんね、兄さん」 どうやら店に戻るつもりらしい。彼は寂しげな表情で笑ってみせた。 「俺、兄さんの言ったこと、守れなかった。AVとか体売る仕事、やめられなかった。‥‥ごめん、兄 さん。自慢できる弟になれなくて」 「ライ‥‥っ」 「父さんと母さんとエイミーの命日にまた会おう。教会で待ってるから」 ニールの追いすがる手をすり抜けて、ライルとリボンズの後ろ姿は雑踏の中に消えて行った。 僕は黙ってニールの手を取ると、駅へ向かって歩き出す。かなり早歩きだったから、ニールは転ばない よう必死だ。 「ちょっ、アレルヤ…。早いよ、待てって…!」 「そんな状態で、レストランで食事なんてできないでしょう。僕のアパートに行きます」 「えっ‥‥」 改札の手前で少し速度を落とし、ニールを振り返る。 「話しましょう、ちゃんと」 彼の瞳が揺れた。何かに怯えるように。 僕は強く、彼の手を握り締める。 元気づけたつもりだったけれど、ニールは唇を噛んで俯くばかりだった。 -------------------------------------------------------------------------------------------- アレルヤ早く気づけよ、みたいな(笑 実はこのネタの前にちょっと補足説明をしておかないといけなかったんですよね。 まず、アレルヤとニールは同じ大学の同じ学年です。 知り合ったのは少人数の授業でたまたまペアを組むことになって、とか? ま、そんなこんなで知り合って仲良くなって、「付き合おうか」ってなってここに至るんですけどね (なんというアバウト説明 それで学校で二人が一緒にいるとき、男友達がニールに「友達に見せてもらったAVに出てた人と似て る」とか言うんですよ。まぁ本人は冗談だったんでしょうが、それにアレルヤはちょっと怒り気味にそ れを否定します。後でニールが「もし本当に俺がAV出てたりしたらどうする?」とか聞くんですが、 アレルヤは変わらずニールを愛し続けるって答えるもんでニールはアレルヤに惚れ直すわけです。 さて次は乙女ニールの登場ですよー。 2009/09/08 |