open your eyes-7 三勢力による仕組まれた戦い。その戦いの夜が明けてからから三日後。 僕は悪夢から逃げるように目が覚めた。 「ニール…?」 ベッドの足下に何かの存在を感じて視線を遣れば、見慣れた茶色の髪が揺れていた。 パッと振り返った彼は次の瞬間には溢れんばかりの笑顔で僕の名前を呼んだ。 「アレルヤ!やっと起きたか、このねぼすけめ。待ってろ、今モレノさん呼ぶから」 そう言って彼は僕のベッドから立ち上がる。手にしていた本は彼の好きな作家の書くシリーズの一冊。そ れをベッドの上に置く。僕はその動作を目で追っていて、彼の手首に見慣れない光を見つけ、反射的にそ の腕を掴んだ。 「ニール…、これ、なに…?」 僕が掴んだ彼の左手首には、緑の輝石が僕と同じバングルと共に着けられていた。そのことが意味するの は、一つだけだ。 ニールの表情がサッと翳る。僕は腕だけ伸ばしていた体勢から、もう片方の腕をついて起きあがった。ズ キン、ズキズキと体中の傷が痛み、思わず顔をしかめる。 「アレルヤ、傷が…っ!」 「大丈夫」 僕の怪我のことより、今はこのバングルについて知りたい。そう思ってニールを見たら、彼は頭を垂れて 俯いた。 「―――…、ごめん…」 ニールの謝る意味を悟りたくはなかった。けれどその言葉の意味を知る手がかりが、いま目の前に示され ているのだ。 彼が手首に着けているもの、それは間違いなく、ソレスタルビーイングに残っていた四つ目の輝石、緑の 輝石・デュナメスだ。 輝石は人間には扱えない。輝石を扱えるのは吸血鬼だけだ。 それが意味することといえば、一つだけ。だから、ニールは僕に謝った。 「ごめんな、アレルヤ。俺…、俺もう、お前に血を…あげられない…」 包帯に巻かれた僕の手に触れ、ニールはその上に涙を落とす。その雫を受けるように手の平を彼の頬に添 えて、優しく引き寄せた。重ね合わせた唇は嗚咽を堪えて震えている。 「謝るのは僕のほうでしょ…。僕は貴方の人生をどんどん狂わせてる。僕が弱いせいだね…」 「アレルヤっ、ちが…!」 「違くないよ。僕の心が弱いから、貴方を戦いに巻き込むとわかっていて貴方を好きでいることをやめら れなかった。僕の力が弱いから、貴方を吸血鬼に…して…」 僕はニールの瞼にそっとキスをした。もうこれからは、ひとたび吸血鬼化したならば、この瞼の下の瞳は 新緑から深紅へと変わる。 「ごめんなさい、ニール…。ごめん…ごめんなさい…」 とても悲しかった。そして、悔しかった。自分の不甲斐なさが。守ると言って、結局守ってもらってしま ったことが。 僕も泣きそうだ。そう思った時、ぺちんと頬を両手で挟まれた。 「なに言ってんだ!」 びっくりして目の前のニールを見れば、彼は泣いていた目を少し赤く腫らして、怒ったように僕の顔を挟 んでいた。 「あのなアレルヤ、俺だって男なの!そりゃ大切にしてくれるのも嬉しいけど、俺だってアレルヤのこと 大切にしたいんだよ。お姫さまじゃないんだから、俺ばっか守ってもらってちゃ男として情けないって の!」 「でもニール…、貴方は人間じゃなくなってしまったんだよ…?嫌じゃないの?」 「どうしてだよ。人間と吸血鬼。何か違うところあるか?」 ん?と首を傾げながら、ニールはより僕の近くへ腰を下ろす。 「違うところばかりでしょう。血を吸うし、身体能力も人間の倍以上だし、銀は猛毒だし…」 「それだけだろ」 フワリと甘い香りが漂った。彼の使うシャンプーの香り。額を僕の肩に乗せたニールは、あまり体重を掛 けないように僕に寄り添う。 「俺とお前が初めて出会った頃、お前が吸血鬼だなんて微塵も気づかないほど、人間と吸血鬼の違いなん てありゃしないんだ。何も気にはならないし、何も嫌じゃねぇよ」 自分の襟元に手の平を差し込み、透けるような肌を自らの手で撫でながら、まるで僕の目に晒すように彼 は「ただ…」と続けた。 「ただ、な…。唯一心残りなのは、お前が怪我をしても、もう助けてやれないってことだ…」 僕とニールは共鳴現象を起こす相性の持ち主。そのことで、僕はこれまでにも何度か彼の血を頼りにして 無茶をしたこともあった。彼もまた、そうすることで守られることに納得しているような節があった。 「モレノさんに聞いた。吸血鬼が吸血鬼の血を吸ってもほとんど力の足しにはならないって。たとえそれ が共鳴現象を持つ者同士であったとしても…。だからもう、俺の血でアレルヤを助けてやれなくなっち まった」 その通りだ。吸血鬼同士の吸血行為は意味のないものであるし、一部の血族では禁忌とまでされている。 だから吸血鬼になったニールの血を他の吸血鬼が吸うことはない。もう輸血パックを作る必要もないのだ。 「けどな、今度は俺も一緒に戦えるんだ。前みたいにお前の中から共鳴して疑似体験するんじゃなくて、 本当に、一緒に。だからアレルヤ、今度は俺が傍で一緒に……怪我なんてさせないように一緒に戦うよ」 頭を起こして気丈に笑う彼の笑顔は確かにいつもと同じものだったけど、その時の僕の心の中には黒いわ だかまりができていた。 「ニール、あのね…―――」 彼と出会ってから一年の月日が経とうとしている。それなのに僕は、いくつの隠し事を彼にしてきただろ う。 「ん?どうした?」 表情を曇らせた僕に、ニールは気さくに笑いかける。 「俺なら大丈夫だよ。ラッセに聞いてくれればわかるだろうけど、ちゃぁんと戦えるって」 「違うんだよ、ニール。僕、貴方にまだ言っていなかったことが…あるんだ」 僕は自分の首に巻かれた包帯を解き、傷口に被せてあったガーゼを取り払った。 「ばっ、なにしてんだよ!まだ傷が塞がってな…」 「いいから聞いて」 慌てて包帯を巻き直そうとするニールの手を掴んで止めて、僕は真正面から彼を見つめる。 「僕は普通の吸血鬼じゃないんです」 ニールの視線が僕の手を追って、伸ばした前髪に隠された右目のほうへと動いた。 「僕は特殊な血を引く血族の生き残りなんですよ」 前髪の下に隠していたのは、その血族のみが持つとされていた金色の瞳。その血族の血が働くと吸血鬼化 しても深紅へ変化しない特殊な瞳だ。 ほんの少しだけ前髪を持ち上げて晒した右目をまたすぐに隠して、僕は薄い皮が張ったばかりの首から肩 への傷へ手をやる。軽く引っ掻くと、そこは見る間に傷口が開き、赤く染まりだした。 「っ、アレルヤ!!」 「大丈夫です。ニール、貴方の血を少し下さい」 「なに言って…。俺はもう吸血鬼だから、お前の治癒力を高めたりなんて…」 そう言いながら、ニールは僕が手首の肌を舌で慣らしていても拒もうとはしない。 僕は彼の肌を丁寧に舐め、牙の先を立てる前に一度控えめに顔を上げた。 「僕は、吸血鬼の血を吸う吸血鬼。異端の血族として疎まれ、数年前には脅威として同族に虐殺された吸 血鬼たちの生き残りなんです」 「吸血鬼の血を吸う…吸血鬼…?」 ニールはよく理解できていない表情で繰り返す。 「そう…。だから、貴方の血はまだ…」 やはり目で見せたほうが早いのだろうな、と僕は再び彼の手首へ唇を触れさせた。 「っぁ…、や…ァッ…!」 つぷんと牙の先がニールの肌を貫く。ただそれだけで、彼の体は痛みよりも快感を得るように、僕が変え てしまっていた。 「ぁっ、あぁッ…ん…、アレルヤ…っ?」 ほんの少し血をもらっただけで、僕の意識も飛びそうになる。普通の血より共鳴現象を持つ相手の…、人 間のニールの血より吸血鬼へ変異したニールの血のほうが強力な糧になる。 縫合の痕も残さないような勢いで傷が塞がっていくさまを目の当たりにして、ニールは性的快感に流され そうになりながらも、僕の肩の傷を凝視していた。 くぷりと牙を抜き、恍惚と開いていた口へそのままキスをする。口内を散々荒らして、ニールの腕が僕の 胸を叩いた頃、その時の僕は“僕”ではなかった。 「…まァだ俺たちのごちそうになれるってわけだ。嬉しいだろォ?またこんだけ気持ちよくさせてもらえ んだからよ」 「おま…アレルヤ…?なに、言って…っ」 は、は、と肩で息をするニールをもっと近くへ引き寄せて、肌が密着し合うほどに抱きしめる。“僕”は 金色に光る右目で彼の瞳を覗き込んだ。 「“ハレルヤ”だよ。俺の名前はハレルヤだ」 「ハレルヤ…?なんで…アレルヤは…!?」 急に怯えた表情で、ニールは胸を押し返す。ハレルヤは口の端を上げると、ニールを逃がすまいと更に強 く腕に抱いた。 「おめぇの血に酔って理性が切れかけてたとこを無理矢理乗っ取ってやった。頭ン中で喚いてやがるが、 今回は俺様のおかげで生きて帰ってこられたんだ。こんぐらいの役得はあっていいよなァ…?」 そう言うと、ハレルヤはもう一度深くニールの唇を塞ぐ。僕はハレルヤの中からやめろと叫んだが、まっ たく効果はなかった。 傷口に血の玉を作っていた手首を舐め、ニールが小さく震えるのに気をよくしながら、ハレルヤはニヤニ ヤと笑う。 「おめぇの血は最高に美味いなァ。これなら弱っちいのを無理に戦って、無駄な怪我作らねぇで俺たちに 飲ませてたほうがよっぽどいいぜ」 「ふざ、けんな…。俺はデュナメスのマイスターになったんだ。戦うさ…!」 「殊勝なこと言って…。それで足手まといのお守りはごめんだぜ」 「っ…!!」 ニールはひどく傷ついた表情で口をつぐんだ。僕はカッとなって、さっきよりも強い口調で叫ぶ。 『やめろハレルヤ!これ以上ニールを傷つけるようなら、許さない!!』 「許さないだァ?どうやって仕返しする気だよアレルヤ。俺とお前は同じ体を共有する、いわば運命共同 体なんだぜ?俺が苦しめばお前も苦しむ。違うか?」 『そうだよ。だけど僕は、好きな人を傷つけておいて、自分は安穏としていたくはない!』 僕の訴えにハレルヤは鼻で笑う。僕がもう一度、体を返せと叫ぼうとした時、ニールがふとハレルヤの左 頬に触れた。 「アレルヤ…?」 ハレルヤではなく、まるで僕に呼びかけるような声に、思わず僕も答える。 『ニール?』 「アレルヤ…そうか、共鳴現象…。俺、アレルヤの声が聞こえるよ」 その言葉に僕もハレルヤもびっくりした。ニールは今度は、僕ではなくハレルヤに向けて言う。 「今回、アレルヤが生きて帰ってこれたのがお前のおかげなんだとしたら、それは心から感謝する。だけ ど、無理矢理アレルヤの意識を閉じこめてこういうことすんなら、俺だって怒るぞ」 ブルーグリーンの瞳が深みを増し、ハレルヤの金色の瞳を射抜いた。その時感じた、胸の中のズキリとい う痛みと落胆と諦めのため息。しかしそれはほんの一瞬のことで気のせいかと思ってしまう。ハレルヤは 噛みつくようにニールを睨み返し、そのまましばらく二人のにらみ合いが続いたかと思うと、やがてハレ ルヤのほうが大きく舌打ちをした。 次の瞬間には視界がブレて、僕に体の主導権が戻り、ハレルヤはふて寝でもするように意識の奥底へ閉じ こもってしまった。 「アレルヤ…?」 まだ金色の抜けきっていない僕の目を覗き込むニールに、僕はいつも通り微笑みかけた。眉は下がってし まってしたかもしれないけど。 ニールもホッとした表情を浮かべ、僕の腕の中に戻ってくる。 「ごめんね、いきなり。話すよりもわかりやすいかと思ったんだけど、嫌な思いをさせちゃったね」 「いや…、びっくりはしたけど…。ハレルヤ、怒ってないか?よくも知らないのに拒絶しちまったし…」 「貴方は優しいですね…。怒ってはいないですよ、ただ…寝ちゃいました」 「そっか…」 ニールは、怪我が完治した僕の肩に手を置き、前髪の上から右目の瞼へ優しい口づけをくれた。 「今度はコーヒーでも飲みながらゆっくり話そうな、ハレルヤ」 「貴方は適応能力が高すぎるよ…」 そう言って苦笑いを浮かべると、僕を見下ろした彼は悪戯っぽく小さく笑う。 間近に揺れる彼の髪に指を差し込み、梳くように頭を撫で、隣に落ち着いた肩を抱き寄せた。 「異端の血族のなかでもさらに異端の扱いを受けた僕たちは、吸血鬼の血を吸った時にしか本来の力が出 せなかった。“ハレルヤ”は強力な力に我を失い、暴走しかけた僕の代わりに生まれた人格なんです」 今では吸血鬼の血を吸って制御がきかなくなるということはないけれど、気分が高揚すると、僕自身もも う一つの人格として認識し、確立させてしまったハレルヤにあっさりと身体の主導権を奪われてしまう。 「アレルヤは、ハレルヤが嫌いなのか…?」 腕の中のニールが寂しそうな目をして問いかける。僕は眉尻を下げて笑った。 「嫌いじゃないから困ってるんです。乱暴だし、僕の言うことは聞いてくれないし、僕の嫌がることばか りするけれど…」 右手で、もう一人の自分を象徴する片目を覆い、少しだけ過去を思い出す。 「この中途半端な力のおかげで普通の吸血鬼のふりをして逃げ延びて、同じ血族…家族を殺した他の血族 に馴染むこともできず、独りになった僕とずっと一緒にいてくれたのはハレルヤですから」 ニールは黙って僕の話を聞いてくれている。そのことに甘えて、僕はもう少し自分のことを話そうと思っ た。 「ここに来てから初めのうちは、ハレルヤも僕も、吸血鬼のティエリアやモレノさんのことを警戒してた。 ハレルヤに復讐を促されたこともあった。でも僕は、もう一度やり直したいと思ったんだ。こうやって、 誰かと笑って、話をしたいと思ったんです」 それをハレルヤは認めてくれたんだ。好きにしろよ、と。裏切られても知らねぇぞ、と言われたけれど。 「それからハレルヤは眠ってしまうことが多くなったけれど、でも、僕が呼べばちゃんと応えてくれた」 だから…、と僕は続ける。 「嫌いになれなくて、困ります。どんなに口が悪くても、やっぱりハレルヤは唯一の家族みたいなものだ から」 「“唯一の家族”、か…」 腕の中のニールが呟いた。そういえば、彼も家族を事故でなくしたと言っていた。表現の仕方を誤っただ ろうか。 僕の危惧をよそに、ニールは楽しそうに僕のほうを向く。 「ってことは、アレルヤとハレルヤは双子の兄弟だな。アレルヤが物静かな兄貴で、ハレルヤは手の掛か る暴れん坊の弟」 同じ双子でも俺たちとはちょっと違うな、と彼は言った。 「貴方にも双子の兄弟が…?」 “も”というのは間違っているかもしれないが、ここでは無視する。彼は表情を崩さぬまま頷いた。 「あぁ。ライルっていうんだ。あいつ、全然手がかからなくてな。少し甘えん坊なところはあったけど、 きっと今じゃ立派に社会人やってる思うぜ」 僕は思わず、え…、と声に出して尋ねてしまう。 「生きてるんですか!?」 対するニールはあれ?といった風に目を丸くした。 「事故で両親と妹はいなくなっちまったけど、俺とライルはなんとか事故現場から助けてもらえたんだ」 話してなかったか?と言うニールに、僕は「初耳です」と答える。 「貴方に双子の弟さんがいたなんて…」 「双子っつっても、もうだいぶ長いこと会ってないから、いくら一卵性とはいえ今は似てないかもしれないぞ」 「だとしても、きっと綺麗な人なんでしょうね…」 僕の言葉にニールは僅かに頬を染めながら、それを誤魔化すように「お前なぁ…」と言った。 「機会があったら会わせてもらえますか?」 「もちろん、いいぜ。ただ…」 「“ただ”?」 言葉を切ったニールのほうを向くと、彼の瞳が血の色に変わっていた。 「吸血鬼になったってことは言わない方がいいだろうな」 話すたびに鋭くなった歯が見え隠れする。 「そうだね…。いきなりはやめたほうがいいかも。でも、話したとしても、きっと受け入れてくれると思 いますよ」 ―――貴方が僕を受け入れてくれたように…。 僕はニールの唇に軽くキスをし、舌で牙をなぞった。 「アレルヤ…」 ニールは吸血鬼化を解き、障害の少なくなった口内へ僕の舌を導きながら腕を首にまわしてくる。 熱く、柔らかな感触を楽しむ合間に、僕は彼に問うてみた。 「ニール」 「ん…?」 薄く瞼が開き、新緑の瞳がぼんやりと僕を見つめる。 「僕を弟さんに紹介する時、なんて紹介してくれるんですか…?」 「そうだな…」 答える間にもう一度キス。ニールは拒まない。 「最初は“大学の後輩”」 「それから…?」 チュッと軽いキス。 「次に“仲間”」 「うん…」 チュッ。 「で、あとは…」 ニールはもったいつけるように言葉を切る。ふわりと妖艶に微笑むと、今度は彼の方から口づけてきた。 「“俺の大事な人”で“恋人”、だな」 そう言うと、彼は恥ずかしそうに笑った。 「なんつうか…すごい惚気だな…!」 「うん、でも…」 ―――嬉しいよ…。 それから僕はニールがゆっくりと瞼を閉じるのを待って、もう一度、深く唇を重ねた。 そのすぐあと、ニールがベッドに潜り込もうとした瞬間に、部屋の扉が開いてスメラギさんと一緒にモレ ノさんが包帯を替えに来た時は僕もニールも心臓が止まりかけたと同時に、「目が覚めたならまずは連 絡!」と大目玉をくらった。 ----------------------------------------------------------------------------------------------- 最後の惚気は書いた本人が読んでいても痛い(笑) 吸血鬼の仕組みが全然わからないんですけどどうしましょう。作者が迷子www とりあえずこれからも共鳴現象を都合のいいように使っていきます。 2011/08/01 |