孤独の寄る 乱階の夜




三木邸に潜入していた葵と連絡が取れなくなってから丸一日が過ぎた。密会は明日に迫っている。

桜井は葛に、三木邸に忍び込むように命じた。その日の夜、葛は三木邸の塀の傍に潜み、人の気配がな
い部屋を狙って潜入した。
瞬間的に部屋の内側へと移動した葛は、まず人の姿がないことを確認する。それから部屋の外へと意識
を向けた。
いくつかの部屋を見て回ったが、人ひとり見つけることはできなかった。同様に手がかりらしき物も見
当たらない。
「(どういうことだ……?既に密会の為に移動した後だというのか)」
それにしては連絡もなく、葵の姿まで消えてしまったのには疑問が残る。敵に葵の潜入がバレた可能性
がグンと高くなった。
書棚の備えつけられている応接間に入る。そこにも人の姿はない。
室内を調べて回り、何もないことを確認して部屋を出ようとした時だった。
息をつき、落とした視線の先に見覚えのある腕時計を見つけた。
「あれは、葵の……!?」
ソファーの下に隠すように落ちていたのは紛れもなく、葵が愛用しているストップウォッチ機能付きの
腕時計だった。
葛はそれを直に手に取ろうとして、寸前で止め、取り出したハンカチで改めて手に取った。
「(葵の力には時間制限がある。奴が簡単にこの時計を手離す筈はないが……)」
他に手がかりはないかと辺りを見回すが、それ以上の物は見つからなかった。
「(メモを残す時間もなかったということか……)」
書生として潜入していた葵には、この腕時計以外、自身を示す物として残す物がなかったのだろう。
葛は余計な思念を残さないように慎重にそれをしまう。恐らく、この腕時計には、何らかの情報が残さ
れている筈だ。

その後、三木邸内をくまなく探したが、手がかりどころか話を聞けそうな人間も見つからず、やむを得
ず屋敷を後にした。

  ◇◆◇

同居人が三木邸に潜入するようになってから一週間。
居れば煩わしいと思っていた相手が、いなくなった途端に心寂しいと感じるのはいかなることか。
ましてや、その相手が行方知れずになったならば、心穏やかではなかった。
葛は電気を消して暗くなった自室にいた。ベッドに腰掛け、机の上に置いた腕時計をぼんやりと眺めて
いる。
密会の場所はどこなのか。
黒幕は誰なのか。
葵は無事でいるだろうか。
拷問など受けていないだろうか。
そもそも生きているだろうか――。
思考が葵の安否にばかり傾いてきたところで我に返る。何を考えているんだ、と。
現在、最も重要視しなくてはいけないのは密会の場所の特定だ。
強く自分に言い聞かせ、横になった。
『同居人の心配すんのがおかしいことかよ』
『言っただろ。心配してんだって』
先日、葛は私的な感情で勝手な行動を取り、国民党の一味に拉致されて怪我を負った。その時、葵が
言ったことが思い出される。
「葵……――」
単独で任務にあたることは珍しくないし、多少連絡が取れなくなったところで、葵のような――特に力
を使うことに躊躇いのない――能力者なら大抵のことはなんとかなるので心配はなかった。
だが実際に行方がわからず、肌身離さず身につけていた腕時計だけを見つけたことで、葛の中の不安は
一気に膨らんだ。
「(俺が国民党に捕らえられた時も、奴はこんな気持ちになったのだろうか)」
下手なヴァイオリンの演奏を数日聞いていないだけで、こんなに日常が変わって見えるのか。
葛は気持ちを切り替えるために大きく深呼吸をした後、静かに眠りについた。

 ◇◆◇

翌日、桜井との話し合いで、とにかく茶館をしらみつぶしに探すしかないという結論に至り、葛は一人
で上海中の茶館に探りを入れることになった。
五つ目の茶館を出たところで息をつく。
「(さすがに、棗や雪菜抜きで探すのはキツイな……)」
「(そう思うのなら、声をかけて欲しかった)」
思わず弱音を吐いた時、脳内に響いた少女の声にハッとした。
「雪菜……!」
そこには棗と雪菜が立っていた。
雪菜はサイコメトリ、棗は透視や望遠の能力を持つ。
「なるほど、隠し事には向かない相手だ」
雪菜の詰問と訴えを受けていると、唐突に彼女は耳を押さえて黙ってしまった。
「どうした」
声を掛けると、またもや突然、彼女は駆け出した。棗と葛は顔を見合わせてその後を追う。
雪菜が見つけたのは、とある場所が示された地図。
「誰かが私に呼びかけてきて……」
雪菜に呼びかけた相手は、彼女がテレパシストであることを知っていたのか。そこまで考えて、思い出
したように、葛は懐から葵の腕時計を取り出した。
「雪菜、葵が行方不明になる前にこれを残していった。何か読み取れないか」
「やってみるわ」
葛の手から腕時計を受け取った雪菜は、帽子に差していた水洗の花を手に取ると、匂いを頼りに精神を
集中させてサイコメトリに入った。
やがて、
「――お兄様……っ!」
青ざめた表情で顔を上げた雪菜は震える声をなんとか振り絞って答える。
「葵は、お兄様に――高千穂勲に連れ去られたみたい」
「それだけか。他に情報は?」
「密会に関するものは、何も」
「そうか……」
「まだ、これがある――」
落胆する葛にメモの地図を渡す棗。葛はそれを受け取ると、強く頷いた。
「そうだったな。行くぞ」

 ◇

地図を頼りに密会の行われている茶館を探していくと、デパートの爆破事件で会った長身痩躯の男が軍
刀を手に待ち構えていた。
結局、その男に行く手を阻まれ、密会を妨害することはできなかったが、葵が会議の内容を聞いていた
上、高千穂勲と会話したらしく、失うものばかりではなかったらしい。
雪菜が茶館の広間に駆け込むと、そこには書生の格好をした葵のみで、既に会議に出席していた人間は
姿を消していた。
息を整え、雪菜は二階部分にいる葵に声を掛けた。
「葵、怪我はない?」
「あぁ、ちょっと頭痛がするが、問題ない」
「そう、よかった」
葵が雪菜にここであったことを説明しつつ、二階から降りてくる頃には、棗と葛も広間にやって来た。
「無事だったか」
「なんとかな」
安堵の息をつく棗に笑いかけ、葵は棗の後ろに立つ葛に視線を遣った。それに気づいた葛は何も言わず
にスーツの上着から何かを取り出し、顔を背けたまま葵に差し出した。
「ん?」
「――お前のだろう」
受け取ってみると、それは葵の腕時計だった。葵は「あぁ!」と笑い、早速、手首に腕時計のベルトを
巻きつける。
「さすがだな。お前なら気づいてくれるって信じてたぜ。ありがとな」
笑顔で礼を述べた葵だったが、葛は視線も合わせず、淡々とした調子で言う。
「気転を利かせて情報を残したつもりのようだが、密会の場所に関する情報が何もなくては意味がな
い。しかもその様子からすると、密会の場に居合わせながら妨害はできなかったようだな」
「――その口ぶり……。まるで俺が役に立たなかったと言いたいみたいだな」
「みたい、ではなく、実際そうではないのか?」
「この……っ!人が素直に感謝してるっつーのに、どーしてアンタはそうやって俺につっかかってくる
んだ!?」
「事実を述べているだけだ」
「なんだってぇ!?」
「落ち着いて葵!葛も……、少し言い過ぎよ」
口論が過熱してきたところで、雪菜が間に入る。嫌悪な雰囲気を取りなすように、少女の声が広間を包
んだ。
「少なくとも、密会の内容を知ることが出来た。その上、この密会で兄が目論んでいたことの片鱗も掴
めたことだし、それだけでも収穫じゃない」
葵は「そうだそうだ」と目で訴える。二対一で不利になった葛は、棗に助力を乞うでもなく、
「もう少し、他の部屋を調べて来る」
そう言って広間を出て行ってしまった。
「俺も行こう」
その後を棗が続く。
二人が広間を去った後、葵がぼそりと言った。
「なんなんだよ、葛の奴。アイツ、俺にだけキツくないか?なぁ」
「素直に感情が出せないだけよ」
雪菜は困った風に笑いながら葵の腕時計を指さす。
「その腕時計から情報を読み取った時、少しだけど、葛のことも読めてしまったの。ずっと内ポケット
に入れていたみたいだったから」
「どうせ、面倒だとか、役立たずとか、そんなことだろ?俺はスパイに向いてないとかさ」
「ううん、違うわ」
クス、と笑ってから雪菜は言う。
「すごく心配していたみたい。貴方のこと。連絡もメモも残さずに、連れ去られてしまったんでしょ
う?だから、貴方が捕まって、拷問でも受けてるんじゃないかって、心配していたの」
「葛が……?」
ええ、と雪菜は頷く。
「貴方が無事だとわかった瞬間、表情には出していなかったけれど、すごくホッとしていたわ。緊張し
きっていた感情が和らいだのを感じたもの」
「全然そうは見えなかったが……」
葵は葛と棗が出て行った扉を見つめ、「かわいくねぇ……」と口を尖らせて言った。



雪菜は、葛が心配していたと伝えた時の、葵の微妙な感情の変化を感じ取っていた。
それまで不機嫌だった葵の心が、僅かにプラスの方向へ上向いたのだ。
そして口を尖らせて文句を言っていた葵だったが、自分が視線を逸らした間に、笑っていたことにも気
づいていた。
「(嬉しそう……)」
雪菜もまた、なんだか嬉しくなり、笑みを浮かべた。
兄に会えなかったことは残念だが、またいずれ機会はあると思えた。
今はただ、氷と炎のように相容れなかった仲間が、互いに信頼し合えていることに喜びを感じていた
かった。




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「お前なら気づいてくれるって信じてたぜ」は口説き文句wwww
自分で書いておきながら恐縮ですが、本気でそう思ってます。
今回は、あまり本編の台詞に忠実にはなってません。むしろ、葵さんを心配して不安になる葛さんを
書きたかっただけです。
一応、棗は葛さんの後を付いていって、「葵が無事でよかったな」って葛さんに微笑みかけたりしてく
れてます。素直に喜べない葛さんのツンを緩和しているのですよきっと!

2010/07/04

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