夏の陰画 怪我の巧妙 4 四君子堂写真館に戻る道中、葵に会った。どうやら俺を探しに来たらしい。 今日こそは激しく詰問されるだろうと思った。だが、その予想は僅かに異なった。 葵は俺に、『信頼してくれてないのはお前のほうだ』と言った。自分はそんなに頼りないのか、と。 その時、自分がひどく愚かに思えた。 何を意固地になっていたのだろう。軍人としての力を持ちながら、特殊な力も扱えることに驕っていた のは自分ではないか。 どんな事態に陥っても、自分一人でなんとかできる、という甘い考えが結果として組織に損失をもたら したのではないか。 これでは単なるひとりよがりだ。 とはいえ、信頼を越えた関係になることを恐れていたというのも嘘ではない。 今のように、真摯に見つめてくる葵の瞳は苦手だ。心を見透かされそうになる。 苦手だ、と思いながら、あの鳶色の瞳を嫌いではない自分もいる。 手首を取られ、火傷の痕にハンカチを巻かれる。葵は言った。 「俺じゃ頼りないか……?」 初めは無鉄砲で信用できないと思っていたが、生活を共にし、危険な作戦も共に行動してきた今となっ ては、そんなことはない。 無鉄砲と思っていた行動でも、しっかり押さえる所は押さえる男だった。確実性を重視する自分とは相 反するが、バランスは取れている。 頼りない、とは言えない。苦手な視線に見つめられながら、俺はぎこちなく首を振った。 「なら、頼れよ。俺はいつでも大歓迎だ」 冬の凍てつく寒さのような射抜く視線から一転、春の木漏れ日のような優しい笑みに、気恥ずかしくな って思わず目を逸らす。 「(西尾とは、全然違う……)」 何故そう思ったのかはわからなかったが、実際自分から見て、三好葵という男はそうだった。 豪快に笑うこともあれば、慰めるように微笑むこともできる。言い合いになれば大声を上げるが、静か に諭すような話し方をすることもある。間が抜けているようで、押さえる所はちゃんと押さえている。 掴み所のない、まるで移り変わりのある四季のよう。どの表情も惹かれるものがあり、見入ってしま う。 ふいに、葵に顎を掬い取られた。 次の瞬間には唇を奪われていた。 葵に口づけされた時、何をされたのか、一瞬わからなかった。 ちり、と痛みがあったかと思うと、あとは柔らかく唇を食まれ、むしろ心地よかった。 何をされたのか認識した後は、頭が真っ白になり、ただ名前を呟くことしかできなかったが、慌てふた めく葵を見ていたら、段々と落ち着きを取り戻していった。 葵の顔は茹でたタコのように真っ赤だ。その様子を見て、やはり西尾とは違うと思った。 アイツならまずは謝罪をする。互いに軍人となるべく育てられた為、口づけなど、そう易々と許すもの ではないし、するべきではないという考えがあったからだ。 けれど葵は違う。 ――唐突に、 「(この男は誰か別の人間に、同じような口づけを送っていたのかもしれない)」 そんな、根拠も何もない考えが浮かんだ。 西尾とのそれは激しく荒く、葵とのそれは優しいものだった。 動機も目的も違う口づけ。だからかもしれないが、違うかもしれない。 自分でもよくわからない。 ただ、同性との口づけに嫌悪感を持たない自分は、どこかおかしいのではないかとぼんやりと考える。 ◇◆◇ 四君子堂写真館が見えてきた頃、 「お前は西尾とは違うんだな」 唐突に葛が口を開いた。葵はなんのことやらさっぱりだと思いながら、「当たり前だろ」と答える。 「俺が俺、お前がお前であるように、人間ひとりひとりが違って当たり前だ」 葵は横目で葛を窺った。うっすらと笑っているように見えた。 「(いま、笑った……?)」 薄暗がりの中なので、思わずまじまじと見てしまい、不審なものを見るように、葛に見つめ返された。 「なんだ」 「へ!?いや、なんでも……」 「おかしな奴だ。――頭が緩すぎてネジでも外れたか?」 もごもごと言いごもる葵に、畳み掛けるように言い放つ葛。葵は思わずムッとして言い返す。 「ネジが錆び付いて、ガチガチになった頑固者には言われたくないね!」 「俺は正しいと思ったことを貫いているだけだ。自分のことを否定しないということは、頭が弱い自覚 はあるんだな」 「考え方が柔軟だって言ってくれないか?」 前を向いて歩き続ける葛を眇めた目で恨めしそうに眺めながら、葵は口を尖らせた。 「(なんなんだよ。さっきまで落ち込んで、弱気になったりしてたのに……)」 先程の憂いを含んだ眼差しには心惹かれた。手を差し伸ばしたくなる衝動に駆られる。 だが、今ではその影もない。口を尖らせたまま、ポツリと呟いた。 「――かわいくない奴」 すると、葵の言葉が耳に届いていたのか、すかさず葛は言った。 「結構。俺は男だからな」 「し、知ってるよ!!」 「何を慌てている」 「何も!?変につっかかるなぁ……!」 「ふん……。ん?あれは、風蘭か?」 葛の声に葵は顔を上げる。写真館の窓から少女が手を振っていた。 ◇ 写真館に帰ると、風蘭が笑顔で迎えてくれた。 「お帰りナサイ、葵サン!葛サン、無事だったカー!!ヨカッタヨカッタ!!」 「心配をかけていたようだな。すまない」 素直に頭を下げる葛に、風蘭は目をしばたいて葵の耳に口を寄せた。 「葛サン、なんか変な薬でも飲んだカ?」 「奴なりに反省してるみたいだぜ」 風蘭の言葉に葵は苦笑を浮かべ、葛も居心地が悪そうに視線を逸らす。 だが、珍しくしおらしい様子の葛に調子づいた風蘭は、大きく胸を張って言った。 「四日前の夜、連れて行かれる葛サン見つけて、葵サンに知らせたのはこの風蘭ネ!どれもこれも風蘭 のおかげヨ!感謝するが良いヨ」 西尾のことに思考が向いていたため、その情報は葛に伝え忘れていたことに今更ながら気づく。 葵も意地悪げな笑みを浮かべて風蘭に続いた。 「そうだぜ。血相変えて飛び込んできたんだ。風蘭がいなきゃ、今頃お前はどうなっていたことや ら……」 「そうだったのか……」 自分の失態を認めている葛は素直に事実を受け入れる。茫然と呟いた後、風蘭と視線を合わせて言っ た。 「ありがとう、感謝する」 「「………………」」 その時、葛の表情には微かに笑みが浮かんでおり、葵と風蘭は素直に感謝されたことと滅多に見ない葛 の笑顔に、合わせて絶句した。 様子のおかしい二人に、笑みをといて首を傾げる葛。 やがて、一足先に我を取り戻した風蘭が葵の襟首を掴んで叫んだ。 「か、か、か、葛サンが笑たネ!?て、天変地異の前触れか!?葵サン見たか!?――って、なに顔赤くシテ ルか?」 見ると、葵は惚けたように葛のほうを凝視していた。ハッとした葵は大きく両手を振って風蘭を遠ざけ る。 「あ、い、いや!!なんでもない!きっと日焼けだ日焼け!」 「ん、そカ?それじゃ、そろそろ夕飯にスル!せっかくの料理、待ちくたびれた!」 さぁさぁ、と風蘭に手を引かれ、葵と葛はリビングに引っ張って行かれる。 「わかったから引っ張るなよ!扉につっかえちまうぜ」 いつもと変わらぬ口調で、自身の動揺を押し隠そうとする。 「(葛の笑った顔が“可愛い”と思っちまうなんて。俺、夏の日射しにやられちまったのかな……)」 額を押さえ、頭を振る。何かの思い違いだと言い聞かせ、食卓についた。 「今日はたんと食え!冷めても味の落ちない招財飯店の料理、とくと味わうがいいネ!!」 「いっただきまーす!」 「……いただきます」 いつも食べている料理が、何故かいつも以上に美味しく感じられた。 葛が斜め前の席で淡々と料理を口に運んでいる。 葵はたったそれだけの様子に嬉しくなって、視線が合った瞬間、ニカッと笑ってみせた。 葛は数秒、それを見つめていたかと思うと、また手元に視線を移して淡々と食事を続ける。 「なんだよ……」と、つまらなそうに食事を再開する葵。 その時、料理を運ぶ葛の口元に笑みが浮かんでいたことに気づいたのは、二人の間に流れる空気が僅か に変わったと感じていた風蘭だけだった。 「――意外とお似合いと思うヨ」 「んぁ、何がだ?」 「ううん!なんでもないのコト!」 「葵、口に物を入れたまま喋るな」 「わぁかったよ!!」 「葛サン、お母さんみたいだナ」 「………………」 「ぷふっ」 「笑うな」 「なんで俺ばっかり!」 賑やかな食事の時間はあっという間に過ぎ――。 数時間後。 葵と葛はリビングで写真の彩色作業の続きをしていた。 ふいに、脇腹の辺りに激痛を感じた葛は、筆を置いて腹を押さえる。 『琢磨』 「っ!?」 呼ばれなくなって久しい名前を呼ばれ、耳を疑う。 「どうした、葛!?傷が痛むのか!?」 異変を感じた葵が、テーブルを回り込んで葛の傍へ駆け寄った。 いつの間にか、痛みはなくなっていた。不可思議な現象に眉をひそめながら、葛はゆっくりと葵を見上 げた。 「いま……、俺の名前を呼んだか?」 「は?」 葵はなんのこっちゃ、と首を傾げる。 「とにかく、傷が痛むわけじゃないんだな?」 改めて痛みの疾った辺りを確かめてから、葛は首を振った。 「あぁ、大丈夫だ」 「ならいいや」 あっさりと席に戻る葵。葛も絵筆を取り、作業が再開される。 ――琢磨……。 先ほど耳の奥に響いた声。その主と激痛の原因に気づいた瞬間、葛は僅かに唇を噛み締めた。 サイコメトリやテレパシーの力はなくとも、こういった時に感じる痛みには、葛には心当たりがあっ た。 翌日の新聞に小さな記事が出ていた。 昨夜、日本人の男性が銃で脇腹と他数ヵ所を撃たれ、窓から転落した後に死亡した、と。 葵はその記事を見つけた瞬間、わざとお茶を溢して読めなくした。葛には仕事を増やすなと散々叱られ たが、そのほうがマシだと思った。 「(昨夜のような顔をされちゃ、調子が狂うからな)」 濡れた新聞を持ってリビングを出る。 蝉の声が止む。それを気にとめるほど、二人の若きスパイには、今は心の余裕はなかった。 --------------------------------------------------------------------------------------------- 最終行だけやっつけwww でも、お茶を零して新聞を読めなくするのはいいと思うんです。片づけるの葛さんなのにwww 2010/07/04 |