情事の暗闇 後編 ――……は、伊波…… 「伊波、起きろ」 恋人よりもはるかに低い声で呼ばれ、葛はハッと目を覚ます。 手首がじんじんと痛み、やけに寒いと感じたのは自分がほぼ何も身につけていないからだと気づく。 申し訳程度に被せられたシーツをたぐり寄せながら、体を起こす。すると、手首だけでなく腰の奥の 方や喉にも違和感を感じた。 見回した薄暗い部屋。家具はあまりなく、自分が寝ていた寝台とテーブルのみ。そのテーブルの上に は小さなビンと奇妙な形の機械が置いてある。それが何なのか思い出して、葛は反射的にシーツを握 りしめた。 「葵……っ」 震える声で呟いた名前をかき消すように、葛の目の前に白いワイシャツが差し出される。ふと視線を 上げると、軍の制服を着た久世が寝台の横に立っていた。彼は床に落ちていた葛の服を拾い集め、寝 台の脇にドサッと置いた。 「目が覚めたなら、体を清めてこい。もうすぐ高千穂大尉がお戻りになると連絡が入った」 「はい」と答えながら、葛は自分の置かれている状況がいまいち飲み込めない。自分は任務先で葵と 出会い、強姦まがいの方法で葵に抱かれていたのではないのか。 再度、久世を見上げると、彼は苦虫を噛み潰したような表情でテーブルの上の性玩具を叩き壊してい た。 「まったく……こんな物まで持ち出すとは。奴ら、お遊びが過ぎるな」 それから葛を一瞥して、ため息をつく。 「お前も不憫だな。こんなことをされる為に仲間を裏切った訳ではないだろうに」 久世の言葉に首を傾げそうになって、ようやく気づいた。葵に連れて来られた部屋とよく似てはいる が、此処はまったく別の場所である、と。 冷静になって記憶を辿れば、情報収集の任務を無事に果たし、その日の内に潜伏していた宿屋に帰り 着いた覚えがある。 つまり自分は葵と再会などしていない――。 「その手首の傷も、後で手当てしておけ。いいな」 葛はようやく目が覚めた様子で頷いた。 久世は踵を返すと颯爽と部屋を出て行く。しばらくの間、葛は呆然と部屋の中を眺めた。 「(そうだ……。俺は高千穂大尉と久世小尉の留守に先輩方に拉致されて……)」 情報収集の任務を終えて、潜伏していた宿屋に帰ってくると、報告すべき上官二人が留守だった。さ てどうしたものかと手持ち無沙汰になっていたところを先輩兵士たちに声を掛けられたのだった。 どうにか逃げ出そうとしたが、以前の仲間を裏切り、途中から参加してきた自分の立場があまりよく なかったことと、すぐさま両腕を拘束されてしまったことで、気を失うまで快楽に翻弄されながら恥 辱に耐えることになったのだ。 あまりにひどく、耐えがたい状況に、無意識に救いを求めたのだろう。せめて相手が葵だったならば、 と。だからあんな夢を見たのだ。 「フッ……愚かな……」 自嘲の笑みを浮かべて寝台から立ち上がる。足が震えたが叱咤して、まずは服を着る。そして寝台の シーツを丸めて新しいものに変えた。 取り敢えずワイシャツには袖を通しズボンも履いたが、どこもかしこもしわくちゃだ。久世が拾い集 めてくれた服もしわだらけで、新しいものを出す必要があるだろう。 葛は部屋を出て、自分に割り当てられた部屋へと戻る。部屋にはシャワーも備え付けてあったので、 すぐに身を清めることもできよう。 ドアノブに手を掛けた時、どこからかヴァイオリンの音が響いてきた。預言者――静音が弾いている のだろう。 葛はその音色を聞いて、似ても似つかない葵の下手くそな演奏を思い出した。 『いい曲だろう。な?葛――』 ふいに耳元で葵の声が聞こえた気がして、葛は振りきるように部屋の中へ飛び込んだ。閉じたドアを 背にして、両腕で己の体を抱きしめる。 腕に引っ掛けていた洋服は床に落ち、その上にへたり込むように足の力が抜けていった。 「葵――」 何度呼んでも答えはない。 「葵……っ」 体を抱きしめるのは情けなく震える自分の腕だけ。 「葵ぃ……っ!!」 頬を伝って落ちた涙は、赤黒くなった手首の傷跡にちくりと染みた。 ◇◆◇ 寝台の上でハッと目を覚ます。 「(――雪菜か……?)」 ふいに自分が呼ばれた気がして、葵は寝癖のついた頭に手をやりながらむくりと起き上がった。 けれど、入れ違いに町へ情報収集に出掛けた雪菜と棗が帰ってきている訳もなく、葵は首を傾げなが ら再び横になった。 「静音……」 高千穂に手を引かれ、扉の向こうに消えてしまった元婚約者の名前を呟く。 「――葛……」 高千穂の潜伏場所に踏み込んだ時、能力を使えば、葛だけでも無理矢理連れ帰ることは不可能ではな かった。それをしなかったのは、アイツにはアイツの事情があると、妙に大人ぶった考え方をしてし まったからだった。 今となっては後悔する。どんなに高千穂勲の足取りを追っても、尻尾の先すら掴めない。つまりは、 もう一度葛を説得するチャンスすら見い出せないということだ。 静音は自分よりも使命を優先させた。 葛も、本来自分が歩むべきだった、軍人としての道に近い道を選んだ。 大切にしてきたものがさらさらと手の中から離れていく感覚。すぐ目の前には“絶望”という文字が 見えた気がするが、敢えて気づかないふりをする。 「――あぁ、くそっ……!」 葵は両腕を交差して、顔を覆った。 「――二度はキツいぜ、葛」 一度目は荒れ狂う炎の向こう。二度目は落下する瓦礫の向こう。すがるような目をしながら、拒絶さ れた。 『葵――』 聞き慣れた低音が頭の中に蘇る。葵は唇を噛んでぎゅっと目を瞑った。 『葵……っ』 切羽詰まった声で呼ばれたことは数少ない。そんな時は本当に彼が苦しんでいる時だから。 『葵ぃ……っ!!』 僅かに高い、震える声はどうしようもなく心が限界になった時。そんな時の恋人の声が、頭の中に何 度も蘇る。 「葛……」 どんなに強く拳を握り締めても、それをぶつける相手も、こぼれおちる大切なものを掬い取ることは できない。 「葛、頼むよ。そんな声で俺を呼ばないでくれ」 ――今は俺がどうしようもなく泣きそうなんだ……。 ただこの腕で抱きしめることさえできたなら、この苦しみはなくなるだろうに……。 ------------------------------------------------------------------------------------------- またしても夢オチ!!という……!!なんだかとても申し訳ないm(__)m しかも全然救いがありません。 黒葵さんと言っておきながら、葛さんをヤってたのは実のところ先輩軍人ってわけですからね。黒葵さん は夢の存在……。 これじゃあまりにかわいそうすぎるので救済できたらいいな、と思ってはいるのですが、執筆はいつに なることやら……。 近々騎士団パロの更新をします。そちらでなんとか気分を持ち上げてください; 2011/01/12 |