絆 後編 葛を抱きかかえて、たき火の火を見つめた。 『頼ってくれよ、もっと。寂しいだろ……』 俺は言った。けれど、葛は何も言わない。 少しして葛の横顔を窺うと、瞼を閉じて静かに呼吸していた。心なしか、胸にかかる体重が増えた気がす る。身構えていた力を抜いて、すべて委ねてくれているような感覚に陥る。 しかしそれは錯覚。単に睡魔に負けた葛が眠りについてしまっただけ。実際には、葛の心は閉ざされたま まなのだろう。 腕の中の葛は泥のように眠っている。任務のために張りつめていた緊張が解け、山道を歩き、川の流れに 翻弄された疲れが出たのだろう。 きっと今ならちょっとやそっとじゃ目を覚まさない。 俺はすぐそばにある葛の顔を見つめた。うすく開いた唇は少し顔をこちらに向けてやれば触れられそうだ。 ずぶ濡れになった葛の髪は整髪料が流され、はらはらと落ちてきて彼の横顔を隠す。俺はそれに触れなが ら優しく頬を撫でた。 「――お前の心を貰えてないのに、キスだけ貰うなんておかしいよな……」 朝がきてここから脱出し、写真館に戻ったら、きっと二度とこんな機会は訪れない。けれど、だからと いって、葛の心を無視して自分のいいように関係を持つ気もない。 それでもこれだけは言わせてほしい。 「――好きだよ、葛」 じゃないと、こんなに近くにいるのに相手に伝わらない自分の想いに、気が狂いそうだ――。 ◇◆◇ 服が乾いたのを確かめて上着を羽織る。起こさないように葛にも服を着せて、それから守るように葛を腕 に抱いて、枯れ草を集めた上に横になった。 そうしているうちに睡魔が襲ってきて、いつの間にか俺も眠ってしまった。 気がついたのは洞窟の入口の方が明るくなってから。 雨の音は聞こえないので、外は既に晴れているのだろう。 そして薄ぼんやりしていた俺はハッと意識を覚醒させる。 「最悪だな、俺」 意識を研ぎ澄ませると、大勢の人の気配が洞窟の外へ近づいてきているのがわかった。捜索隊である筈が ない。きっと追っ手だ。 「葛」 腕の中に視線を落とすと、顔を真っ赤にした葛が体を固くして息を殺していた。どうやら少し前に目を覚 ましたが、俺が葛を抱きしめていたので、パニックを起こして今まで身動きが取れずいたらしい。 内心で微笑ましく思ったが、今はそれどころじゃない。 俺は腕の中から葛を解放すると、服や髪についた枯れ草を払ってやりながら壁際まで連れていく。 「悪いな、葛。どうやら洞窟の入口で待ち伏せされたらしい。ぐずぐずしていたら追い詰められて逃げら れなくなる」 葛は怪我をしている。一人ではまともに歩けないような大怪我だ。 雨が上がり、体力が回復したならさっさとこの場を離れるべきだった。 それなのに自分はのうのうと眠りこけ、果てはこの腕の中に想い人を抱いて寝られることにささやかな幸 福を感じたりして、その結果がこれだ。最悪と言うほかにない。 これは俺のミス。だから葛にはなんとしても逃げのびてもらいたい。 「幸い、既に夜は明けている。俺の能力は回復しているから、昨晩のように簡単にはやられない」 俺は葛が壁づたいならなんとか歩けるのを確認して、支えていた腕を離す。 「葵?待て、お前まさか……」 葛が手を伸ばしてくるが、卑怯な俺は壁から離れて立てない葛を置いてスルリと一歩後ろに下がった。 「俺が囮になる。時計を預けるから、時間ギリギリまで戦っても俺が外の奴らを処理しきれなかった場合、 お前だけでも“飛んで”逃げてくれ」 左手首につけていた腕時計を外して、葛に投げて渡す。 「待て、葵!俺は……」 「じゃあな葛。頼んだぜ」 「葵ッ!!」 葛の声を背中で聞きながら、俺は洞窟の外へ出た。 ◇ 洞窟の正面には崔青琳が腕を組んで立っていた。 「あら、自分から出てくるなんてお利口さんじゃないの。お仕置きを受ける覚悟はよろしくて?」 扇を手にした青琳を部下たちがちらちらと窺う。攻撃を仕掛けるタイミングを待っているのだろう。 俺はなるべく洞窟の入口から離れるように、敵の輪の中へ歩いていった。 「お仕置きされんのはアンタらのほうだろ。盗品や阿片の売買に関する証拠がどっさりアジトに残ってた ぜ?さっさとアジトを引き払って逃げたほうがいいんでないの?」 「ご丁寧にどうも。でもその心配は無用よ。ちゃんと手筈は打っているわ」 「あっそ」 まぁ、その可能性を考えていなかった訳ではない。たとえこちらの揺さぶりがきいたところで、勝算はさ ほど変わらない。“低いまま”だ。 「(――相変わらず、数だけは揃ってんな)」 喧嘩ならまだしも、戦闘となると苦手意識が働く。能力が使えなかったらこれだけの人数、相手にできる などとは到底思わない。 「こんな所でのんびりしちゃって。崖に落ちたお友達でも探していたのかしら?残念だったわね。あの急 流じゃ助かりっこないわよ」 崔青琳は言った。思わぬ吉報に俺は内心で「よし」と思う。 敵は葛が助かったことに気づいていない。ここで俺が囮として役割を果たせれば、葛は逃げ切れる。 「心配することないわ。私たちがちゃんとお友達の所へ送ってあげる」 「ハッ!そう簡単にはいかせないぜ!」 「減らず口を……!!」 正直に言って勝つ自信は薄い。それでも自分はやらなくてはいけない。 「(仲間の……好きな奴のためなら、俺は!!)」 心の中でストップウォッチのスイッチを押す。 同時に崔青琳が扇を振り下ろした――。 四方から放たれた銃弾はまとめて弾き返す。跳弾させて数人に手傷を負わせた後、不可解な現象にも足を 止めずに突っ込んできた輩に衝撃波をお見舞いする。 そこでようやく事態の異常さに気づいた奴には直接、手加減なしで拳を打ち込み、気絶させた。 「なんなの……!?」 跳弾した弾を扇でかろうじて弾いた崔青琳が呟く。そうしているうちに俺は能力をフルに使って、敵を岩 壁に打ちつけたり、川へ向かって放り投げたりした。 敵の数は減りつつある。これならなんとかしのぐことができるだろうか。 緊張の糸がほんの少し緩んだ瞬間だった。 背後に膨らむ殺気。振り向きざま、咄嗟に能力で弾くが対峙していた男の手から放たれた鎖が腕に巻きつ き、その隙をついて三人の敵に囲まれた。 「くそっ……!!」 思わず毒づいたが、状況は好転しない。 男たちが凶器を手に襲いかかってくる。とにかく眼前に迫る敵を吹き飛ばすが、死角からの攻撃は能力で 弾くにしても効果が薄い。 ――やられる……!! 熱く焼けるような痛みを覚悟した瞬間、男たちの悲鳴が上がる。 「またお前か……!!」 崔青琳が憎しみのこもった声で言った。俺がそちらを振り返る前に、腕に絡まった鎖が俺を引き倒そうと 引っ張られた。 そうはいくか、と足に力を込めて踏ん張る。が、ガクンと急に引っ張る力が失せて、俺は後ろによろめい た。 ハッとして視線を上げる。鎖を持った男の背後。瞬間的に現れた一つの人影。 「葛……!?」 さっきの一撃を最後に、俺の能力の制限時間は切れた筈だ。俺が敵の目を逸らしている間に逃げろと言っ たのに、何故あいつはまだここにいるんだ。 困惑する俺の目の前で葛は振り返った男の腹に一発食らわせ、それでもまだ意識を保とうとする敵に、掌 底で顎に一発入れて昏倒させる。 「葛っ、後ろだ!!」 俺の声に振り返ることもせず、葛は怪我をしていない右足の力だけで軽く飛び上がった。そしてそのまま 踵から背後に回し蹴りを放つ。 男の側頭部にヒットした一撃は、葛が地面に着地すると同時に相手を地に伏した。 「ふざけんじゃないよっ!!」 崔青琳が吠える。手にしていた扇が不吉に太陽の光を反射した。 銃弾を弾いたことでただの扇ではないとわかっていたが、あれは鉄扇だ。しかも細工によって扇の弧の部 分が鋭利な刃物になっている。 崔青琳は、より近い位置にいた葛の方へ駆け出す。 立ち上がろうとした葛が足の痛みに耐えきれず、よろめいて倒れた。崔青琳の口の端が不気味な程に釣り 上がる。 「死ねぇっ!!」 「葛ぁっ……!!」 俺は間に合わないとわかっていながら走り出さずにはいられなかった。しかし俺の目の前で無惨にも白刃 が冷たく煌めく。葛は最後の抵抗のつもりか頭上に手の平をかざしていた。 ――ここまで来て……!! 俺の視界から光が消え失せていく気がした。その時、 「葵っ!!」 凛と響いた葛の声にハッとする。 鉄扇の突き刺さる様など見たくない、と無意識にぶれていた視界をクリアにした。そして目にしたのは、 葛が的確に崔青琳の鉄扇を受け止め、それを自身の能力で遠くへ転移させると、滑るように崔青琳の手首 を掴んで、得意の合気道で、地面に座ったまま背後に引き倒してしまった瞬間だった。 受け身も取れぬままゴツゴツとした地面に全身を強かに打ち付け、崔青琳は苦痛の呻き声をあげている。 立ち上がれない葛は彼女にトドメを差せない。代わりに、追いついた俺が昨夜と同じように鳩尾に一発食 らわせてやった。 「うぐっ……!!」 闇組織の女幹部はくぐもった声を上げて動かなくなる。俺はそれを確認して、ようやく肩から力を抜いた。 「ふぅ……」 「…………」 額にうっすら浮かんだ汗を拭い、息をつく。 隣で再度立ち上がろうとした葛が小さく顔を歪めたのを見て、俺は駆け寄って彼の腕を引っ張って助け起 こした。 「葛、お前なんで逃げなかった」 俺の言葉に、葛はチラリと深い緑の瞳をこちらに向ける。 「――お前が俺を置いて洞窟から出て行った時、俺がどう思ったかわかるか」 「え……?」 唐突に何を言い出すんだ。俺は何も答えが思い浮かばず、呆然とするばかりだが、一つだけわかることが あった。 この問いは昨晩、俺が葛に向けたものだ。 「能力が使えるようになったのはお前だけじゃない。まだ戦えるのに、戦力にならないと思われるのは心 外だ」 「けどお前、怪我して……」 「見くびるなと言っている!」 「っ!?」 バシッ!葛の重い一撃が、受け止めた左手を痺れさせる。 今、葛の体重を支えているのは片方の足だけで不自由である筈なのに、それでもこれだけ重いパンチを繰 り出せる葛は、さすがと言えばさすがだ。 「俺も男だ。守られるだけなんて、我慢できない」 拳をゆっくり開き、葛は俺の手の平に自分のものを重ねる。その手の内には俺の腕時計が握られていた。 「“最後まで二人で逃げきろう”と言ったのはお前じゃないか。もっと俺を……頼って……」 彼らしくなく、段々と語尾が弱くなっていく。まるで独り言のように「最初に裏切った俺が言うのもなん だが……」と、言う葛。 俺は自然と笑みを浮かべ、腕時計を受け取った後、葛の手をそっと握り返した。 「ありがとう、葛。やっぱりお前と組んで、しくじることなんてないな!」 地面に向けて彷徨っていた葛の視線が上がる。俺を見た葛の目元が、心なしか和らいだように見えた。 俺たちは周囲を見渡す。昨夜と違って、今度は全員気絶しているようだ。 ふいに洞窟の上の崖からガサガサと茂みを掻き分ける音がして、俺たちは追っ手かと身構える。 「葵!葛!」 「「雪菜!!」」 茂みの奥から姿を現したのは雪菜と棗だった。崖から落ちないように気をつけながら、俺たちの安否を気 遣う。 「俺はかすり傷だ。葛の方はちょっと酷くて、一人じゃ歩くのは無理そうだけど……」 「面目ない――」 「気にすんな。大丈夫、俺が手を貸す」 「そう?――でもその様子じゃ、ここまで登ってくるのは無理ね……」 確かに、いつもならこれだけ足場があれば容易に合流が可能だが、俺はともかく、今の葛には無理だ。 困っていると、下流の方を見つめていた棗が道を示してくれた。 「もう少し下流に行くと、合流できる道がある。そこまで歩けるか」 「あぁ、大丈夫だ!」 「じゃあ、そこで!」 俺が応えると、笑顔の雪菜が嬉しそうに言う。 「よかったわ!二人とも無事で!」 「葛は怪我をして“無事”ではないみたいだけどな……」 「あっ……」 棗の一言に雪菜は口を押さえる。恨みがましい視線で棗を見上げる雪菜。 「とにかく、誰も欠けることにならなくてよかった」 「そうです。そういうことを言いたかったの!」 「わかってる」 苦笑混じりで言う棗に拗ねたように雪菜は言った。 「それじゃ、また後で!」 「気をつけろよ」 崖の上の二人はそう言うと、再び茂みの向こうへ姿を消した。 俺は、岩につかまって立っていた葛を振り返ると傍まで寄り、背中を向けてしゃがんだ。 「ほら、おぶってやるから乗れよ」 「なに……っ!?」 「じゃあそんな足でこの石だらけの岸を歩いて行けるのか?」 「…………」 「あ、それともお姫様抱っこがいいとか?」 「調子に乗るな!!」 深緑の瞳に睨まれ、俺はハハハと笑う。 「――ほら」 俺が促すと、葛はしぶしぶ俺の肩に両手を置いた。 「いいか?立つぞ?――よっこいせ、っと!」 自分で掛け声を掛けて立ち上がる。自分と同じ背丈の男を背負うのだからやはりそれなりに重いが、気に なるのはそれよりも……、 「なぁ葛。騎馬戦じゃないんだから、そんなに上体起こしてなくてもいいんだぜ……?」 「うっ……」 背後で呻き声。彼も多少気まずいと思っていたらしい。 ――まぁ、仕方ないか。 「……これが俺たちのホントの距離、ってね……」 ぽつりと呟く。 任務となれば力を合わせるけれど、実際は葛のほうで壁を作られている。それが今のこの状態を表してい るのではないか。 「ま、いいや。とにかく落っこちないようにしっかり掴まってさえいてくれれば……」 「……わかった」 ふいに、さっきより近くで葛の声がした。 あれ?と振り向こうとした矢先、背中にさっきよりも体重がかかる。 「これで……いいか……?」 照れているのか、いつもよりも小さな声が言った。 「あ、うん……」 俺は驚いて、ごにょごにょと答えた。 葛が自分から体重を預けてきた。しかも俺の距離云々の独り言を耳にしておきながら。 これはもしや、少しは期待していいのだろうか。葛の心の壁はなくなりかけているのだと。 「俺だって、お前を頼ることもある……」 消え入るような声がして、じわりと心があたたかくなった気がした。 「――そうだな」 俺は言う。 背中が温かい。葛の体温が移ってくる。 昨晩抱きしめた時よりも温かい。その温もりに今になってほっとする。ちゃんと葛を助けられたのだと。 暫くの間、石だらけの道を黙々と歩いていく。 やがて道が緩やかな登り坂になってきた。きっともうそろそろ棗の言っていた合流地点になるのだろう。 そう考えると、俺はなんとなく今回の任務がようやく終わるのだという思いが生まれた。 無意識にチラリと川の方へ目を遣る。 葛を助けるつもりが、結局は崖の時もさっきも助けられてしまった。 俺は一言、礼を言っておくべきだと口を開いた。 ◇ 葵の背におぶわれ、昨夜と同じ人肌の温もりに安堵している自分がいる。 葵は俺を背負って黙々と歩いていたが、ふいにチラリと川の方を見る。釣られて俺も昨夜に増して雨のせ いで流れの速くなった川を見た。 少し強引で無鉄砲なところがあるが、葵のそれが自分の背を後押しする結果にもなったし、意地が邪魔し て動けなくなった時に手を引いてくれるのもそうだ。 川に飛び込むなんて馬鹿だと思ったし、一人で大勢を相手に戦い抜くというのも無謀だと思った。だけど それは結果的に、ただ川に流されて死ぬのを待つだけだった自分を救ってくれたし、怪我をした自分でも 相手ができる人数にまで敵を減らしてくれた。 感謝していることを伝えるべきだろう。いつもならくだらない意地が邪魔する言葉だが、今なら言える気 がする。 ◇ 「「ありがとう」」 葵と葛の声が重なった。 二人は思わず顔を見合わせ、プッと吹き出す。 その時、確かに二人は感じた。 背中越しの温もりの中に、固く結ばれた“絆”というものを。 【葵葛四題 「絆」】 ---------------------------------------------------------------------------------------------- お待たせしました!これにて「絆」完結です! 最後の仕上げはスパコミの日の朝、会場に向かう電車の中で書いたというwww 結局、葵の「好き」っていう気持ちは言葉で伝えられていませんが、葛もまんざらじゃないというのが わかって……くれたかな、葵さんは(苦笑) いや、あの、言い訳させてもらいますと、実は当初書いていたものと終わりがちがくなってます。はい。 かなり。大幅に。ケータイの文字数で言うと1500字くらい(笑) 「これは『絆』じゃない!単なる葵さんのプロポーズだ!」ってなって切りました。そっちのパターンだ と、ちゃんと葵さんと葛さんは思いを伝え合って、くっついてたんですけどね。 今回のメインは「絆」なので。いつかボツにしたほうの流れもどこかで使えたらいいな、と思います。 ……思うけど、どうなのかな(苦笑) 気になる人はコメで「読みたい!」的なことを言ってくれればいつでもブログのほうに上げます(笑) 事前に友人に送ったところ、ひそかに棗&雪菜も好評だった「絆」後編。 ともあれ、完結。ありがとうございました! 2010/10/16 |