せめて希望は最後まで 「何度目だろうな。お前とこうして向かい合うのは……」 軍服に身を包んだ葛はそう言って、自嘲の笑みを浮かべた。 頃合いを見計らったように各所に設置されたスピーカーから高千穂勲の声が高らかに告げる。 『5時間後、上海へ超弩級の新型爆弾を投下する!』 「なんだって……!?どういうことだ葛!!答えろッ!!」 俺の問い詰める声に、奴は表情を変えることなく――いや……。 「――まさか、お前も知らなかった、のか……」 固く拳を握りしめ、唇を噛む様子はどう見ても、高千穂勲の計画に賛同しているようには見えない。 葛は呻くように言った。 「知っていたさ……。ただ、知ったのはついさっきだがな」 それはつまり、俺たちを裏切った当初は計画の全容を知らなかったという訳で……。 「葛……。今からでも遅くない。俺たちと――!」 「駄目だ!」 苦痛に表情を歪めた男は、自分の中の衝動を抑えるように片腕を抱き、叫んだ。 「お前は俺に、二度も裏切れと言うのか!そんな愚かな真似ができるか……!!」 「自分が正しいと思うやり方に変えるだけだろ!何を意固地になってるんだ!」 「それが俺だ!!俺は簡単に考え方もやり方も変えられはしない。――俺は、お前とは違うんだ……!」 「っ……!!」 いつだってそうだった。俺たちがこうして向かい合う時は、三好葵と伊波葛が違う人間なのだという現実 を突きつけられる。 それでいいのだと思っていた。だからこそ惹かれ合うのだと。 しかし今は、今ばかりは、そんな考えに甘えていた自分を呪った。 「――わかった。決着つけようぜ、葛。お前もそのつもりで来たんだろ」 「葵……」 葛は抱いていた自分の腕を解放すると、半身を引いて構えを取った。 「ハッ、合気道のセンセイを相手にすんのは、ちょっと手強かったかな」 軽口を叩いて、俺もまた構えを取る。はっきり言って、スパイ学校で習った付け焼き刃の体術など生粋の 軍人である葛に敵う訳がない。 しかし、葛は腰に差したホルスターから銃を抜きはしなかった。それが唯一の勝算だと感じていた。 「いくぜ葛!!」 クッと顎を引き、葛の目に力がこもる。俺は地面を強く蹴って駆け出した。 最初の一手は予想通りいなされる。そのまま腕を取られて体制を崩されそうになるのを、タイミングを見 て蹴りを繰り出し、逃れた。 能力を使うつもりはなかった。使えば、圧倒的に俺のほうが有利なのはわかっていたが、それでは意味が ない。 俺の力は手を触れずに物体を動かす力だ。 「(俺はアイツをもう一度捕まえたい。だったら……!)」 彼を遠ざける力は必要ない。 月のない夜。建設中の建物にある光源はさっき気絶させた兵士たちの持っていたランタンだけだ。 薄暗い屋内で、俺はひたすら葛の影を追った。 葛もまた力を使う素振りはない。明かりのない場所では視界の不良で彼の能力には不利なのかもしれない。 蹴りは流され、突き出した拳も少ない反動に戸惑っていると、地面に引き倒されそうになる。 「葛」 俺は呼吸の合間を縫って呼びかけた。チラリと視線が動く。俺は笑みを消した。 「何を引き換えにしても、俺はお前を取り戻す」 「っ……」 正面に見据えた葛から息を呑む気配が伝わってくる。次の瞬間、俺は右拳を突き出していた。 葛は反射的に俺の手を掴み、逆の手で肘の関節を押さえる。そのまま無理に動けば関節を外される。わか っていながら、俺は動きに逆らって右腕に力を込めた。 「馬鹿……っ!」 葛の焦った声が聞こえる。同時に、手首を掴んでいた力が僅かに緩められた。 俺はその隙を逃さない。空いていた左手で葛の胸ぐらを掴むと、足を払って自分の体ごと背後の資材に押 し倒した。 「くっ……」 深緑の瞳が跳ぶ対象を探る。俺は拘束のなくなった右手ですかさずその視界を覆った。 「葵、離せ!!」 「嫌だね!」 葛の能力の制限は視界。視界を奪われると、奴は途端に大人しくなる。無意識に怯えているのかもしれな い。 「言っただろ。何を引き換えにしても、お前を取り戻す、って」 手の平の下で眉間にしわが寄っているのがわかる。抵抗する手足を己の体で押さえつけて、俺は静かに葛 の名を呼んだ。 「離せ、葵……!!」 ホルスターから銃が抜かれ、目の見えないまま突きつけられた銃口は、俺の肩に押し当てられた。 「離せ、葵」 「嫌だと言った。撃つなら撃て」 繰り返される言葉を拒否する。ガチリと撃鉄の起こされる音。 「頼む、葵……!」 「葛……」 俺は葛の体を拘束したまま、ゆっくりと手の平を退かす。そしてすぐさま葛を腕の中に囲むと、開きかけ た口を塞ぐように唇を重ね合わせた。 深緑の瞳が驚愕に揺れる。震えていた銃口が下に向き、やがて重さに堪えかねたように地面に落ちた。 思うさま舌を差し込み、深緑の瞳を見つめ続ける。切なげに細められた目。どんなに左右を見渡しても、 結局俺の視線とかち合い、最後には静かに目を臥せた。 「こうすれば、お前は俺以外の場所に跳べない」 唇を離し、強い口調で囁いた。伏せられた視線が再び俺を見る。 「葵……」 乱れた息の下、葛が呼ぶ俺の名にぞくりとした。たまらなく愛しく思えて、もう一度この腕の中に抱けた ことが嬉しくて、泣き笑いの表情になりながら額を合わせる。 「戻ってこい、葛。俺は、お前が一緒じゃないと十分に戦えないし、生きられないんだ」 ◇ 葵に触れられた肩や額が温かい。 見上げた鳶色の瞳は強い光を放っていた。――この数ヵ月、別の漆黒の瞳の中に求めていた光だった。 埋められることのなかった喪失感は、やはり同じものでしか補えないのだと知った。 俺は服の肩についている隊章に手を遣る。力を込めると、ビリッと音を立ててそれを剥ぎ取った。 視界の隅で俺が何をしたのかかろうじて見えたらしい葵は、目を見開いた後、微笑んだ。 しかし俺は隊章を投げ捨てたまま、拳を握り、葵を見た。 「葵、俺を捕まえていろ。そうすれば、どんなに離れても俺はお前の所に戻ってきてやる」 「捕まえる……」 「やり方は、わかっているだろう?」 額を合わせたまま葵は少しの間、思案する様子を見せた。まさか、わからないと言うつもりか。 俺が眉をひそめた瞬間、葵は小さく吹き出して笑った。 「冗談だ。そんな怖い顔すんなよ」 「この至近距離で表情がわかるか。嘘つきめ」 「はいはい……。じゃ、改めてこれは嘘じゃないからな」 そう言って、葵は触れるだけの口づけを落とし、囁くように言った。 「――愛してる」 「あお……っん」 応える前に再び深く唇を塞がれ、抗議するように睨みつけると、葵は目だけで笑ってみせた。 無邪気に見せて、口内に侵入してこようとする舌は巧みだ。俺は苦笑して、唇を薄く開いた。 舌を絡ませながら、葵は俺の背に腕をまわして強く抱きしめてくる。 体の内と外から熱に覆われて溺れそうだ。そろりと腕を上げ、葵のシャツに指を引っ掛ける。 「ん、……葛っ、好きだよ」 口づけの合間に告げる言葉に内心で思う。それはもうわかった。だから俺にも応えさせろ、と。 しかし葵はなかなか隙を与えてくれない。どうやら余裕をなくしているらしい。 「(俺も……だがな)」 両腕を葵の背にまわして、溺れるほどの口づけからすがり、しがみつくように力を込めた。 快楽に落ちていきながら、熱に浮かされる。 「は……ぁ、葛……」 「ん、……葵?」 激しい口づけに完全に呼吸を乱され、ぼんやりと葵を見上げると、奴は締まりのなくなった顔で笑ってい た。 「だらしない顔だな」 「その顔に見惚れてるのは誰だ?」 「自惚れていろ」 俺は口元だけで笑うと葵の肩を押す。立ち上がり、衣服を正すと地下道に通じる入口を指差した。 「あの奥に大尉――高千穂勲と預言者はいる。雪菜一人では荷が重い。早く行ってやれ」 「“行ってやれ”って、お前は?」 腑抜けた顔を途端に強ばらせ、葵の鋭い視線が向けられる。俺は建設途中の建物の屋上を見上げ、答えた。 「久世小尉――空間移動と精神感応の力を持つ能力者が棗の所に行っている筈だ。俺はそちらに行く」 「大丈夫なのか?」 「フッ……見くびるな」 「だな。悪かった」 肩を軽く叩かれる。俺はその手を取って、葵と視線を合わせた。 「葵、高千穂勲と会ったことのあるお前ならわかるだろうが、あの人とは決して視線を合わせるな。雪菜 より強い精神系の能力者だ。一度捕らわれたら彼の精神支配から抜け出すのは容易ではない」 「わかった。気をつける」 表情を引き締め、葵は頷く。 「棗を手伝ったら、すぐにそちらに向かう」 「あぁ、お前も気をつけろよ」 そっと頬を合わせて別れる。葵らしい欧米式のキスの挨拶に、戸惑った俺はただ頷くだけだった。 背を向けて葵は地下道の入口へ、俺は屋上へ繋がる足場へ向かう。 棗の所へ向かうと言ったのは、久世小尉の力を軽く見られないと思ったのも確かだが、本当は大尉と会う ことを恐れていただけだった。 あの漆黒の瞳は俺の弱みを握っている。葵がいる場所でそこを突かれたら、自分を保っていられる自信は まだなかった。 恋焦がれる男を想って、別の男に抱かれていた自分が卑しい。 「(お祖母様が生きていらしたら、叱責では足らないだろうな)」 葵はその事実を知っても、自分を離さないと言ってくれるだろうか。 ――今回の計画を無事に阻止できたら、聞いてみるとしよう。 嫉妬され、幻滅されても、想うことは止められない。 ――好き、だ。葵……。 --------------------------------------------------------------------------------------------- やっぱりこの二人が好きだぁぁぁ! 棗は久世さんによく勝てたと思うよ、実際。久世さん強すぎだもんよ。あ、でも能力に頼りすぎてたとこ ろはあったのかな……。 実はこの話、続編を視野に入れて作成していたのですが、アニメ本編がきれいにまとめてくれちゃったの と、久世さんを倒せる気がしなかったのでリタイアしました(笑) んー、あと、続編を書くとしたら葛さん死ネタだったんですよね。絶対に葛さん死ぬと思ってたし(苦笑) タイトルの「最後」は「最期」の予定だったんですよ、と。 2010/08/11 |