東は東 弾かれた石はもう止まれない




伸ばした腕も、叫ぶ声も届かない。何か熱いものが胸を締め付けて、苦しい。思うようにできない呼吸。
俺は必死に息をした。
ふいに誰かの手が額に触れる。その手に導かれるように、俺はゆっくりと瞼を開いた。
指で俺の額に浮かんだ汗を拭っていたのは、想像していた男よりも年上の黒髪の男だった。

「魘されていたよ」

柔らかい声音でそう言って、微笑みかけてくる。どうやらいつの間にか眠ってしまい、夢に魘されてい
たらしい。魘された夢から救われ、安堵する筈の心は、何故か落胆した。

「……すみません……」
「なんで謝るのかな」

高千穂勲は朗らかに笑って、俺の額から手を退ける。そしてソファーに座り直した俺の隣に腰掛けた。

「どんな夢だったんだい?随分と苦しそうにしていたようだけど」

何を言ったものかと思案していると、クス、という笑い声と共に彼は言う。

「葵くんのことかな?」
「っ!?」

弾かれるように隣に座る男を見た。
彼は殊更楽しげに笑いながら衝撃的なことを言う。

「知ってるよ。君たち、愛し合ってたんでしょ?」

声も出せないまま、目の前の男を凝視する。何故この男はそんなことまで知っているのだろう。体に緊
張が疾った。
しかし彼はこちらの動揺を意に介した様子もなく、紳士然として笑みを浮かべたままだ。

「まぁ、正確にには“気づいちゃった”ってところかな。さっき、私を連れて逃げる時、仲間に向ける
 にしては切な過ぎる目をしていたからねぇ……」

肘掛けに腕をつき、寄りかかるようにしながら目を向けてくる。

「それに、魘されてる間、何度も葵くんの名前を呼んでたし」

視線に追い詰められて、俺は僅かに身動ぎをした。

「隠さなくていいよ。私のせいとは言え、好きになった者と離れるのは辛かっただろう」
「いえ……」

辛いことなどない。そう言い聞かせる。
だが、桜井機関のことを、葵とのことを過去に押しやろうとすればするほど、胸が苦しくなり呼吸が早
くなる。
握りしめた拳にしかめた眉。
『そんな顔するなよ』
記憶の奥底に押し込めようとしている男の顔が浮かぶ。記憶の中の男はそっと手を伸ばして俺の手に触
れ――、

「――ねぇ、君のその心の傷、治す手助けしてあげようか?」

現実で手に触れてきたのは記憶の中のものより一回り大きな手。
ハッとしていつの間にかうつ向いていた視線を上げると、そこには高千穂勲がすぐ傍まで体を寄せてき
ていた。

「(何を……)」

するのか。
脳が思考を開始する前に停止した。
腕の中に囲われ、ソファーに押し倒されながら、深い口づけを受ける。突然の出来事に大きく見開いた
目は、見慣れた鳶色ではなく、闇を思わせる漆黒の瞳に固まった。
舌を差し込まれ、着物の袷に沿わされた手にようやく抵抗するという思考にたどり着く。

「――んっ!?んんっ、んぅ……っ!!」

両手で相手の肩を押し返すけれど、体重を掛けられ、容易に逃れることができない。
襟元が寛がれ、指先が鎖骨の辺りをスッと撫でた。
口づけから解放された喉が酸素を欲する間に首筋へ唇を当てられ、そこから幾度か肌を強く吸われる。
卑しく体が反応し、漏れそうになる声を堪えながら、俺は震える声で叫んだ。

「やめてください!!」

帯を緩めようとしていた手が止まり、慌てることなくゆっくりと上体を起こした高千穂があやすように
俺の頬に触れた。そして、まるで恋人にするような口づけを額に落とし、微笑む。

「ごめん、怖がらせるつもりはなかったんだ。無理に襲ったりして、本当にごめん」

安心させるつもりだったのだろう高千穂の笑みが苦笑に変わる。
額と一緒に両目を封じられ、束の間の暗闇に息を止めた。

「――君は本当に葵くんが好きなんだね」

耳元で囁かれた言葉に、今の今まで葵のことを考えていたと気づかされる。無意識に目の前の男と葵を
比べていた。
鳶色の瞳と髪色を探し、大きさの違う手の平に戸惑い、深い口づけに快楽ではなく苦痛を感じた。肌を
啄む唇に恐怖を抱いた。

「(西尾……)」

過去に無理矢理、親友に組み敷かれたことを思い出す。己の心が伴わない行為が、これほど恐怖を覚え
るものかと思い知らされる。
三好葵という男にどれほど心を許していたのかも――。

「私は隣の部屋で休むとしよう。この部屋は鍵を掛けられる。安心して休むといい」

乱れた着物を整え、高千穂勲は立ち上がる。
パタン、と音がして、勲の気配が部屋から去ったのを確かめると、クッションに深く顔を埋めた。

「――葵……っ。葵っ、あおい……っ!!」

両目から溢れた涙が熱く滲んではクッションを濡らしていく。
武家の男子ならば安易に泣くものではない、と戒められた箍が外れてしまったようだ。
『ど、どうしたんだよ葛!?お前らしくないぜ!?』
慌てふためく姿が容易に想像できる。それからきっと、席を外そうか迷い、俺が引き留めればそっと背
中を撫でるのだろう。
自らその男の元を離れると選んだのに、女々しく記憶の中の面影を追っている。

「葵っ……、俺は……俺は……っ!!」

何度も何度も、クッションに押されたくぐもった声で葵の名を叫んだ。あの時、炎に照らされ、アイツ
が呼ぶ声に応えられなかった時の分まで――。



 ◇



部屋の中のむせび泣く声を聞きながら、高千穂勲は扉に背を預けて不敵に微笑んでいた。

「存分に泣くといいよ葛くん。どんなに泣いても、キミはもう桜井機関には戻れないんだ」

彼の瞳は月の光の届かない暗闇を見据えて、口元は深い笑みを刻む。

「桜井さんは裏切りを許さない。私の手を取ったキミには、桜井機関に居場所はないんだ」

そしてそれは同時に、桜井機関の敵となったことを示す。――もっとも、その桜井さん自身がどういう
立ち位置にいるのか、組織に属する君たちにはわかっていないだろうけれど。
勲は、必死にコイビトの名を呼ぶ青年の姿を思い出した。

「――ククッ、滑稽だねぇ。愛した人間に二度も拒絶されるなんて」

一人目は婚約者、二人目は信頼した仲間。三好葵という男は、愛した人間を二度も失った。
部屋の中から聞こえる声は段々と弱まってきた。能力の限界ギリギリまで引き出した挙句、昼間は緊張
の連続だった為、長時間泣き続けるだけの体力は残っていなかったのだろう。
そう差し向けたとは言え、自ら愛した男を裏切った苦しみは深い絶望を生んでいることだろう。
ククッ、と勲は喉奥で笑った。

「戻れないよ、葛くん。弾かれた石は元には戻らない。転がり落ちるだけさ」

――キミの躯は私がもらう。

高千穂勲は一層低い声でそう呟くと、葛の休む部屋から離れ、完全なる闇へ姿を消した。




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黒っ!!勲お兄様が真っ黒やん!!(笑)
しかし、私の書く勲お兄様でこんなに真っ黒なのは今回が最初で最後であるwww

このあと、勲お兄様は久世さんの部屋に転がりこんで嫌な顔されればいい(笑)

2010/08/01

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