おかゆ おにぎり おべんとう ナナシはぼぅっとした頭で、ただ自宅への帰路を辿っていた。 五限の体育を乗りきり、六限の数学は意識が朦朧とした状態で受けた。 最低最悪に気分が悪かった。 鞄を肩に掛け直そうとして、何故か視界が傾いた。続いて全身が横向きに倒れる感覚がスローモーシ ョンで訪れる。 「―――!」 何か声が聞こえたが何と言ったのかわからなかった。その声が間近に聞こえた時、ナナシは自分がそ の声の主に抱きとめられたのだと気づく。 「おい!大丈夫か!?」 倒れるナナシを抱きとめたのは赤毛の男。確か同じクラスだったとナナシは思う。 「おい!」 けれど、それ以上ナナシの意識はもたなかった。 ◇ 目が覚めたのは見覚えのない部屋の布団の中。傍らには意識が途切れる前に見た赤毛の男が、座って ナナシを見つめていた。 「お前、確かナナシ・ヴァスティ…だよな。同じクラスの」 「‥‥‥‥‥アリー・M・サーシェスか」 布団の中から男――アリーを見つめ返し、漸く記憶の糸を辿ることに成功する。 「ここ俺ん家。お前さ、もしかして腹減ってんじゃねぇ?」 「‥‥気持ちが悪い」 「だから腹減ってんだって…。昼飯、握り飯一つっきゃ食ってねぇだろ?」 「なぜ知ってる」 「たまたま見てたんだよ!“よくあんだけで足りんなー”と思ってな!」 足りてねぇし、とアリーは苦笑する。 「いつも握り飯一個だよな。見てて腹が空くからいつも余計に一個多く握り飯食っちまうんだぜ?」 「そんなの俺が知ったことじゃない」 へらへらと人懐っこい奴だと思った。よくよく思い返せば、新しいクラスになってから二ヶ月。これ が初めてのクラスメイトとのコミュニケーションと言えるかもしれない。 「今まで倒れなかったのが不思議なくらいだぜ。もしかして朝飯抜いてんじゃねぇだろうな?」 「夕食は摂っている」 「コンビニ握り飯一個?」 「あぁ」 アリーは頭を抱えて溜め息を吐いた。 「お前さぁ、自分の体と年齢考えろよ。足りる訳ねぇだろそんな食生活して!」 アリーの説教を不条理だと感じてナナシはアリーを睨む。実際のところはアリーの主張は物凄く正し い。 「待ってろ。取り敢えず今お粥でも作って来てやるから」 そう言ってアリーは立ち上がってキッチンに向かう。 ナナシは改めて自分の置かれた状況を確認してみた。 まず、敷き布団に寝かされた自分は制服の上着を脱がされ、ワイシャツのボタンも二、三個外されて いた。 きっと制服を脱がされていたのは皺がつかないようにだろうし、ワイシャツのボタンは息苦しくない ようにという配慮からだろう。 上着は部屋の壁に、アリーの物と思われる一回り大きな制服の横に掛かっている。 辺りには服やジャージや教科書が散乱しており、“これは無くすのも時間の問題だな”と思った。 「ほいできた。起きられるか?」 小さな鍋とスプーンを持って、アリーは再び布団の傍らに腰を下ろす。ナナシは腹筋に力を込めたが、 貧血のような目眩が襲い、表情を歪めて首を振った。 「じゃあせめてこっち向け。なんか食わないとずっとそのままだ」 素直にアリーの方を向くと、アリーはスプーンに少しだけおじやを掬い、フーフーと冷ましてからナ ナシの口に運んだ。 「熱いぞ、気をつけろ」 「ん」 ナナシは“美味い”とも“不味い”とも言わず、ただアリーが運ぶスプーンを大人しく己の口に迎え 入れた。 「食い終わって、少し休んだら送ってってやるよ。夕飯もなんか用意してやる」 「そこまでしなくていい。余計なお世話だ」 「もう既にお世話してるのにか?」 「‥‥‥‥‥‥」 口を尖らせて黙ってしまったナナシを少しだけ“可愛い”と思うアリー。 「いつもならモレノかヴァスティが作るんだ」 「は?」 唐突に話し始めたナナシに思考が追いつかない。アリーは首を傾げながらナナシの話についていく。 「いつもならどちらかが朝飯も夕飯も作ってくれるのだが、今は一昨日から二人とも出張で居ない」 「だから今日は倒れちまったのか。モレノとヴァスティってお前の両親‥‥な訳ねぇよなぁ。ってい うかヴァスティってお前の名前じゃ…」 「家主がヴァスティだから俺もそう名乗っているだけだ。俺を拾ってきたのはモレノだから、別に俺 はどちらでも構わないんだが、ヴァスティが『年長者の威厳を保たせろ』とかなんとか…」 「ちょちょちょっ…!え?なに?お前、もしかして両親‥‥」 「さぁ、知らん。母親の方は殺されたか自殺したか。モレノなら知っているだろうが。アイツはボス お抱えの医者だったから」 「ボスって!?いや、待て、なんかまともに話すのは今日が初めてなのに物凄く踏み込んだこと聞いて る気がする…!!」 「話している気はしている」 「じゃあ止めろぉぉぉ!!」 「騒がしい奴だ」 頭を抱えて叫ぶアリーをナナシは呆れた様子で眺める。そしてくすりと笑った。 「…お前、その…。モレノさんとヴァスティさんが帰って来るのっていつだ?」 「あと一週間くらいだ」 「じゃあその間、俺が弁当作ってやるよ」 「‥‥いきなり突拍子もないことを」 「明日から楽しみにしろよな!」 快活に笑うアリーを布団の中から見上げ、ナナシは苦笑する。 やがて空腹が満たされたせいで瞼が重くなり、アリーに頭を撫でながら「少し寝ろ」と言われて、ナ ナシは静かに目を閉じた。 ◇翌朝◇ 「アリーおはよう!」「珍しいな、予鈴の前に来るなんて」「雨でも降るかもねー!」 クラスの人気者のアリーは登校して来るやいなやクラスメイトに声を掛けられる。アリーは一人ひと りに返事をしながら、教室の中を見渡した。 未だクラスに溶け込めない―――溶け込む気もなさそうなナナシは、カーテンを引いた窓際の席で暇 そうにボールペンを指の間で回していた。 「ナナシ!」 机の横に立つと、ナナシは視線だけをアリーに寄越す。 「おはようっ!」 「…おはよう」 クラスメイトの面々はアリーがナナシに声を掛けたこと、ナナシがそれに応えたことにびっくり仰天 だ。 「これ朝飯な!」 しかもアリーは二つのおにぎりを鞄から出してナナシの机に置いたではないか。 「俺の手作り!梅干し食えたよな?」 「あぁ」 「どうせまた朝飯食ってないんだろ?」 「あぁ」 「出張から二人が帰って来るまで俺が毎日握り飯作って来てやるからな!」 アリーとナナシの急接近にクラスメイトは頭がついていかない。そうこうしている内にもナナシはア リーの持ってきたおにぎりをパクパクと口に運んでいるし、アリーは自分の椅子をガタガタと持って きてナナシがおにぎりを食べている様を間近で見ていた。 「ナナシ、ついてる」 「何が」 「おべんと」 アリーの指がナナシの口の端についたご飯粒を摘まんで、そのまま自らの口に運んだ。クラスメイト 達は無言の悲鳴とツッコミを入れる。 『ラブラブかお前らぁぁぁっ!!』 無論、当の二人はそんなつもりはまったくない。 「なぁナナシ…」 「なんだ」 「お前が食ってるの見たら腹減ってきた…」 「じゃあ食えばいいだろ馬鹿アリー!!」 じゅるりと音がしそうなくらいにもう一つのおにぎりを凝視していたアリーの顔面にナナシがおにぎ りを押しつけた。 クラスメイト達はナナシの新しい一面に戸惑いを覚え、一部の女子には早速そういう目で見られるこ とになってしまった。 ◇昼休み◇ 「俺の特製弁当だ。さぁ食え!」 手近な机をナナシの机にくっつけ、向かい合って座る二人。アリーはナナシの机の上に二段重ねの弁 当箱を広げた。クラスの一部の人間はまたしても無言のツッコミを入れる。 『愛妻弁当キタァァァァ!!』 勿論、当の二人はまったく気づいていない。 「…お前の分はどうした」 「家に弁当箱が一つしかなかった!」 「馬鹿だな」 ナナシが弁当箱の一段をアリーの方に返そうとすると、アリーの手がそれを止める。 「俺は既に購買で購入済みだ。気にせずに食え!」 ナナシはジーッとアリーは見、やがて根気負けして箸を取った。 「いただきます」 「おぅ!」 ナナシはまず玉子焼きを一口食べる。アリーは目を輝かせて 「美味いか!?」 と訊ねた。 その時のクラス一部女子の妄想。 『あぁ…アリーが健気な恋人に見える‥‥』 ナナシは少し考えるようにしてから淡々と 「不味くはない」 答えた。 見守っていたクラス一同は一斉にツッコむ。 『ツンデレかぁぁぁ!!』 「えー!結構自信作だったのによぉ…」 「食ってみろ」 そう言ってナナシは一口食べて半分残っていた玉子焼きをアリーの方に箸で摘まんで差し出す。アリ ーはそれをぱくりと食べた。 「あー…確かに美味くもなく不味くもなく‥‥」 『新婚さんかお前らぁぁぁ!!』 終始クラスメイトの無言のツッコミが途切れることなく、二人は昼食を食べ終える。 その頃を見計らってついに、一人の男子生徒がアリーに声を掛けた。 「アリーよぉ、いつの間にヴァスティと仲良くなったんだ?」 「んぁ?昨日ちょっとな!」 「昨日?どうしたんだよ」 「腹ペコと栄養失調で倒れたんだよ、コイツ」 言いながらアリーはナナシの頬をつつく。ナナシは容赦なくその手を払い、アリーの横っ面を殴った。 「いでぇぇぇ!!」 「元気になって何よりだろう」 「ナナシ、もうちょっと手加減っつーもんをだなぁ…!」 「気安くに触れるな。馬鹿が伝染つる」 「あんだよ。昨日は姫抱っこもおんぶもしたじゃねぇか」 「黙ってろっつってんだよ馬鹿アリー!!」 「ぎゃぁぁぁぁ!!」 それからというもの、ナナシはクラスに馴染み、ただ一つ“アリーネタで揶喩う”ことだけはタブー として楽しい学校生活を過ごしましたとさ。 ----------------------------------------------------------------------------------------- 二人がたぶん中学1年生か2年生くらいの頃のお話です。違ったかな(汗) 実際は、ナナシさんのお母さんは生きてるらしいです。FSでは死んでますけど。 アリーのほうはわかりません(おい 2008/05/14 |