Lacrimosa〜lie-B



ゴミを出して公園まで戻ってくると小雨がぱらついてきた。

「わぁー…やっぱり降ってきた!」
「今日は早めに店閉めるか」

ぱたぱたと一つに結った髪の毛を揺らしながら店まで小走りに先を行くライルを、俺は歩く速度を
変えずに眺める。すると突然その後ろ姿が止まった。

「あれ?ニール‥‥と、アレルヤ?」

ライルに追いついて彼が向いている方向を見ると、公園を走って出ていくもう一人の自分がいた。

「雨降ってきたのに、どうしたんだろ」
「喧嘩でもしたんじゃねぇか?」
「まっさかぁ!」

そう言って俺の肩を叩くライルの手が急に止まる。「まさか」と、今度は真面目な声を出して何か
思案に耽るように虚空を見つめて沈黙した。

「どうした?」
「うーん。やっぱり喧嘩かも?」

別にどっちでもいいじゃないか、と思った。アレルヤがニールの後を追っていたようなので、きっ
とアレルヤがニールを傷つけるようなことを言ったか、したに違いない。

「ンなことより店。全員で留守にするのはマズイだろ」
「あ、そうだな!」

俺とライルは店まで戻り、帰り支度をしながら夕食用にサンドイッチを求めて来た客の応対をした。
一時間経ってもアレルヤとニールは帰って来なかった。ライルが心配してニールのケータイに電話
をかけると奴は勝手にマンションまで帰っていた。

「そか!じゃ俺たちも帰るな!!ん、それじゃ」

俺は店じまいの支度を着々と進め、最後のサンドイッチを客に無愛想に渡した。
アレルヤの荷物は置きっぱなしで、自分達とニールの荷物だけ持って雨の中、マンションへと帰る。
何故か二人で一つの傘を使って。
ライルに無理矢理、傘を持たされたのだ。置き傘は二つしかなくて、どうせずぶ濡れてるアレルヤ
を気にする必要はないと言ったのだがライルはアレルヤに傘を残しておくべきだと訴え、ならライ
ルが使えと言ったのに、

「水も滴るいい男って言うじゃんか!」

とか巫山戯やがるから腕を取っ捕まえて一緒の傘に入れて帰路につく。年上だからって気ィ使って
んじゃねぇよ。
部屋の前でライルと一旦別れて中に入ると、入ってすぐの床にニールがいた。

「何やってんだ?」

俺が呆れ気味に呟くと奴は泣き腫らした目をして俺を見上げる。

「――…ハレルヤ‥‥?」

――本当に何やってんだ。
コイツもそうだが、それよりも恋人をこんな状態にしてほったらかしのアレルヤに対して額を押さ
えた。

「着替えもしねぇで何やってんだよ。部屋戻ってシャワー浴びて服替えてから来い」
「ハレルヤ、アレルヤは…!?」
「知らねぇよ」

意地悪を言っているつもりはない。アレルヤのケータイは鞄ごと店に置きっぱなしだ。本当に知ら
ない。
だのにニールは不安げに、辛そうに、すがる目で俺を見上げてくる。俺はもう一度「知らねぇよ」
と告げた。ぶわ、とニールの目尻にあった涙の量が増す。

あああもう!!

ニールをそこ置いたまま隣の家の玄関を乱暴に開き、ちょうど着替えをしていたライルに動揺しな
がらニールの服を適当に漁ってまた自分の家に戻る。

「おめぇの着替えだ。アレルヤが帰ってきたらすぐに呼んでやるからシャワー浴びて来い。シャン
 プーが違うとか文句言うなよ」

ニールに漁ってきた服を投げ渡し、腕を引いて立たせる。ニールは小さな声で「悪い…」と言って
脱衣所に消えた。
大きく息を吐いてやっと部屋に上がろうとしたら後ろから急に耳を引っ張られる。

「いっ、ててて!!何すんだこの野郎!」
「何すんだはこっちの台詞だ!」

振り返って確認せずともわかる。犯人はライルだ。
傘に入りきらず濡れた服を着替えたヤツは、顔を紅くして立っていた。

「いきなり部屋に入ってきて人の着替えを見て、一言の謝罪もないなんて…お母さんはそんな子に
育てたつもりありません!」
「誰がおめぇに育てられたって言うんだよ!!第一、俺とお前は男同士だろうが!思春期の娘みたい
 なこと抜かしてんじゃねェよ!」

…そう言い返しながら、内心で舌打ちをする。
ニールの着替えを漁りに部屋に入った時、ライルは服と一緒に眼帯も外していた。
動揺したのは晒されたライルの素肌ではなく、むしろ隠されていた傷ついた右目に。
ライルはその傷を見られることを嫌った。何故かは知らない。ニールにでさえ本当は見せたくない
らしいが、一緒に暮らし、しかも同じ部屋に寝ているのでは隠し続けるのはさすがに無理なことだ。

何故だろう。何故、ライルは傷を隠す…。治せるのに治さない。

ライルは怒っている―――振りをしている。



「親しき仲にも礼儀あり、だ!ニールとアレルヤならともかく、俺とお前はそういう関係じゃない
 んだから‥‥」
「――…なら、なればいいじゃねぇか‥‥」
「え?」

俺はライルがついてくるのを扉で遮り、背中をもたれさせた。

「ごめんハレルヤ、なんて言ったのか聞こえなかった!」
「大したこと言ってねぇよ!それより入って来んなよ。“親しき仲にも礼儀あり”なんだろ?」

開こうとするドアを背で押し返す。ライルが不貞腐れた声で「わかったよっ」と言い、玄関を出て
行く音を拾った。舌打ちをして着替えを始める。
部屋から出ると風呂場の水音も止んだ。しばらくしてドライヤーの音が聞こえ、それが止むと弱々
しくも笑顔を浮かべられるようになったニールが姿を現す。

「アレルヤは…まだ帰ってないのか」
「あぁ、まだだ」
「ライル、来てただろ?なんだって?」
「俺に着替えを見られたのが嫌だったらしい。謝ってくる」

無表情のままそう答えて、俺は玄関から出て行こうとする。

「あはは、謝れないくせにぃ。嘘つき〜」

ニールはケラケラと笑う。俺は振り返ってニールを一瞥し、目を背けた。

「笑いながら泣いてんじゃねぇよ。自分で言ったことに自分で傷つきやがって…馬鹿が」

笑い声が止む。俺が玄関の扉を閉める寸前、その場に座り込んで再び泣き崩れるニール。

「――やっぱ、馬鹿かなぁ…俺‥‥」

アレルヤ、と嗚咽を漏らすニールに俺は何も言わず扉を完全に閉めた。同じ顔、同じ声というのは
余計に傷を広げてしまいそうで怖かった。
隣の部屋に行くとライルが二つのマグカップを出してコーヒーを淹れる準備をしていた。その用意
されたマグカップの片方をニールの物から自分の物に替え、小さな声で伝える。

「悪かった」
「ん?‥‥う、うん…」

ライルは俺から顔を隠すように砂糖と牛乳を取りに動く。

「ニールは俺とアレルヤの部屋にいる。たぶんアレルヤが帰って来るまでこっちには来ないぞ」
「何か言ってた?」
「“やっぱり俺は馬鹿かなぁ”だとさ」

俺が答えるとライルは少し思い当たる節があるらしくガシガシと頭を掻いた。コーヒーをカップに
注ぎ、片方を俺に寄越しながらダイニングのテーブルにつく。
俺も向かい合って座ると事情を問い詰めた。
苦笑しながらライルが話し始めた内容は、それはそれは馬鹿馬鹿しい話だった。
アレルヤがニールを抱かない理由なんて、奴が童貞だからに決まってる。初めてだからどう誘えば
いいかわからずに先に踏み出せないだけ…。度胸のない恋人で災難だったなニール。
ライルにはアレルヤが童貞なのは伏せて―――アレルヤがそうだと知れれば自然と俺もそうなると
バレるのが嫌だったから―――アレルヤに度胸がないだけで、ニールのことはウザイくらい愛して
ると教えてやる。

「少し前までアイツの頭ン中にいた俺の話だ。信じられなくないだろ?」

マグカップをテーブルに置いて、俺はライルを見た。

「あぁ!ハレルヤが言うなら信じるよ」

ライルは満面の笑みで俺を見つめ返す。顔に熱が集まるのを感じたのと同時に家の電話が鳴った。
当たり前だがライルが出る。

「もしもし?――いや、俺、ライル。アレルヤ?」

電話をかけてきたのはアレルヤらしい。

「え、ニール?ニールは‥‥」
「ちょっと待て」

ライルが隣の部屋の方を向きながら答えようとしたのを制して受話器を奪い取る。
ニールをぼろぼろに泣かせた罰にいい嘘を思いついた。

「アレルヤ?落ち着いて聞けよ?」
『ハレルヤ?どうしたの!?』

演技派の俺の張り詰めた声に、焦るアレルヤの姿が目に浮かぶ。口の端に笑みを刻みながら言って
やった。

「ニールと‥‥連絡がつかない」

案の定、上手い具合に信じたアレルヤは「そんな…!!」と電話の向こうで叫んだ後、絶句している。

「嘘だぁ!?だっ、んんぐ…!!」

俺はライルの口を片手で封じながら先を続ける。

「マジだ。何かヤバいことに巻き込まれてるかもしれない。お前、ケータイは?」
『店!どうしようハレルヤ!?どうしよう、今‥‥』
「いいからお前は一旦ケータイ取りに行け!お前の荷物置きっぱだから。んで、お前からもっかい
 連絡してみろ!いいな?」

「じゃあな」と一方的に会話を終了させて受話器を置く。壁と俺の手に頭を挟まれていたライルは
両手で俺の手を掴んで剥がすと混乱した表情で捲し立てた。

「おまっ、なんっつー悪趣味な嘘ついたんだよ!?いくらエイプリルフールだからってあれじゃアレ
 ルヤが可哀想じゃんか!!」
「ニールをまた泣かせて、アレルヤにはあれくらい灸を据えねぇと効かねぇんだよ」

俺の答えにポカンとするライル。「なんだよ」と問うと、ライルは手を伸ばして俺の頭を撫でる。

「なっ!?」
「いい子だな、ハレルヤ」

いきなり何を言い出す!?そして頭を撫でるのは止めろ!!
俺の動揺を露知らず、ライルはいい子いい子、と俺を撫で…

「泣いてるニールを置いてきて、少しくらい慰めてやれよ、とか思ったけど…。ちゃんとニールの
 こと考えてくれてたんだな。ありがとうハレルヤ」
「な、なんでおめぇから礼を言われなきゃなんねぇんだよ」

ライルはやっと俺の頭から手を離す。奴は誇らしげに両手を腰に当てた。

「だって俺、ニールの兄貴だもん!弟の代わりにお礼を言うのはおかしくないだろ?それに、ハレ
 ルヤがニールの心配してくれて嬉しいから!」

まるで自分より年上には見えない笑顔でライルは言う。





まるで弟さえ幸せならば自分のことなどどうでもいいという風に。





俺はライルの腰に片腕をまわして、覗き込むように微笑む左目を見た。
吐息がかかりそうなくらいに近づいた翡翠色の瞳。

「…ライル、俺は‥‥「ハレルヤ‥‥…――あ!腹減ったか!?」

キスしようと近づいた顔を素通りしてがくりとライルの肩に頭を落とす。

「だよなぁ!もうすぐ7時だもんな!!待ってろ、すぐになんか作るから!」

俺の背中に腕をまわして子どもをあやすようにぽんぽんと叩き、キッチンに歩いていくライル。故
意か無意識か。どちらにせよ俺はものすごい虚しさを覚えた。

「ハレルヤぁ、スープと味噌汁どっちがいーい?」
「味噌汁!!」

半ば怒鳴るように答える。
それから俺は部屋のテレビをつけて悶々としながらニュースを眺めた。どうやらビル街のほうで通
り魔事件があったらしい。犯人は捕まり、被害者も一命をとりとめたとか。
俺はテレビ画面の時刻表示を見、ソファーから立ち上がる。

「あれ?帰っちゃうのか?」
「服取ってくる。今日はこっちに泊まる。ニールは向こうに泊まらせる」
「ん、わかった」

お玉と菜箸を持ってライルはコンロの前に戻り料理を続けた。自分の家に戻ってもやはり美味しそ
うなスープの匂いがして、双子というのはやはり思考が通じ合っているのかと思う。
適当に下着とTシャツ、ジャージを抱え、ケータイの充電器を左手に持ち部屋を出た。キッチンか
らニールが顔を出した気配がする。

「向こうに泊まるからアンタはこっちに泊まってけ」

廊下の奥にいるニールに聞こえるようにそう言うと「ありがとな、ハレルヤ」と、落ち着いた声で
ニールが応えた。ヒラヒラと右手を振って玄関を閉じる。

――一応の仲直りは済んだみたいだな…。

再びライルの家に上がり、また料理が完成するまでリビングのテレビを眺めている。手伝う、とい
う選択肢は今日はない。

「できたぞハレルヤ!」

キッチンからダイニングテーブルに並べられた料理は和食が主だった。汁物はリクエスト通りじゃ
がいもの味噌汁。
食事の途中、隣の家の玄関がけたたましく開く音がした。

「アレルヤかな?」
「たぶんな」
「仲直りできたかな?」
「今頃ニールを押し倒してキスしまくってんじゃねェのか」
「うわぁ破廉恥!」

そう言って笑うライルの表情は本当に嬉しそうだ。白飯を頬張る口の端についた飯つぶを取ってや
りながら―――こういうところが全然年上らしくない―――俺だってすぐに目の前のライルを押し
倒してキスしてしまいたいのに、雰囲気も、何より相手にその気が全くないのが無性に悔しい。





たった一人の兄弟の幸せを願うことがライルの幸せ。

それは、自らが身代わりになって死ぬことすら恐れぬほど。



そんなお前を無性に抱きしめたくて。

お前を愛して、お前を幸せにしてやりたくて…。

いつになればこの想いを告げられるだろう。
アレルヤがいなくなって、途端に女々しくなった自分が嫌いだ…。





食事が済み、食べ終えた食器を洗いながらライルが小さくくしゃみを繰り返す。

「風邪か?」
「んー?たぶん平気だ」

食器を洗い終え、己の額に手を当てて答えるライル。

「雨に濡れたからな。先に風呂入っていいか?」
「熱が出る前に暖まってこい」

俺がシッシッと手を払って急かすとライルは「んじゃお先〜」と言って下着を取りに一旦部屋に戻
った。俺はリビングのソファーに寝転び、ケータイのゲームを起動させて待つことにする。
すると部屋から出てきたライルが脱衣所の前に立ってこちらに視線を送ってきているのに気づいた。
上半身を起こしてライルを振り返る。

「なんだよ?さっさと入って来い」
「――…な、ハレルヤ‥‥」

穏やかな表情。奴が年上らしく見える顔。
そして、そういう雰囲気の場所なら行為を誘っているような微笑み。





「‥‥一緒に風呂入るか?」





カタンッ、とケータイが手の中から滑り落ちた。パニックになって開いた口が塞がらない。

「なっ、…ら、ライル‥‥!?」

どういう意味だ?誘われたのか?何を?どこまで?むしろ夢?ソファーに座った瞬間爆睡したか?
待ってるぞ?どうするんだ?俺はどうすればいい?どうするべきだアレルヤ!?
生まれて初めて己の半身に判断を乞うたが生憎二年半ほど前に個々の肉体に分かれてしまったので
答えは返ってこない。
ライルは腕に着替えを抱えて反応を待っている。
意を決して、ソファーから立ち上がった。

「ライル、お前‥‥「あはっ、やっぱり真面目な顔もたねー!」

「――…‥‥は?」

また頭が真っ白になった。
にへら、と笑ったライルが続けて言う。

「ハレルヤにまだ嘘ついてなかったから言ってみたけど恥ずかしくて真顔がもたなかったわ!ごめ
 んな〜変な嘘ついてー」

すぐ出るから〜、と言ってライルが脱衣所に消えたのを確認し、ソファーにうつ伏せに倒れて呻い
た。

「エイプリルフールなんてなくなっちまえ‥‥」

嘘をついても許される日なのだから許さなくてはならない。エイプリルフールでなくとも、今の嘘
を本気にしたとは言いづらいのだが…まぁ、そんなことはしょっちゅうだ。
しかしそれにしてもライルのあの顔は反則だ。堪え性のない男―――アレルヤとか―――に見せた
なら絶対に襲われるに決まってる。
無自覚で、無意識で、他人が他人に向ける感情には敏感で、他人が自分に向ける感情には恐ろしく
鈍感。

「――…キスしてー」

暢気な鼻唄が風呂場から届き、俺は益々落ち込んだ。クッションに頭を乗せ、ふて寝と決め込む。


数分と経たぬ内に意識は夢に落ちた。







風呂から出るとハレルヤがソファーで寝ていた。風呂上がりはすぐに眼帯をしたくなかったのでよ
かった。
様子を窺い、眼帯をつけようとしていた手を止める。ソファーで寝てしまったハレルヤの寝顔が可
愛かったのだ。滅多にないことなので、近づいて腰を屈め、よーく見つめる。
まるで家族みたいな…我が侭な弟のような存在。ニールと同じくらい、アレルヤもハレルヤも大事
だ。

「好きだよ、ハレルヤ」

チュッ、とほっぺにキスをした。
この悪戯に可愛い新しい弟が目覚める前にと眼帯をつける。

さて、と…

「起きろハレルヤ。風呂出たぞ!」




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ハレルヤ貧乏くじ(苦笑)ライルの無自覚の魔性は厄介ですね。よくハレルヤは理性が保ちますよ。
この時点ではまだハレルヤはライルに告ってないんです。ライルもアホの子っぽいことばっかりし
てますけど、実際は『君を守る為の放置プレイ』で見せたような自己犠牲型の賢い子なんですよ。

最後にアレロクとハレライのエピローグです。

2008/04/01

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