あり得ないはずだった仮想 朝一番にモレノを訪ねたゲイリーとナナシ。 「伝えておかなければならないことがある」そう言われて、ナナシは訝しげながら椅子に座った。 みるみるうちにナナシの顔色が変わっていく。 モレノはカルテを見せ、一つ一つ処置した内容を説明していった。ナナシは何も言わず、カルテを見つ めている。しかし彼の横顔に血の色は僅かもない。 ゲイリーは特別に医務室に残ることを許された。ナナシがパニックに陥った時の為だ。 けれどナナシは白い顔をしていながらもなんとか自棄は起こさず自我を保っている。 「―――理解はできたか?」 モレノが尋ねた。 「―――…ああ」 落ち着いた声のナナシが答える。 「では診察に入らせてくれ。服を着替えて、まずはレントゲンを撮りたい」 壁際のベッドを示し、その周りのカーテンを閉めていった。ベッドの上にはワンピースのような患者の 為の服が置いてある。 ナナシは頷いてカーテンの中に入った。 「私は機械の準備をしておく。着替えたら隣の部屋に来てくれ。―――ゲイリー、ナナシを頼んだ」 ゲイリーは軽く頷く。カーテンの脇に立って、モレノが部屋から出て行くのを眺めた。 カーテンの内から衣擦れの音がする。そうしてその中で消えてしまいそうなナナシの声が聞こえた。 「――…ゲイリー‥‥」 ゲイリーは努めて明るい調子で、けれど無神経な明るさではなく優しく接するような声音を作る。 「ん?俺はここに居るぜ」 シュルリ…。服を脱ぐ手が止まった。 「ナナシ…?」 「――…ゲイリー‥‥。俺は…男だ‥‥」 「‥‥うん、知ってるぜ」 「男に抱かれたり、ニールを抱いたり、男を相手にしてきたけど、俺は男だ‥‥」 「‥‥うん…」 「俺は…っ、だけど…――!」 嗚咽を堪えるようにナナシの声は途絶える。 カーテンを開けて抱きしめたい衝動に駆られたが、恐らく今のナナシの姿は一糸纏わぬ姿。普段ならま だしも、あのような話を聞かされた後、裸体を見られることは苦痛に違いない。 ゲイリーはじっとナナシの言葉を待った。 「――…ここに…子宮があるのか‥‥」 ぽつりとナナシが呟く。きっと下腹部を押さえてうつ向いているのだろう。少し声がくぐもって聞こえ た。 シュル、と最後の衣擦れの音がする。それからカーテンが開き、背を向けていたゲイリーが振り向く前 にナナシの額がゲイリーの背中に押しつけられた。 シャツの裾を掴んだ手が震えている。ゲイリーはその手をそっと引き寄せた。腹の前で優しく両手で包 み込む。 「ナナシ」 シャツの袖に覆われていない細い手首はいつもより白く見えた。片方の手にキスを落とす。 「愛してる」 ナナシの手がびくりと震えた。けれど躊躇う素振りを見せながらゲイリーの手をぎゅっと握ってみせる。 「ゲイリー‥‥」 ナナシの腕にゲイリーを抱きしめるように力が込められた。 「…飯が食べたい‥‥」 へ?と声を出すのは辛うじて堪える。 確かにナナシは天然ボケの素質はあるが、さすがにこの場面で空腹を訴えるとは思わなかった。 ゲイリーは高速でどう返答しようか考えを巡らせる。 しかしそういうことではないらしかった。 「お前の作った飯が食べたい…。診察が終わって、そうしたら、一緒に‥‥。だから、それまで此処に は…――」 「あぁ…。あぁ、わかった。腕を奮って飯用意しとくよ。あったかくて精のつく、美味い飯な」 ゲイリーの答えを聞いて、ナナシは安心したように腕の力を緩める。 ほどかれた手を離してゲイリーは一歩前に出た。ナナシを振り返る。薄水色の患者用の服を身につけ、 弱った表情のナナシが立っていた。 こうして見ると余計に華奢で脆く見える。 ナナシは向かい合ったゲイリーの顔を見上げ、逡巡し、薄く開いた唇をつぐんで顔を逸らした。 ゲイリーは微笑を浮かべる。ナナシの肩に手を置くと、そっと唇を重ね合わせた。 「――…それじゃ、俺、食堂で待ってるから」 ナナシは小さく頷く。 ゲイリーは隣の部屋に消えていくナナシを見送り、医務室を後にした。 16:00――。 ゲイリーは完全に冷えきった昼食をサランラップで包み、新しく夕食を作り始める。 00:00――。 ライルに呼ばれたゲイリーが彼の部屋に行くと何も身につけていないままのナナシがベッドで眠ってい た。 「様子がおかしかったから俺は挿れてない」 ゲイリーはベッドに近づき、疲労に満ちたナナシの頬を撫でる。 「明日から一週間、取引を全部任された。何かあんのか?」 ゲイリーは何も言わず、ナナシの躯をシーツにくるんで抱き上げた。 「おい」 ライルはゲイリーを呼び止る。ゲイリーはライルを見ずに答えた。 「なんでもない。まだ話せない。ただ、ライル坊…」 「うん?」 「お前もナナシのこと、好きだよな…?」 「当たり前のことを訊くな」 ライルは即答する。 「ならいいんだ」そう言ってゲイリーは扉に手を掛けた。 「ゲイリー」 今度は僅かに振り返る。ライルはベッドに散らばった小袋を拾いながら言った。 「ヤってる最中、大分薬もやってたから、新しい薬、用意しといてやれよ」 「――…わかった。悪かったな」 ゲイリーはライルの部屋を去る。 ナナシの部屋に移動し、服を着せ、再びベッドに寝かせると、自分は静かに部屋の扉を閉めた。 後に残ったのは小さな啜り泣きの声だった。 --------------------------------------------------------------------------------------------- あああナナシさんがヒロインに完璧に転向してしまったぁぁぁ!!!!(爆 いや、実際はまだだけど…。 なんかナナシさん、ゲイリーに会ってからすごく弱くなっちゃったなぁ…。 もうちょっと強いナナシさんがいいかな、と思ったり。 2008/07/01 |