絶対あり得ない仮想



――ゲイリーは時々思う。

ナナシが髪を下ろした姿はひどく美しい。
まるで女のようだと。ゲイリーは時々思う。

「…ァッ、…はぅんっ、んっ、ァアッ…!!」

こうしてギリギリのところで理性を保ちながら喘ぎ声を漏らしている姿を、重なり合った躯の上から見
下ろしている時も、頭の中では熱に浮かされながらそんなことを考えてしまう。
華奢な躯。白い肌。艶のある髪。整った顔立ち。繊細な指先。端正な唇。長い睫毛。
声は低い。身体の前面には男性器もある。女性的な膨らみはどこにもない。

「っ、ゲイリー…っ!!」

細い腕が伸び、ゲイリーはナナシの唇を貪りながら躯を倒す。
ナナシの腕がゲイリーの背にまわされ、爪を立てながらきつく抱きしめた。深く強く穿てばその分背中
に疾る痛みも酷くなる。けれどゲイリーは律動を止めなかった。

「ナナシっ、いいかっ!!」

「ァッ、早く、しろ…ッ!!」



そうして二人同時に果て、後始末をし、二人で一緒に眠りにつく時も、ゲイリーはナナシの寝顔を見つ
めて同じことを思う。
けれどそれはあり得ないこと。
所詮は妄想。ナナシはれっきとした男性で、常時は行為中のような乱れた姿など欠片も見せない。
すべてはゲイリーの妄想であり、「女みたい」などと言えば絶対零度の視線と共に鉄拳が飛んでくるこ
とは間違いなかった。



だからゲイリーは静かにナナシの額にキスを落とし、自らも眠りにつく。
線の細い躯を腕の中に抱きしめながら…。



  ◇◆◇



おにぎりを皿に乗せ、イアンはモレノの部屋の前に来ていた。

「おーいジョイスー!もう三時過ぎだぞー。昼飯持ってきたから少し休めー」

モレノは午前中からカルテの整理をするから誰も入るなと部屋に一人で籠っている。
昼食の時間が過ぎても食堂に現れなかったので、見かねたイアンがこうしておにぎりを持ってきてやっ
たという訳だ。

「ジョイスー?入るぞー」

イアンはゆっくりと部屋の扉を開く。隙間から部屋の中を覗くと、部屋の奥の収納から書類の山が雪崩
になって崩れているのが見えた。

「うわ、なんじゃこりゃあ。ひでぇなジョイ…――ってジョイスーっ!?」

イアンはおにぎりを放り出して書類の山に駆け寄った。
書類の山の下敷きになりながら、一枚一枚カルテを手に取り、目を通しているモレノがいた。

「あぁ、イアン。どうした」

「どうしたもこうしたもないだろ!!なんじゃこりゃぁ!!」

「棚を開けたら昔のカルテが落ちてきて下敷きになって動けなくなったからそのまま整理を続けている」

「下敷きになって動けなくなったなら助けを呼べーっ!!」

「いずれお前が来ると思って」

「っ!!」

淡々と、床に寝転んだままイアンを見上げて言うモレノに、イアンは顔を紅くする。

「意外に遅かったな」

「ひ、人を当てにするのが悪ぃんだっ!!」

バサバサと書類の山を崩してモレノを引っ張り出すイアン。十五年経ってもモレノとの身長差はさほど
変わらないイアンは苦労しながらなんとかモレノの救出に成功した。

「助かった。礼を言おう」

起き上がりざまイアンの頬にキスをする。

「キスはいらんっ!!」

真っ赤になって飛び退くイアンと、何事もなかったように煙草に火をつけるモレノ。

「頬に軽くしただけだろう。十五年前ならもっと濃厚なものをしていた」

「っ、黙れ馬鹿ジョイス!!」

ポカ!とモレノの頭を一発叩いた。
モレノはまったく動じず、書類整理を再開する。
深呼吸をして落ち着きを取り戻したイアンは床に落としたサランラップに包んだおにぎりを拾いに腰を
屈めた。
するとその視線の先、机と床の間に一つのカルテが滑り込んでいるのを見つける。

「ジョイス、机の下に一枚挟まってるぜ」

そう言いながらイアンは手を伸ばしてカルテを手に取った。

「ああ、貸してくれ」

カルテの中身を見ないようにモレノに渡す。見ないようにはしていたが名前の欄程度は見えてしまった。
それは知った名前だった。

「ナナシのカルテか…。悪い、名前だけ見えた」

イアンは素直に謝罪する。しかしモレノは特に気にせず、軽く手を振ってカルテに目を通していた。
唐突にその目が一点を見据えて止まる。

「は‥‥‥?」

「どうした?」

モレノにしては珍しく、間の抜けた声を出したのでイアンは反射的に尋ねた。けれどもモレノはそれき
り黙って食い入るようにカルテを読み始めてしまい、イアンはもう一度尋ねるタイミングを逃してしま
う。
ちょうどその時、コンコン、と部屋の扉がノックされた。

「ほいほい、と…――よぉ、ゲイリーか」

反応がないモレノに代わってイアンが返事をする。扉を開けるとそこには左手を押さえたゲイリーが立
っていた。

「皿洗いしてたら手が滑っちまって…。なかなか血が止まんねぇからドクターに手当てしてもらおうと
 思ってたんだが…」

部屋の中を覗き、真剣な表情のモレノを見つけるとゲイリーは途中で言葉を切る。
イアンもその視線に追って振り返り、

「おいジョイス!患者だぞ!医者が患者ほっぽり出していいのか!?」

そう声を掛けるが反応はなかった。イアンは深く溜め息を吐くとゲイリーを部屋の中に促す。

「悪ぃなヤブ医者で。俺が手当てしてやるから、まぁ中に入れ」

苦笑して礼を述べ、ゲイリーはイアンに言われるまま椅子に腰を下ろした。
救急セットを持ってきてゲイリーの手当てを始めるイアン。
すると唐突に、今まで黙ってカルテを読んでいたモレノがゲイリーを呼んだ。

「ん?なんだドクター…って、いててて!!おやっさんそれ染みる!!」

「男なら我慢しろ!」

「―――。ゲイリー、いいか」

「あ、はいはい…」

涙目になったゲイリーは再度モレノの方を向く。
モレノが口を開いた。

「お前、ナナシと何回性交をした」

「へ?“成功”?」

「“success”じゃない。“sex”―――セックスだ」

「!!?」

「ジョイス!お前なにいきなり…!!」

問われたゲイリーと他人の筈のイアンは顔を真っ赤に染める。しかし訊ねた当人は至って真剣で、且つ
深刻そうな声だった。サングラスで表情は見えないが、ゲイリーはその様子を感じ取って、少し考える。

「回数は‥‥たぶんそう何回もって感じはない…。ちゃんと数えたほうがいいか?」

「いや、ナナシを抱いた時の様子を聞かせてほしい」

「いきなりンなこと言われても…」

「些細なことでもいい。教えてくれ」

イアンにモレノの考えていることの推測はつかなかった。けれど今は口を挟むべきでないことはわかる。
モレノは今、医者として何かをゲイリーに訊ねている。

「見た目とか、挿れた時の感覚とか…」

「繋がってる時の感じとか言われても“気持ちいい”としか言えねぇよ。俺はナナシしか知らねぇんだ
 から。他人と違うとこなんてわからねぇ」

「じゃあ見た目は?おかしいと思うようなところは?」

「見た目ぇ?見た目ねぇ…。いっつも“女みたいだな”とは思うけど…」

「どんなところが?」

「うーん…。髪が長くて綺麗なところとか、肌が白くて滑らかとか、睫毛が長くて唇の形がよくて柔ら
 かくて…」

「でもそれってロックオンにも当てはまりそうなことじゃないか?」

イアンの言葉にゲイリーは首を捻り、やがて横に振った。

「いや、俺、ニール坊は抱いたことないからわかんないけど、なんとなくナナシのほうが華奢な気がす
 る。ニール坊も華奢なほうだけどそれとは違うというか‥‥」

モレノはその答えを聞いて暫く思案する。ゲイリーの答えと、これから問う問いの訊ね方について。

「難しい単語使わないでくれるなら、単刀直入に言ってくれ。ナナシについてなんだろ?」

ゲイリーは傷口にガーゼを固定し、改めてモレノに向き合った。イアンも救急セットの中身を片付け、
モレノを振り向く。
モレノは床から立ち上がり、カルテを持ったまま二人の方へ近づいた。

「ナナシは男だ」

「は?今更そんなこと言われなくても…――」

「同時に女でもある」

「「は?」」

モレノはカルテを、二人に見えるように机に置く。内容はドイツ語なのでゲイリーとイアンにわかるの
はこのカルテがナナシについて書いてあることと、書かれたのが二十年以上前であることくらいだ。
モレノは続けた。

「ナナシは男で、女だ。これは私の先生がナナシに施した手術の記録。この手術でナナシは男になった」

「い、意味がわからねぇ…」

「半陰陽というのを知っているか。女性でありながら男性器がついているような身体のことだ。ナナシ
 はその逆で男性の容姿でありながら女性の機能も持っている」

「は!?ちょ、ちょっと待った!ナナシに胸はなかったぞ!!」

「女性ホルモンの分泌を止めているんだ。しかし手術をしてから現在まで、おそらく一度も診察をして
 いない。ホルモン分泌を抑えているとはいえ、一度様子を見なければ、少女と成人した女性とは性器
 の活動の度合いが違う」

数学系の頭の二人は必死にモレノの話についていく。

「要は、今すぐナナシを診察する必要があるってことか?」

「要は、な」

「わかった。ナナシが帰ったら連れて来る」

「ゲイリー。それからイアン」

モレノは人差し指を立てて口元に寄せた。低く抑えた声が二人を緊張させる。

「このことは誰にも言ってはならない。異常がなければ、このままナナシの身体は男性の状態を保たせ
 る。下手に騒ぐ必要はない」

「もしも異常が見つかったら…?」

ゲイリーが訊ねる。モレノはサングラスを押さえ、カルテに目を向けた。

「手術をして、元の状態に――男性器と女性器を持つ身体に戻す…」

ゲイリーの脳裏には、暗い部屋の中でも浮かび上がるように白く映るナナシの裸体が浮かんでいた。
華奢で、脆くて、傷だらけのカラダ。

「――また、傷つけちまうんだ。あんな、弱いのに‥‥」

ゲイリーの背中には昨晩の引っ掻き傷がまだ微かに残っている。ゲイリーは手を伸ばして軽くその場所
に触れた。
イアンは何も言わずに黙って座っている。
モレノは白衣を翻してカルテの山に戻っていった。

「安心しろ。傷つけるのは私一人だ。私が先生からのカルテを受け継いだんだからな」

モレノは肩越しにゲイリーを振り向く。サングラスの奥の瞳がゲイリーを射抜いた気がした。

「だから、傷を癒すのはお前の仕事だ、ゲイリー。頼りにしているぞ」





深夜。日付が変わってから帰ってきたナナシ。
ゲイリーは疲れたナナシに何も言わず、ただ優しく抱き寄せて一つのベッドに二人で眠った。



――俺がいる。俺はずっと一緒にいる。愛してる。だからナナシ、ごめん。



また傷つけるよ。



でも俺、一生懸命、お前の傷治すから。



「明日の朝。ドクターのところ、行こう」



ナナシの寝顔にそう呼びかける。
ゲイリーはいつものようにナナシの額にキスを落として、自身も眠りについた。




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えっと、たくさん色々謝っておくと、テキトーな知識使ってすいません。あと、なんか微妙に生々しい
こと書いてすいません。もしも不快に感じた方がいらっしゃいましたらすいません。
この物語はフィクションです。

2008/07/01

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