重要記憶領域 ――なんとか逃げなくては‥‥。 独立AIで組織の情報を網羅している情報端末であるカラダは今、データ登録のない男たちの手によっ て運び去られていた。最終テストとしてエージェントのミッション中のサポートをしていたら、そのエ ージェントは襲われ、自分はこうして盗まれてしまった。 なんとか逃げなくては…、そう思って隙を窺っている。自分を制作してくれたイアン・ヴァスティか、 あるいはソレスタルビーイングの本部に緊急暗号通信を送りたいのだがジャミング発生装置を取り付け られてしまって思うように電波が操れなかった。 黒塗りの車が見えてきた。 まずい。このままアジトまで運ばれてしまっては逃げるチャンスがなくなってしまう。 そう思った時だ。 走っていく先に破れたフェンスがある。針金が出っ張り、穴が開いている。集積回路にめまぐるしく信 号が渡った。 フェンスの脇にさしかかるとシュルリと腕を伸ばす。出っ張った針金に捕まって、穴の向こうに飛び込 んだ。 「あっ!」 後ろで鞄から抜け出した自分の姿を見つけ、男たちが叫んでいた。自分はジャミングの排除作業を続け ながら脇目もふらず必死に逃げた。 ――もし次に捕まったら全消去(オールデリート)だ。 イアンには申し訳ないが詰め込まれたデータも機能もすべて破壊し尽くし、消去(デリート)するしかな い。 今まで勉強してきたことをすべて…。 集積回路の伝達速度がコンマ1秒遅くなった。機械の自分が記憶を失うことを拒んでいる。 にわかに信じられなかったがきっとそうなのだ。 ならば逃げ切ろう。ちょうどいい具合に廃墟が見えた。そこに隠れて追っ手をやり過ごそう。 だが計算より追っ手の追いつくのが早そうだ。このままではあの塀に飛び込んで数メートルで追いつか れてしまう。 赤外線カメラも駆使してその手前から隠れ場所を探すが、いい場所が見つからない。データの消去コー ドを回路の奥から引っ張り出す準備を始めた。 その時、 「うわっ!」 塀の向こうにいたらしい人物に思いきりぶつかった。敵かそうじゃないかは判別できない。データの中 に登録された人物ではないことは確かだ。けれどとりあえず助けを求めてみる。 「タスケテ!タスケテ!ハロ、ニゲテル!タスケテ!」 「うわ喋った!へ?お前、追われてんの?」 グローブに包まれた手に拾い上げられ、腕の中に抱かれた。 初めに硝煙と血の匂いを認識。背格好は細身で華奢、黒っぽいフード付きの上着を着て、髪は茶色、瞳 はエメラルドグリーン。年齢は二十歳頃。 そこまでデータを取り込んで、あとは外部カメラが追ってきた男たちの方へ向けられる。 「告死天使!ちょうどよかった、その丸いやつを渡してくれ」 “コクシテンシ”?変わった名前。コードネームだろうか。 ともあれ、助けを求めた相手はどうやら追っ手たちと顔見知りらしい。状況は不利であると結論を出さ ざるを得ない。 自分を抱えた青年は問うように自分を見下ろしてくる。 「お前、あの人たちのなのか?」 「チガウ!ハロ、テロリストチガウ!ギャク!」 「逆?」 「ハロ、テロリスト、ヤッツケル!ハロ、ソレスタルビーイング!」 「ソレスタルビーイング?」 青年の言葉に追っ手の男たちが答えた。 「うざってぇ奴らだよ。俺たち密売業者や過激派テロリストなんかをぶっ潰そうってセイギノミカタな 武装組織だ」 「そうそう。世界中のテロリストや密売業者をとっちめようなんて無謀なことしようとしてる馬鹿な奴 らだよ」 「けどなかなか目障りでな。そのAIに奴らのアジトや弱点が詰まってるって情報を入れたから、その ネタを他の同業者たちに売って、そのソレスタルビーイングって奴らを消してやろうってな…!」 青年は自分のLEDの部分を見つめて何事かを思案しているようだった。自分は少しの間、データの消 去コードを待機状態にする。 追っ手の男たちは塀を挟んで数メートル先で立ち止まり、青年に向けて手を伸ばした。 「そういや、告死天使のいる組織も一支部が何者かに襲撃されて潰れたって?あのナナシも殺されたっ て聞いたぜ。もしかしてソレスタルビーイングじゃねぇの?」 青年の腕が強ばる。唇が「違う」と呟いた。 「ほら、その丸っこいの渡せよ。それとも俺らと一緒に行くか?」 追っ手の男たちが言う。「今晩は優しくしてやるぜ?」と下卑た笑いも聞こえてきた。 自分はLEDを点滅させて最後の説得を試みる。 青年は穏やかな低音の声で自分に問いかけた。 「お前の名前、“ハロ”っていうのか?」 肯定の意を示すつもりで羽を動かした。青年は再度尋ねる。 「なぁハロ。俺みたいな汚れた人殺しでもソレスタルビーイングに入れるかな‥‥?」 今度は質問の答えが上手く見つからずとりあえずLEDを点滅させた。 青年は困ったように笑い、続いて右手を腰の後ろに伸ばす。 「わかんないか。…ま、いいや」 青年の右手には黒光りする銃が握られていた。追っ手の男たちの顔色が変わる。 「お、おい…告死天使…!?」 銃口は男たちの一人の眉間に照準を定めた。 「とりあえず助けてあげる、ハロ」 「ま、待て!なんでだ!?そいつは俺たちの敵…!!」 慌てふためき、照準を合わされていた男は後ずさりしてつまずき、尻餅をつく。 青年は今まで穏やかに微笑んでいた顔を一変させ、冷たい瞳で男たちを見下ろした。その瞳はまるで冬 の湖のようだった。 「告死天使…!!」 「いいこと教えてやる」 「!?」 カチリ、と銃のセーフティの外される音がする。男の表情が固まった。 「組織の人たちやナナシさんを殺したの、俺なんだよ…」 「っっ!!」 そのとき、外部カメラのレンズに映った青年の顔はとても冷ややかで、寂しげな顔をしていた。 「アンタたちの死、俺が告げてあげる」 ――死になよ。 青年は引き金を引いた。曇天の空に銃声が鳴り響いた。 男たちのうち何人かが足をもつれさせながら逃げていく。 青年は目を細め、引き金を引こうと指に力を込めた。その時僅かな気流の変化をセンサーが捉える。 「カゼガクル。サンジノホウコウ、トップウクル!」 青年はちらりと視線を動かし、口元に笑みを刻んだ。 「サンキュ」 銃口が右寄りに直される。そして青年は呟いた。 「狙い撃つぜ…」 銃弾は突風に煽られながらも正確に男の頭に吸い込まれていき、自分を追ってきた男は全員、青年の銃 撃によって息絶えた。 「もう大丈夫だよ、ハロ」 感謝の意を込めて羽を動かし、LEDを点滅させる。青年は先ほどと同じように笑ってみせた。それか らジャミング装置を外してくれ、すぐに自分はソレスタルビーイングに緊急暗号通信を送る。 青年は暫く自分を眺めていたが、やがて本部からの連絡がきた。 「オムカエ!オムカエ!ハロ、タスカル!」 そう伝えると、青年は近くの壊れかけた噴水に自分を抱いていき、その縁に自分を置いた。 「それじゃハロ、元気でな。俺がさっき言ったことは忘れていいから」 「ドコイク?ドコイク?」 青年は泣きそうな笑顔を浮かべる。 「俺は人殺しだもん。正義の味方の組織になんて入れないよ。きっと俺のもといた組織の人が俺を殺し にくるから、その人たちを殺して、ボスを殺して―――たぶん、その辺りで死ぬかな」 ははは、と力無く笑うと背中を向けて歩き出してしまった。自分は音声を最大音量にして呼びかける。 「ナマエ!ナマエ!ナカマ!ナカマ!」 青年は振り返り、「ニー…」と言って一度口をつぐんだ。それから再度笑顔で唇を開く。 「ロックオンだ。ロックオン・ストラトス」 ロックオン・ストラトス―――すぐさま記憶領域に書き込み、消去不可のキーを設定した。 「ロックオン!ロックオン!マタナ!マタナ!」 ロックオンは笑っている。「お前さ!」と言った。 「ハロ、お前さ!そんなシルバーメタリックのボディより、もっとカラフルなほうが似合うと思うぞ!」 「カラフル?カラフル?レインボー!」 「馬っ鹿、そうじゃねぇよ!そうだなたとえば…オレンジとか!」 そう言われて集積回路は即座にオレンジにカラーリングされたボディのイメージを構築する。重々しい 感じがなくなっていいかもしれない。 気に入ったことを伝えようとロックオンを探すが、彼の姿はもう遠くに離れてしまっていた。 「ロックオン!ロックオン!」 彼はもう振り返ってくれない。それでも音声を止めなかった。 「ロックオン!ハロ!ナカマ!アイボウ!マタナ!マタナ!」 ロックオンの姿が見えなくなって十分後、イアンとソレスタルビーイングのエージェントたちが迎えに 来てくれた。 オレンジ色のボディに生まれ変わり、拘束されたロックオンの胸に飛び込むのは、それから数日後の記 憶領域に記されている―――。 --------------------------------------------------------------------------------------------- FSではCBのコードネームは本編の機体名なので“ロックオン”という偽名がどこからきたのかな、と考 えて、そしたらちょうどいいことに8月6日のハロックの日があったのでこういうことになりました。 ニールは二十歳ですが、ナナシさんの所にいた間は甘やかされて育ったのでまだちょっと幼い感じの口 調です。CBに入ってからニールは兄貴口調になり、ロックオンになっていくんですね(意味不? 2008/08/10 |