fellow shadow〜癒えない傷痕-5 いつも一人だったから、油断していたとしか言い様がない。 無数の刃は一瞬にしてナナシの全身を切り裂き、ご丁寧に致命傷となり得る心臓や脳は避けられた。 薬で痛みは消せない。だが、痛覚が麻痺し始めて、むしろ傷を負っていない場所まで痛みが及ぶ。 「へっ、逃げられてやんの!」 倒れた自分の足下のほうから、若い男の声がする。それからまた別の声。 「アイツら何やってんだ。せっかく俺がお膳立てしてやったってのになに仕留め損なってんだよ」 俺は目だけを動かして、俺の腹を踏みつけている男を見上げた。 その男の名はアリー・アル・サーシェス。深い因縁の鎖で繋がれた関係。殺すか殺されるかの関わり。 「しゃァねぇ。ナナシ、一息に殺してやろうかと思ったが少しの間、俺ンとこに居てもらうぜ」 腹から足をどけられ、長い髪を掴まれて、息がかかるほど近い位置で意識が薄れかけている瞳を覗き 込まれた。 「蘇生して、腹の傷が塞がったら、たっぷり遊んでやるからな…?」 「ヨハン!ミハエル!」と、アリーの呼ぶ声が霞がかった頭に響く。遠く、石畳の道を歩いてやって 来る黒髪、褐色の肌の青年は短く「はい」と返事をした。足下の方に立っていた青い髪の男も、ダル そうに「へーい」と応える。 「ナナシを車に運んでおけ。ネーナは俺と来な。ソレスタルビーイングの名前を語って屋敷の連中、 皆殺しだ」 「了解ねッ!!」 褐色の肌をした青年と一緒に歩いてきたピンクのような赤い髪の少女は、無邪気にピースサインを出 しながらアリーの傍に駆け寄った。すると青い髪の青年が駄々をこねるように騒ぎ出す。 「えぇー!?俺も殺りてぇよ!!」 「ざけんな。人の獲物をズタズタにしやがって。こちとら不完全燃焼だ」 「アハハッ!ミハ兄はおしおきなのねっ?」 ネーナと言うらしい赤髪の少女は手を叩いて笑った。口を尖らせたミハエルはヨハンに宥められ、渋 々従う。 「ライル、テメェは車取ってこい。事故るなよ」 最後に現れたのは、色白で茶色の柔らかいくせっ毛の青年。 「わかったよ」 俺は自分の目を疑う。部下にさせた調査では、10年前にアイルランドで起きたテロでディランディ性 の生存者は“ゼロ”の筈だった。 しかし、今目の前に現れた彼は…――。 「驚いたか?アイツはお前の“ニール坊や”の弟だよ。双子のな」 アリーは不敵に笑う。同時に俺は暗転する視界に戸惑った。意思に反して身体が限界を訴える。 けれど、声は聞こえた。だから何故彼が此処にいるのか、ニールに彼を会わせてやれなかったのか、 混濁する意識に対して明確な答えを示すことになった。 「ちょ、アリー。俺が双子だって知ってたなら初めから教えといてくれよ。俺はガキの頃の記憶ない んだから」 「なんだ?再会の抱擁でもかわしたかったか?」 アリーの言葉に、彼は鼻で笑ったようだ。 「冗談だろ。アンタの話じゃ、俺はあの男のせいで人生狂わされたんだ」 ジャキ、とセーフティを外す音がする。彼もまたスナイパーなのだろうか。 「むしろ、狙い撃ちたいところだぜ…!」 銃声が響いた。遠くで人の倒れる音。まだ屋敷の警備は残っていたのか。 「あーっ!いるじゃんまだ!!雑魚がわんさか!!」 確かミハエルと言った男の声。それから、身体の上半身を持ち上げられる感覚。 すぐ近くでヨハンと呼ばれた男の声がする。 「ミハエル、遊びたければ運ぶのを手伝え。お前のやんちゃのせいで彼の身体は非常に崩れやすくな っている。ライル、早く車をまわせ」 「はいはい」 「じゃぁねミハ兄!おっ先にー!!」 「待てよネーナ!兄貴、とっとと運ぼうぜ!!」 その瞬間、刃に貫かれた時以上の激痛が疾った。痛みに耐えきれず、悲鳴をあげる間もなく、俺は意 識を手離し、気絶した。 「壊すなよ。そいつは最っ高の玩具なんだからな」 ◇◆◇ ソレスタルビーイング本部。俺たちは帰還した。大きな損害と、わだかまりを持って。 「みんな…!Dr.モレノ、刹那とアレルヤの治療をお願いします。ティエリアとロックオンは事態の説 明をお願いできる?」 一番ひどい怪我を負っていたのはアレルヤだった。あの男を一人で相手し、俺を庇って戦い続けてい たんだから当然だろう。それから刹那は、ティエリアや俺と違って敵のど真ん中に突っ込んで接近戦 を行うせいで、細かい傷が多かった。 「ロックオン‥‥」 アレルヤが俺を呼ぶ。 「大丈夫だ。俺は大丈夫。いいから、お前は治療を受けてこい。じゃないと、俺はそっちのほうが心 配だ」 「嘘つかないで…」 「なにが嘘…――」 みんなの目があるっていうのに、アレルヤは俺に歩み寄ると躊躇いもなく俺を抱き締めた。 「待っててください。絶対に一人で行かないで。手当てさえ済んだら僕も行きますから」 血の匂いがする。アレルヤの血だ。 こんな怪我をしながら、アレルヤは俺のことをお見通し。 「ん…わかったよ」 俺は弾薬を補充したらすぐに屋敷を飛び出して、ナナシさんを助けに行こうと思ってた。 「早く治療してもらってきな。後で飲み物でも持って行ってやるから」 「うん‥‥待ってるね」 アレルヤは俺の言葉に妥協して腕を離す。そしてラッセとリヒティの肩を借りて、モレノさんの後に ついて医務室へ歩いて行った。 俺はティエリアと残り、スメラギにミッション中に起きたことの報告を行う。 「アンノウンの襲撃を受けたのよね。刹那によるとアンノウンはアリー・アル・サーシェスという傭 兵らしいけど…」 ミス・スメラギは俺たちを見回しながら問うた。ため息をついて視線を逸らしたのはティエリアだ。 「俺に奴らの情報を求めるのは役違いだ。俺が見た限り、奴らに関して一番多くの情報を持っている のは彼だと思うが…?」 ティエリアの視線は俺に動く。今度は俺が目を伏せた。 「――…だろうな。俺はあそこにいた二人の人物と関わりを持っている…」 「説明…してくれるかしら…?」 ティエリアの報告を聞いて、俺が自分の過去に関わることに対してパニックになりやすいことを理解 している彼女は、窺うように尋ねた。 俺は苦笑いを浮かべ、肩を竦める。 「俺が答えなきゃ、ソレスタルビーイングは八方塞がりだろうが。サーシェスはともかく、ライルに 関しての情報はすべて消去されてるだろうからな」 笑みを顔に貼りつけたまま、感情を凍り付かせた。じゃないと俺は、アレルヤもナナシさんもいない 状態で冷静さを保てない。 「そうでなければ、俺が見つけられない筈がない」 俺の言葉の中に何を受け取ったのか、刹那の沈黙が訪れる。俺は一呼吸置いて話し始めた。 「まずサーシェスについてだが、俺が会ったことがあるのは一度しかない。その時は薬の売人をして いた。ただ、本職は別なようで売人は代理のように見えたな」 どのようにして会ったのか、その経緯は話さなかった。アレルヤがいないにしても、薬を打たれなが らレイプまがいのセックスをされたとは言いづらい。 「ナナシさんに聞いた話だと、どこかの組織に雇われた人間らしくて。依頼によっては取引の代理も するし、敵対組織の壊滅や引き込みもするらしい。仕事は一人でこなすことが多く、つまりはそれ だけの技量を持っているということだ」 「少なくとも、アレルヤやナナシさん以上の戦闘能力を…?」 スメラギの言葉に俺は静かに頷く。 「殺すことに躊躇いがないからな。その点では確実にアレルヤ達より強い」 ――…そしてきっと、ナナシさんが奴より劣る理由は、二人の間の過去が関係している。 俺がナナシさんを刺したことも、きっと…―― 「それから、ライルについてだが、アイツは俺の双子の兄弟‥‥」 「双子‥‥」 無意識だろうが、ミス・スメラギはそう呟きながら俺の全身を眺める。ガキの頃には慣れた反応だっ た。 「11年前のテロで死んだと思っていた。組織の情報網にも引っかからなかったんだ、当然だろ」 ――…それが、どうして‥‥ 「右目に怪我をしているようだった。たぶんテロで負った怪我だ。俺と同じように銃撃戦を得意とし ているらしい」 ――…どうして、俺に銃を向ける…。どうして銃を向け合わなくてはならない!! 「ライルは…俺のことを忘れてる。だから、俺が説得するなんてミッションプランは端から除外だぜ?」 スメラギやティエリアに向けた笑みが自嘲じみた笑みになった。 そうだよ…。事故のショックで忘れられるような脆い絆の兄弟なんて、作戦になんのメリットもない。 「あと、サーシェスとライルの他に二人…いや三人か。奴らに関しては何も知らねぇ」 そこで俺よりも冷静に状況を把握していただろうティエリアに報告の主導権を渡す。予想通り、彼は あの時得られる最大の情報を探っていた。 「男が二人、女が一人でした。貴方と同じくらいの歳で黒髪、褐色肌の男と、刹那くらいの年頃の赤 い髪の少女。あとはAAAにとどめを刺した青い髪の男、奴はアレルヤ・ハプティズムと同じくらいの 年頃でした」 ライルから視線を離せなかった俺よりも、明らかに多い情報量だ。俺がわかることと言えば…。 「――…確か、ネーナとヨハン、と呼び合っていた気がする。赤髪の子が黒髪に向かって『ヨハン兄』 って。兄妹なのか?」 「だとしたら青い髪の男もその可能性が高いわね。他に何か思い出せることはある?」 スメラギの言葉に、俺は軽く肩を竦めて応えた。申し訳ないが、あの時はそんな余裕はなかった。 「そう‥‥それなら、ロックオンはアレルヤの所へ行ってあげなさい。そのほうが安心するでしょう から」 「、いいのか?」 俺は驚いてスメラギを見る。彼女は仕方がないと笑って扉を示した。 「別れる前にあんなにイチャイチャされちゃ、早く解放したくもなるわ。ティエリアは残って、もう 少し詳しい話を聞かせて?」 「わかっています」 顔が熱くなるのを感じた。そういや、人目があるのも気にせずにアレルヤに抱きついたような気が…。 ティエリアじゃないが、なんという失態だ。 「じゃあ、その…悪いなティエリア」 「構いません。早く行ってください」 この埋め合わせはまた別の機会にさせてもらおう。そう思って、もう一度「悪いな」と言って俺は部 屋を後にした。 扉を出ると「ロックオン!ロックオン!」と合成された音声が俺に呼びかける。 どうやっておやっさんの研究室を抜け出してきたのか、扉の横でハロが待っていた。 「よぉ相棒。アレルヤにお茶を持って行くんだ。一緒に来るか?」 「オカシノジュンビ!オカシノジュンビ!」 「お菓子は…どうだろうな」 まさか食べれるわけもないだろうに、ハロはすごくはしゃいでいる。俺は苦笑してハロを抱き上げた。 一旦部屋に戻って、血の匂いのする上着だけは着替える。その時、部屋に置いていたプライベート用 のケータイが鳴った。電話だ。 その相手と一分ほど会話を交わし、通話を切る。 銃弾を補充して、俺はハロを連れて食堂ではなく給湯室へ向かった。 ソレスタルビーイングの屋敷はかなり広いので各階に最低一つずつ、お湯を沸かしてお茶を淹れられ るスペースが確保されている。その一つに入り、薬缶を火にかけた。茶葉は色々あったが、自分の好 みで選ぶ。 そういえば、俺に美味しいお茶の淹れ方を教えてくれたのは母さんと…―― 「ロックオン、ロックオン」 ふいにシンクの台の上に乗せていたハロが俺を呼んだ。 「ん…?」 いつの間にか足下から遠い位置を眺めていた俺は慌ててハロに視線を向ける。ハロは俺が向いたのを 確認して俺の胸に飛び込んできた。 「っと…!なんだ、どうしたハロ」 けれどハロは何も言わない。俺が首を傾げていると、薬缶から蒸気が吹き出してお湯が沸いたことを 知らせた。 「あっ、と…!!」 「ロックオン」 お湯が沸いてるっていうのに、俺はもう一度ハロを見る。 「ロックオン、イカナイデ。アレルヤ、マッテル。イカナイデ」 その声がひどく切なげに聞こえた。そうか、お前は俺の相棒だもんな。俺の考えてることわかるんだ な。 俺は茶葉を入れたポットに湯を注ぎ、蒸らしている間に置き忘れられていたメモ帳にペンを走らせる。 「ロックオン!ロックオ…――」 「ハロ、ごめんな」 俺は静かにハロの電源を落とした。 それからカップに香り立つ紅茶を注ぎ、それをお盆に乗せる。一緒に、いま書いたばかりの短い手紙 も。 ――アレルヤ、ハレルヤ、ごめん…。 やっぱり待てなかった。 部屋でかかってきた電話は、ライルからだった。 どこで調べたんだろう。本当に、一瞬頭が真っ白になった。 『ごめん、ニール。本当は覚えてたよ。今、アリーとは別の場所にいるんだ。会いたいよニール…』 泣きそうに告げるライルの声。俺は正直迷った。罠かもしれない。 『だけど、いつアリーに気づかれるかわからない。お前を危険な目に遭わせたくない。気をつけて来 て。万が一見つかっても逃げられるように銃も持って来て』 信じたい。いや、もう罠でもいい。殺されなければ、ナナシさんを救うチャンスになるかもしれない。 『わかった。場所は?‥‥うん、一人で行くよ』 自分勝手な決断で、怪我をしたアレルヤを連れては行けない。 自分勝手な決断で、ソレスタルビーイングに協力を願ってはいけない。 「大丈夫、ちゃんと帰ってくるから」 ――ナナシさんと、ライルと一緒に。 俺は沈黙したハロを撫でた。 電話中、ハロもその場にいたから内容を聞いていたかもしれない。それならそれでもいい。罠だった なら、逆に俺を助けに来たソレスタルビーイングが奴らを包囲するだけだ。 「――…ホント、俺ってダメなリーダー‥‥」 額に手を遣って笑った。 一つ多く淹れた紅茶に口をつける。うん、上出来。 夜が明けてもいい頃なのに、廊下の窓の外が未だ薄暗いのは今日が曇りだからなのだと、人知れず玄 関を出て気づいた。 傘は…いいか。どうしようもなくなったら途中で買えばいい。ライルは時間はあまりないと言ってい た。急がなければ。 ――ホント、俺ってばダメなリーダーで、ダメな相棒で‥‥ …ダメな恋人。 ◇◆◇ 医務室にロックオンではなく、スメラギさんが訪ねてきた瞬間、僕は嫌な予感がした。 僕は、僕が思っていたよりも重症で、すぐに輸血が必要なほど出血していたらしい。治療が始まって 少しの間は緊張が緩んで意識を失ったそうだ。 目が覚めて、身体中に包帯を巻かれながらそれを眺めている途中でスメラギさんが話を聞きたいと医 務室を訪ねてきた。 「あら、ロックオンは?部屋に戻ったの?」 戻るも何も此処には来ていない。 輸血の針は刺さっていたのに、サァッと血の気が引いた。 僕は蹴り倒すように椅子から立ち上がり、巻かれる途中だった包帯がほどけていくのも無視して医務 室を飛び出す。 「ロックオン!どこですか!?ロックオン!!」 とにかく叫びながら屋敷の中を走った。確か、お茶を淹れてくれると言っていた。 食堂を探して、各階の給湯室を探して、そして僕は見つける。 「ハロ!ロックオンは!?」 しかしオレンジ色の彼の相棒から返事はない。電源を切られてしまったのかもしれない。 その横に置かれていたのはお盆に乗せられ、紅茶の注がれたティーカップ。お盆から下ろされた一つ だけは量が少し減っている。 お盆にはティーカップの他に、小さなメモが残されていた。僕は瞬き一つできないまま、それを手に 取る。 けれど、中身を見るまでもない。どうせそこにあるのは謝罪の言葉なんだろう? 「ど、して…っ!!」 給湯室の入口に人の気配を感じる。きっと僕を追いかけてきたスメラギさんや刹那だ。 僕はがくりと床に膝をつく。 「――…かやろ…、あンの馬鹿野郎…ッ!!」 ハレルヤは怒ってる。僕は悲しい。悲しい、そして僕も怒ってる。 「――…“待ってる”って、言ったじゃないか…。待ってるって…言ったじゃないか!ロックオン!! ロックオンーーっ!!」 まただ… またこの声は 貴方に届かなくなってしまった -------------------------------------------------------------------------------------------- ニールが美味しいお茶の煎れ方を教わったのは、お母さんとナナシさんです。 ナナシさんはお世話役時代がありますから、いろんな女性の好みに合わせた紅茶の煎れ方をしていた と思います。それを、暇な時にニール坊やに、取引相手から美味しいお菓子もらったから、とかな理 由で美味しいお茶の煎れ方をレクチャーしたんでしょう。 2008/10/12 |