そこに鏡は存在しない



「アリー・アル・サーシェス」

随分と音沙汰がないと思っていた俺の雇い主は突然連絡を寄越したかと思うと、何も用件を告げず俺
を屋敷に呼び寄せた。
クーラーの効いた部屋で散々待ちぼうけさせられ、半日経った頃、悠々と雇い主の男は現れた。

「おっせぇんだよ。用があって呼び出したんならさっさと出てこいや」

「それはすまない。なにぶん私も自由にならない身なのでね」

「はッ!!嫌味かそいつァ…!!」

男は澄ました顔で笑っている。とことん癪に障る奴だ。

「ところでアリー。今日は君の誕生日なのだが、覚えているかね」

言われてみればそうだ。俺は思わず部屋の中にカレンダーを探して、そういや今年で何歳だっただろ
うか、などと考える。

「その様子だと覚えていなかったようだ」

「うっせぇな。ガキじゃあるめぇし、誕生日なんてわざわざ覚えてられっかよ」

本当に癪に障る。
男はくすくすと笑うと背後から一つの影を呼んだ。

「私からの誕生日プレゼントだよ。アリー・アル・サーシェス」

俺は前に歩み出てきた影を見て、正直驚く。そいつは目深に帽子をかぶっていたが、俺とよく似た顔
をして、違うところがあるとすれば表情が幾分幼く、身長も俺より低いところだ。

「あァ?まさか俺の弟とか言い出しゃしねぇよな?」

「ふふふ、まさか。彼は君のクローンだよ」

「クローン、ね…。いつの間に作りやがったんだ?人に断りもなく」

「断ったさ。君のDNAを少し頂いてもよろしいか、と…」

「――…女に誘わせたな?」

「君が美食家なのは充分に承知しているよ」

癪に障ると同時に食えない奴だ。
俺は雇い主から視線を動かし、俺と似た男の全身を見た。燃えるような赤毛と浅黄色の双眸は全く同
じで、俺より少し背が低いことと黒基調のスーツが似合わないほど覇気がないこと以外は瓜二つだっ
た。

「トリニティ三兄妹を製作した折りに、君の戦闘能力を生まれながらに持ったクローンを作ってみよ
 うということになってね。クローン故か成長が早く、恐らくは短命だが、君と同等の戦闘技術は有
 している筈だ」

俺の雇い主は自慢げにそう語る。俺は俺のクローンを見ながら、ただ「へぇ」と面白そうに声をあげ
た。

「で?コイツをどうしろって?」

「誕生日プレゼントだと言っただろう?好きにするといい」

俺のクローンは只じっと俺を見つめている。何を考えているのか。

「なぁ、こいつ自我ってもんがないのか?簡単に贈り物なんかにされやがって」

「俺は物じゃない!!」

唐突にクローンが叫んだ。へぇ、俺の声ってのはこんな声なのか。

「俺は誰も殺さない!アンタみたいな血みどろな人生はご免だ!!」

「クローンっつっても、性格までは似ないんだな」

「そのようだね」

雇い主は暢気にそう答えた。

「ちなみに彼も今日が誕生日だ」

俺はガリガリと頭を掻いて、腰のベルトから大振りのナイフを引き抜く。

「それじゃ殺し合いしようぜ。三分勝負だ。三分間、俺に殺されなかったらテメェはどこへなりとも
 消えればいい。喜べ、今日誕生日を迎える俺様からの誕生日プレゼントだ」

一本のナイフをクローンの男に投げ渡し、自分も愛用のナイフを取り出した。
男は足元に落ちたナイフを見つめ、やがて手に取る。

「よぉし、そうこなきゃな。よォ、時間を見ててくれよ。俺を半日待たせるような正確な時計をお持
 ちなんだろ?」

「嫌味かね、それは」

――お返しだっつうの。

「まぁいい。私も楽しませてもらうとしよう」

そう言って雇い主は壁際のソファーに腰掛け、腕時計を見た。

「いつでも始めるといい。三分を過ぎたら声を掛けよう」

「だとよ」

クローンの男はナイフを持ったまま動かない。

「そっちから来ないなら俺から行くぜ?いいのかよ」

反応はない。ただ帽子の鍔の下から俺を見ていた。

「なら、行くぜ!!」

ダン!と床を踏み鳴らして一気に間合いを詰める。男は火花を散らしながら俺の攻撃を全てナイフで
受けていった。

「っらよ!!」

ギィンッ!!金属の擦れ合う音がして、俺はナイフの刃を滑らせながら柄を握ったまま男の顔をめがけ
て殴りかかる。
入る、そう思った。けれど俺の拳は男のもう片方の手で掴まれ、払われる。

「ヒュゥッ!!」

俺は思わず口笛を鳴らした。そのまま体を捻り、踵で男のナイフを蹴り飛ばす。

「!!」

男は一瞬だけ怯んだが、その後すぐに俺の突き出したナイフを避けた。確かに俺の戦闘能力は引き継
がれているらしい。
紙一重で俺の攻撃を避け続ける。

「ちょこまかと…!!」

「そうしてるのはアンタだ!!」

そうだ、コイツは俺のクローン。経験が既に刻み込まれている。

――厄介だな…けど、

「負ける気はしねぇなっ!!」

俺は攻撃のスピードを上げた。男は反撃する道具のないまま、遂に壁際に追い詰める。

「あと何秒だ?」

「あまり見ていなかったが、まぁだいたい三十秒というところだろうか」

――見てろよ…。マジで時計甲斐のない時計をしてやがる。お前腕時計なんか外しちまえ。今すぐ外
せ。

そんなことを考えているうちにクローンの男は横に転がって逃げ、壁に掛かっていた日本刀を手にし
た。

「延長戦かね…?」

雇い主はさぞかし楽しそうに尋ねる。俺は笑みを携えながら大きく頷いた。

「おうよ!」

「時間は?」

「好きにしろぃ!!」

男の目の色が変わった。
初めに見せていたのは恐怖と戸惑いだったが、今では俺を殺る決意がビンビン伝わってくる。

「せぁっ!!」

まるで剣舞でも舞うかのように斬りつけてくる男。俺はリズムを合わせて攻撃を受け続け、

「ちょいさぁッ!!」

隙を見つけ、俺は男の腹を目がけて蹴りを放った。男はソファーの向こうに吹っ飛び、転がる。しか
し足に伝わる衝撃はなかった。

――避けやがったな‥‥!

「さすが俺だな!俺自身を倒すとなると一筋縄じゃいかねぇみてぇだわ」

むくりと起き上がる男は息を切らしながら立ち、日本刀を片手で構えた。

「お前さんよォ、人を殺そうって気はねぇんだよな?」

「ない」

男はきっぱりと答える。俺は続けて訊ねた。

「俺の人生に手出ししねぇって誓えるかよ」

「手出しするどころか関わりたくもない」

「じゃあ勝手にどっか行ってどっかでおっ死ねっつったらどうするよ?」

「お前と二度と関わらないような所で死ぬまで一人で畑でも耕しながら暮らす」

――つまんねぇ…。

男の答えを聞き、俺はきれいさっぱり殺る気が失せてしまった。
懐から煙草を取り出し、ライターで火をつける。

「なら勝手にどっか行けや。俺もう飽きたわ。どうせ残り少ねぇ命なんだろ?好きに生きろって」

「‥‥いいのか」

躊躇いがちに問う声。いいっつってんだろうが。

「延長戦はこれでおしまいかね?私としては些か物足りないのだが…」

雇い主の男が言う。

「うっせぇな。コイツは俺の好きにしていいんだろ?それになんだか、俺と同じ顔をぶっ殺すっつう
 のはなんか縁起が悪ぃ気がすんだよ」

「私はそれを見たかったのだけれどね」

――以前までのコイツの評価に追加だ。癪に障る奴で食えない奴でおまけに悪趣味。悪趣味追加。
まぁ、まともな奴なら面白半分で人間作ろうとはしねぇだろうけどな。

「ってことでテメェは晴れて自由の身だ。どこへなりとも消えな」

クローンの男は俺を窺いながら帽子を被り直した。そして手にしていた日本刀を棚に置こうとしたの
で俺はストップをかける。

「ソイツは持っていけ。それが条件だ」

「その日本刀は私のコレクション…――」

「こちとら誕生日揃いだ。大目に見ろよ」

俺の問答無用な言い方に雇い主は反論しなかった。クローンの男は手放そうとしていた日本刀を改め
て持ち、肩に掛ける。

「そいつぁ呪縛だ。テメェがどんなに争いを嫌っても、俺のクローンであることは変わらねぇ。――
 ――人間を殺ることに快楽を覚える遺伝子がテメェの中にはあることを…忘れるな」

男の唇がキュッと引き結ばれた。そして踵を返し、部屋の出口に向かっていく。
扉の前で立ち止まり、奴は言った。

「それでも俺は、俺だ。サーシェス、アンタの自我と俺の自我は別にある――」



――俺はアンタじゃない。



「俺はアンタのようにはならない」

強い意思の込もった瞳で最後に俺を振り返り、俺のクローンの男は部屋を出て行った。
俺より薄い赤色の髪をした雇い主が電話を取り出す。部下に連絡をするようだ。バイクを用意だとか
尾行は不要だとか言ってるのを聞く限り、どうやら奴も俺のクローンを手離すのに同意してくれたら
しい。

「クローンの野郎は短命だっつったな?アイツはあと何年生きると思う?」

雇い主の男は電話を切り、「そうだな…」と宙を眺めた。

「目安としては君の寿命の半分、といったくらいだね。アリー、今日で君は…?」

「三十だ」

――たぶん…。

「ということは彼はあと二年は生き延びそうだね」

「あァ?ってことはアイツもしかしてまだ十五にもなってねぇガキってことか!?」

「短命故に成長も早いのだよ。彼はああ見えて、今日が十三歳の誕生日さ」

「‥‥‥なんかへこむぜ。それを先に聞いてたらもっと本気出してアイツを殺してたのによ…」

たとえ自分のクローンで戦闘能力が高いとは言え、自分の歳の半分以下のガキに手こずったなんて恥
以外のなにものでもない。

「まぁ、そうむくれるな。本体の寿命の半分というのはあくまで動物実験の結果だ。人型になっては、
 もっと生き延びられる時間が短くなるかもしれない。慈善活動でもしたと思いたまえ」

「益々気に食わねぇな‥‥」





あの頃の俺の後悔は正しかった。
なぜならあのクローンの男は五年後、再び俺の前に姿を現し…――



「テメェは‥‥――!」

「アリー・アル・サーシェス…!!」

「まだ生きてやがったか、パチもんのくせに」

「俺は俺だ!!俺はゲイリー…ゲイリー・ビアッジだ!!」



――…番号じゃない名称を名乗って、俺に傷を負わせたのだから。

あろうことか、ナナシをその背に守りながら。


--------------------------------------------------------------------------------------------

FSの登場人物表のライルの下にゲイリーの項目があるので気になる方はチェックしてみてください。
白文字なので反転してください。

サーシェス視点は楽しいけど残虐性みたいなのが難しいなぁ(汗)

2008/07/16

BACK