やっと事がひと区切りついて、睡眠もよく取れて、美味しい料理も美味しく食べられる日が戻ったと
いうのに…――

「ナナシさん、今日もいい天気ですね」

「――…ん?ああ…そうだね」

――…なんとなく、ナナシさんの元気がない。

わざわざマンションからCBの組織のある屋敷に毎日通って、いつも窓辺に座って外を眺めているナ
ナシを訪ねる。

「ニール坊や」

そう言って微笑むナナシさんはいつもの笑顔だけど、あの人のクローンだというゲイリー・ビアッジ
という男の傍に居た時、俺は別世界に飛ばされた時に見た、あの時のナナシさんの人間らしい笑顔が
あった気がしたんだ。

「毎日此処に来てくれているが、アレルヤ君を放ったらかしにしていいのか?」

「アレルヤは久々に保育園に行ってるんです。こないだ様子見に行ったら保育士さんが産休で大変ら
 しくて…」

その時、部屋の扉が開いて俺と同じ顔――右目を眼帯で覆っていたが――が部屋に入ってきた。

「ナナシ、取引終わった。これ、代金とクスリ」

「ライル…」

「あぁ、ニール。また来てたのか。ナナシ、これ此処に置いとく」

「ご苦労さま、ライル坊や」

「どーいたしまして」

ライルは俺をじっと見る。俺もその視線を受け止めた。

「ニール、送ってく。帰れ」

「な、んだよ、その言い方!」

ナナシさんは窓辺に座ったままクスクスと笑っている。なんとなく、空っぽに見える笑顔だ。
それが前までは、普通の笑顔に見えていた筈なのに…。

「ニール坊や」

「あ、はい…」

「俺の心配はいいから、せっかく仕事がないのだからゆっくり羽を伸ばしなさい」

「っ、‥‥はい。――いや、でも…っ」

「ニール坊や」

ナナシさんは静かに立ち上がると俺の前に立って優しく頭を撫でてくれた。

「怪我ならもう大分いい。ライルが代わって取引にも出向いてくれているしね。だから俺の心配はし
 なくていいんだよ」

そうじゃない。俺の心配は怪我のことだけじゃないのに…。ナナシさんは気づかないふりをしている
のか。

――否。きっと気づいていないんだ。自分が元気がないことに。そのこと自体に気づいていないんだ。

「――ナナシさん、元気になって…」

俺はナナシさんの唇にそっとキスをする。受け入れるように薄く唇を開けば、舌を差し入れて口づけ
を深くしてくれた。

「ありがとう。俺は元気だよ」

最後に額にキスをして、ナナシさんはライルに目配せをした。ライルは頷いて、部屋の扉を開く。

「それじゃ…ナナシさん――」

「気をつけて帰りなさい」



部屋を出て、屋敷の長い廊下を歩きながら、双子の俺たちは思っていたことを口にする。

「「どうしたら元気になると思う?」」

「「やっぱり原因はゲイリー(さん)かなぁ…」」

はぁ、とするため息も同時。うーん…やっぱり10年の空白があっても俺たちは双子だ…。
やがてライルが声を潜めて言った。

「俺さ、実は聞いたんだよな。ゲイリーが別れ際にナナシに言ったこと」

「盗み聴きかよ」

「たまたま聞こえたんだよ!――あのな、アイツ、ナナシに『ずっと傍にいる』って告ったんだよ。
 で、ナナシはゲイリーに抱きしめられて『やっと会えた』って…」

「?でもゲイリー、いなくなっちまったよな?」

「そうなんだよ!!ナナシの奴、ゲイリーに告白されて嬉し泣きまでしたのに…!」

「――…別世界のアリーさんに、面影重ねたのかな…」

「別世界?あぁ、そんなこともあったな。そういやあん時も、帰ってきてから少しの間はあんな感じ
 だったなー」

「「やっぱり原因はゲイリー(さん)かぁ‥‥」」

いつの間にか玄関を出て、門の所までやって来ていた俺たちは、取り敢えずライルにナナシさんのこ
とを任せて別れた。
その足で俺はアレルヤのいる保育園に向かう。





保育園には見覚えのある車が停まっていた。車体には『AEU弁当』とペイントされている。

「こんにちはー」

小さな声で園内に入ると、園児たちはちょうどお昼寝の時間で。
保育士たちは交代で子ども達の様子を見に行きながら、別の部屋でお茶を飲みながら一息ついていた。
勿論そこにはちゃっかりコーラサワーも居る。

「よっ、ロックオン!」

「コーラサワー、アンタ店はいいのかよ?ちょっと長居し過ぎじゃないのか?」

「新しくお弁当屋さんにバイトさんが入ったんだって」

「けどここの配達は他の奴には任せらんねぇからな。なんたって俺はガキ共にも好かれるスペシャル
 様だもんな!」

いつ見てもポジティブでいいことだ。思わず笑顔がこぼれてしまう。アレルヤ以外の保育士の女性た
ちもニコニコと笑っていた。

「新しいバイトの人って、言い方悪いけど、結構使える人なんだな。コーラサワーがお店を任せられ
 るんだから」

「ま、親父もいるしな。それに俺より歳上っぽいし」

「え、それは初耳」

アレルヤがコーラサワーのほうを向いて言う。

「パトリックより歳上って、三十代ってことでしょ?あ、いや、偏見だよね…。ごめん、聞かなかっ
 たことにして」

「俺ン家の弁当屋が美味すぎるんでチェーン店化計画に賛同してくれたのかもしれないだろ!?それに、
 あの人とは赤毛同盟ってことで結構気も合うんだ!」

「赤毛同盟って…。なんか騙されたりしてるんじゃないのか‥‥?」

「なんで?」

「いや、だって“赤毛同盟”‥‥‥‥いや、なんでもない」

「変なロックオン」

コーラサワーは顔を逸らした俺を見てきょとんとしている。
どうやらコーラサワーは、怪盗ルパンのお孫さんの話や、見た目は子ども頭脳は大人な名探偵の話は
読んだことがあっても、本家本元のベーカー街の名探偵の話は知らないらしい。
俺は片手をヒラヒラと振って「気にしないでくれ」と言った。アレルヤは苦笑いして俺を見ていたの
で俺の言ったことを理解してくれていたようだ。少しだけ嬉しくなる。

「とは言え、俺もあんまり遅いと叱られるからな。お茶ごちそうさまでした!」

コーラサワーは席を立って、椅子の背に掛けていたAEU弁当のエプロンをつけた。

「さて、と!店に戻ってスペシャルのり弁当の作り方を教えてやらねぇとな!」

保育園の保母さんの一人がご丁寧にお茶菓子を包んでコーラサワーに渡す。

「明日もお願いね、パトリック君」

「へい、毎度!明日は万が一の為に新しいバイトも連れて来ますんで!」

「万が一ってなんだよ?」

俺が訊ねるとコーラサワーは余程残念そうに言った。

「俺だって不死身じゃない。風邪で寝込んだりするかもしれないじゃないか」

「馬鹿は風邪ひかねぇって決まってんだよ馬鹿コーラ」

間発入れずに一瞬だけ入れ替わったハレルヤがしっかりツッコミを入れる。ハレルヤは言うだけ言っ
てすぐにアレルヤに戻った。

「誰が馬鹿だぁっ!」

「ごめんねパトリック!」

喚くコーラサワーにアレルヤは謝るしかない。今度は俺が苦笑する番だ。

「ねぇパトリック君。新しくきたバイトさんのお名前、訊いてもいいかしら?」

保母さんのお姉さん、ナイスフォロー。

「え?あぁ…。えっと、名前は…――」



コーラサワーの答えた名前を聞き、俺とアレルヤは、実は小柄なコーラサワーの体を二人揃って押し
倒した。すまん、不可抗力だ。
詳しく話を聞いた俺たちはすぐさまライルに連絡を入れて、保育士さん達にお詫びして、コーラサワ
ーと共にAEU弁当に直行した。



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物憂げなナナシさんははかない…。
久しぶりの日常編っぽい感じですかね。続きます。

2008/06/03

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