魅惑のろっくん-3
今日は朝から雨が降っている。ついでにニールはと言えば頭痛と寒気と喉の痛みと発熱を抱え、完全な 風邪引きになっていた。 「(くっそー。そんなに不摂生してたかー!?)」 しかしテスト前ということもあって授業を休みにするわけにもいかないし、相変わらず残業の日々が続 いている。 熱と頭痛で足元がふらついた。 時刻は夜八時過ぎ。テスト前は部活がすべて休みになるので、それでも校舎や体育館に残っているのは 自主練をしている生徒だろう。 教員玄関から出て、傘をさそうとするものの、目眩がして柱に寄りかかる。 「(‥‥‥まいった…)」 今日は車で来ている。果たしてこの状態で雨の中を運転して帰れるだろうか。 「っ…ぅ‥‥。くそ、…――」 「先生?ディランディ先生?」 その時、横から声がかかる。頭痛に響かない優しい声。 「‥‥アレルヤ、か…?」 「どうしたんですか?気分が悪いんですか…?」 そっと手を伸ばされ、肩を擦られる。 なんと答えるべきか…。正直に辛いと言うか?でもそれだけ言ってアレルヤに何をしてもらう?保健室 なんてとっくに閉まってる。言えば困らせるだけだ。 黙っていようと決めた時、ふいに頬に触れられてビクリとする。 「あ、ごめんなさい。熱でもあるんじゃないかと思って…。すごく熱いですけど、風邪ひいてるんじゃ ないですか?辛くないですか…?」 「大丈夫…、大丈夫だよアレル‥‥っ、く…ぅ…」 平気なフリをしようとしているのに、そういう時に限って頭痛はひどくなるし喉だって痛くなる。もう 最悪だ。アレルヤは自分の鞄を肩にかけ直して、俺の脇に腕を差し込んできた。 「お家までお送りします。鞄持ちますから貸してください」 「いい、いいって…」 学生服を通してもわかる筋肉のついた腕に身を委ねそうになって慌てる。ここでアレルヤに頼ることを 自分に許しちゃいけないと、頭のどこかで警鐘が鳴っていた。 ここでアレルヤに頼ってしまったら、きっとこれからアレルヤを普通になんて扱えない。自分の中に閉 じ込めていた気持ちが抑えられなくなる。 だから、駄目だ。 その時、ポケットに入れていた携帯電話が震える。アレルヤの手を一度押し戻してから電話を取り出し た。 着信。相手は弟のライルからみたいだ。 ちょうどアレルヤも電話がかかってきたらしくて、俺が通話ボタンを押すのと同時に彼も携帯電話を開 いた。 「――…ライル?どうした?」 『あ、兄さん…。ごめん、早く迎えに来て…』 いつもより声に元気がない。まさかと思って聞いてみる。 「お前も風邪か?」 『あぁ…やっぱり兄さんも?さっすが双子…ゴホッ…大丈夫か?車、運転できんのかよ…。無理なら俺、 自分で帰るけど…』 「いや、無理すんな。俺も危ねぇが、ちゃんと迎えに行くから待ってろよ」 そう言いながらアレルヤを窺うと、アイツはいつもと違う顔で話をしている。俺が逃げないように鞄を 持ったまま。 「学校?わかったけど、僕もまだ学校にいるんだ。‥‥そう、自主練。終わって帰るところなんだけど、 担任の先生がすごい熱で。家まで送って行こうと思ってるから遅く‥‥え?そうなの?」 そう言ってアレルヤは俺の方を見た。そのまま通話は続けている。 「‥‥‥そうだね、わかった。大丈夫、いつも財布と一緒に持ってるから。じゃあ急いで行くからもう 少し待っててね」 どうやら用件は済んだらしい。“急いで行く”ということから俺を送って行くというのは諦めてくれた んだろうか。 『‥‥‥え?ちょっと待って。だから兄さんが迎えに来るって‥‥駄目だよ、お前は帰りなさ…ゲホッ ゲホッ…!!』 俺が少し気を逸らしていた間に、電話の向こうでライルが誰かと話す声が聞こえた。なんだか早く迎え に行ってやったほうがよさそうだ。 「ライル?もう少しの辛抱だかんな。すぐに行くから」 『あぁ』と返事が聞こえて俺は通話を切る。 さて、と気持ちを切り替えようとしたところで雨風に吹かれ、思わず自分の体を抱きしめた。次いで襲 った寒気にまずいと思う。寒気を通り越して、既に体は冷えきっているようで。寒くて寒くてたまらな いのに汗が止まらない。かなり熱が高い証拠だ。 暖まりたい。家中の布団ひっ被ってあったかくして寝たい。 「大丈夫ですか…?」 唐突に何かが肩に掛けられた。ほんの僅かだが寒気が治まる。 肩に掛けられたのはジャージと学生服の上着。アレルヤの物だ。 「寒いんですよね?取り敢えず車に行きましょう?傘は僕が持ちますから」 さっきと同じように脇に腕を差し込まれて、けれどさっきみたいに抗うことはできなかった。体がもう 限界だと訴えて、抗おうとしても腕が上がらなかったのだ。 俺の車は、新米教師だから駐車場の隅、最も職員玄関から遠い、最も駐車の難しい場所に停めてある。 そこまでアレルヤに支えられて歩いて行く。 「先生、鍵を貸してください」 囁くようなアレルヤの声が頭痛に荒らされた頭の中に響いた。 ――…あぁ、もういいか…。 その声に何かの諦めが頭の中に浮かんだ。俺は「鞄の…」とキーホルダーを指す。 「これですか?」 アレルヤの手にした鍵にそうだと頷く。 ロックを解除して、アレルヤは雨に濡れるのも構わずに俺を助手席に乗せ、自分も運転席へ乗り込んだ。 肩や背中をタオルで拭いて、それから更に鞄から何かを取り出す。小銭の音がしたので財布のようだ。 中身を調べ、何かを確認するように頷くと、そのままキーを差し込んでエンジンをかけた。 「弟さんを迎えに行くんですよね?」 「そ、だけど…アレルヤ‥‥」 「事故なんて起こしませんから、安心して寝ていてください。あ、シートベルトはしてくださいね、苦 しいでしょうけど」 そう言うとアレルヤは自分のシートベルトをしてギアを入れ換える。 「ちょっ、アレルヤ!?ゲホッ…お前…免許ないだろ…っゴホッ…」 「持ってますよ、ほら」 財布から抜き出し、見せられた免許証に俺は混乱する。 それはバイクの免許証ではなく、れっきとしたマニュアル車の免許証だったからだ。 「シートベルト、してくださいね?行きますよ」 慣れた手つきでギアを入れて車を動かす。狭い駐車スペースを難なく抜けて校門を出た。 「なんで…お前…。誕生日、二月だったよな…?」 自動車免許の取得は十八歳からだ。家庭調査表に記載されていたアレルヤの誕生日は二月だったのでま だ取得資格はない筈なのに…。 「あれ?なんで誕生日…あぁ、調査表に書いてありましたっけ。嬉しいな。覚えててくれたんですか?」 「はぐらかすな。ちゃんと説明しろよ…。いま病人だからって、俺はお前の担任で、お前がなんで免許 持ってんのか聞いてんだから…」 息を乱しながらも問い詰めると、アレルヤの横顔は困ったように苦笑を浮かべていた。 「卒業するまで内緒にしておくつもりだったんですけどね…。軽蔑されたらどうしようと思って…――。 ‥‥僕、実は二年前、三年生になる前の春休みに事故に遭って、一年間意識不明、その後の一年間も リハビリで、今年ようやく復学したんです。だから本当は十九歳なんですよ」 「事故‥‥十九…?」 「すみません、熱があるのに混乱させてしまって。先生が元気になったら、今度はちゃんとお話します から」 夜で見通しが悪く、しかも雨も降っているというのに、アレルヤの運転する俺の車は順調に走っていく。 「もうすぐ学校ですからね。弟さんを乗せたら家まで送りますね」 「学校…。場所、わかるのか…?」 「えぇ。ほら、あそこでしょう?」 確かに、前方のマンションやら住宅街の向こうにライルの勤める高校が見えてきた。俺はライルがあの 学校に勤めているとは伝えていなかった筈なのに…。 校門から中に入ると、傘を差した人物が車に近寄ってきた。片方はライル。それからライルを支えてい るのは…。 「アレルヤ‥‥?」 まるでさっきの様子を他人の視点から見ているみたいに、アレルヤと瓜二つの少年が弟の体を支えて車 に近づいてくる。 「前に少し話しましたよね?僕の弟のハレルヤです」 「双子…とは、聞いてない…」 「家族の話をしたら、家のことも話さなきゃいけないでしょう?僕は先生に、軽蔑も同情もしてほしく なかったんです。ごめんなさい」 なんで謝るんだ、と言う前に、後部座席のドアが開いて「アレルヤ」と声がした。 「遅ぇよ。何してた」 「ひどいなハレルヤ。すぐに出てきたんだよ?雨だから道が混んでたんだ」 俺の後ろの席にライルが乗せられ、俺は運転席側に乗り込んできたアレルヤの双子の弟だというハレル ヤという少年を振り返る。すると薄暗い中でもわかる金色の瞳と目が合った。 「へぇ、本当にそっくりだな」 笑みを含んだ声はアレルヤとあまり似ていない。さっきの口調といい、俺とライルとは違って性格は真 反対なのかもしれない。 「兄さん…?あれ?なんで運転、ハレルヤ‥‥」 「ライル、違うんだ。コイツは俺のクラスの生徒で…」 「こんばんは、はじめまして。アレルヤ・ハプティズムです。いつも弟がお世話になってます」 「え…?え‥‥?」 「双子なんだってさ。俺らと同じ」 振り返っていた顔を戻して、元のように前を向いたら、もう体はだるくて、シートにぐったりと沈み込 んだ。 「おい、辛いんだろ?膝貸してやるから横になっとけ」 「い、いいよ…っ、ゲホッ!ケホッケホッ…!」 後部座席でドサッという音がする。きっとライルがハレルヤに無理矢理寝かせられたのだろう。 「アレルヤ、家に帰るぞ」 「え?先生の家は…?」 「いいから。それに病人二人だけ家に帰してもどうしようもねぇだろ。今ソーマに電話して布団とか用 意させる」 「それは賛成だけど…」 「気づけよアレルヤ。お前も俺も、コイツらの住んでる家、知ってんだぜ。この車と一ヶ月以上経つの に表札出さねぇ家、わかるな?」 「え‥‥?あ…うん…。そっか…じゃあソーマに連絡よろしく」 「言われなくても」 そうして後部座席でハレルヤがソーマという誰かに電話をかけ、アレルヤは黙って運転を続けた。朦朧 とした意識の中で見覚えのある風景が目の前を過ぎていく。 やがて車が止まり、アレルヤがエンジンを切ったその場所は… 「着きましたよ、先生」 その場所は、俺とライルの住むマンションの駐車場。 俺はアレルヤに抱き上げられて、肩に頭を乗せながら、横目で表情を窺った。 「もうすぐちゃんと休めますから、あと少しの辛抱ですよ」 大の男を抱っこして、息すら乱さず微笑む年下の男。 頭がぼぅっとする。熱のせいか、それともこの男のせいか。アレルヤを“男”として認識し始めた時点 で、俺はもう重症だ。 「鞄はまた後で取りに来ればいいよね」 「まずはコイツらを家まで運ぶぞ」 ハレルヤの方を見ると、ライルも俺と同じような恰好で抱き上げられている。 俺はゆっくりとアレルヤの首に腕をまわした。そのほうが安定すると思ったから。そのほうが楽だった から。 「――…アレルヤ‥‥」 「はい?」 アレルヤの首にキスしそうなくらい唇を寄せて名前を呼ぶ。でも、呼んだだけで何も用はない。 「‥‥なんでもない…」 少しの間、アレルヤの歩くリズムに揺られながら言うことを探したけれど、結局は正直に答えた。 「そうですか」 柔らかい声が心地よい。 どうして俺はアレルヤの担任の先生で、アレルヤは俺の教え子なんだろう。 そんな関係から始まらなければ、俺はこの熱に任せてアレルヤに伝えたい言葉があるのに…。 --------------------------------------------------------------------------------------------- アレルヤの年齢計算に混乱して相談までしたのは内緒の話(笑) 最後のはお姫さま抱っこと思われやすいですが、姫抱きよりもうちょっと楽そうな、普通に抱っこして 足だけまとめて持ってる感じです。わかりにくい説明ですねぇ…(苦笑) 2009/1/20 |